061:「まだ何も知らなかった」

 

 大霊山東部──そのさらに東端、『臆病な梟』本拠地の眠る山脈から最も近い人里。

 険奕けんえきという名の、その町は──上層部が『臆病な梟』にて役職を持つ者によって占められており、有事の際には町ごと組織の武装拠点となるよう備えられた場所であった。

 町役場の地下室。普段は使われることのない、ごく限られた者以外はその存在すら知らないその場所で、キーラはウトラと共に休んでいた。

 短時間で、あまりに多くのことが起こり過ぎた──うまく整理することができない。

 キーラはぼんやりと考える。

 ともすれば思考がまとまらず散漫になりがちなのは、もちろん肉体的な疲労が理由の一つでもあるのだろうが──すべてを明確に認識し終えた後、おそらく襲ってくるであろう不安と恐怖に耐えられないと無意識下で判断しているせいかもしれなかった。

 

「……カガリ……」

 

 ぽつりと、口に出す。

 途端に──脳を焼くような激情に襲われた。

 同時に、全身が凍り付くような絶望にも。

 あの男の反乱によって──キーラの大切なもの、血を分けた家族が失われた。

 贖わせなければならない。奴に罰を下し、祖父が幾十年を費やして作ってきたものを守る。すでに死んでしまった祖父には、もはやそうすること以外に恩返しの方法がなかった。

 

 軋むような音がして、キーラは部屋の奥の扉を見やった。

 重い鉄製の扉がゆっくりと開き──マキナとヤンシュフが姿を見せた。

 

「マキナ様──ヤンシュフさんも。御無事で何よりです」

「ああ」

 

 マキナは仏頂面で軽く手を振る。ヤンシュフは彼女を追い越し、小走りでキーラの前に至ると──がばと平伏した。

 

「ヤンシュフ……さん?」

「梟公様──我々の対策に手落ちがあり、カガリの襲撃を防ぎきれず御身に危険を及ばせてしまいましたこと、どうかお許し下さい」

 

 日に灼けた禿頭が小刻みに震えていた。

 きっとこの人は──私がそうしろと言えば、即座に自ら命を絶つだろう。そう思えるほど、目の前の老人からは悔悟の念が感じ取れた。

 

「いえ……幹部の皆様に責任はありません。責めるべきはカガリただ一人です……どうか、思いつめないよう」

「はっ……!」

「まあ──実際、反省会をやってる余裕はねェな」マキナは床にどかりと腰を下ろし、キーラに向けて顎をしゃくった。「これからどうするか……しかしそれを考える前に、全員の持ってる情報を共有しておこうか」

 

 

 

 それから三十分ほどを費やして、全員がそれぞれの視点からの事の推移を報告し合った。

 突然現れた、ミズハと名乗る東軍の軍人に祖父が喰われてしまったこともキーラは伝えた。ヤンシュフは衝撃を受けたようだったが、それでも表面上は気丈に耐えていた。

 

「人を喰う、蜥蜴の蠱妖……不気味だな。カガリだけでもこっちはてんてこ舞いだってのに、東軍も敵ってわけか」

 

 頷くキーラに、ウトラの言葉が続く。

 

「こちらの町には、すでに情報が回ってきていました──カガリ一派は正規軍総司令官の詠木大小を殺害し、それを『臆病な梟』の所業と見せかけることで東軍を味方につけたとか」

「なんと」ヤンシュフは驚いた顔をする。「東公の長男を……その衝撃によって世論が流された、と。では……東公は現在、東部を離れておるのか?」

「えっ……?」

 

 突然の質問に、ウトラは面食らう。キーラも同じ気持ちだった。

 カガリの謀計と、東公の不在。その二つにどんな因果関係があるのか。

 

「あ……えと」

「それは……わかりません」

 

 戸惑うウトラから引き継いで、正直にキーラは答える。

 ヤンシュフはキーラに向き合い、確信を持った声で答えた。

 

「おそらく、東公はいないと考えます。でなくてはここまでの急展開はあり得ない」ヤンシュフは一人でわかったような顔をして頷いている。「ならば──そう、彼が戻るまで持ちこたえることが何をおいても重要ということですな……」

「おい、ヤンシュフさんよォ──こっちゃついていけてねェんだが。一体どういうこった?」

 

 マキナが半眼でヤンシュフを止める。

 ヤンシュフはゆっくりと伏せていた顔を上げ、この場の三人をゆっくりと見回してから──舌で唇を湿し、押し殺すような小さな声で呟いた。

 

「最重要機密ですので、そのつもりでお聞きを──現東公である詠木銅冠は、先代梟公と共に『臆病な梟』を立ち上げたお方なのです」

 

「え……?」

「ええええっ!?」

「な……何だと!?」

 

 三人が三様の、驚きの声を上げる。

 ただ一人落ち着いたヤンシュフは、決然として立ち上がった。

 

「詳しくお話ししたい所ですが──ここも安全とは言えません。時間を稼ぐのなら、まずは守りを固めなければ。移動の準備を始めましょう」

 

 目的が定まったことで別人のように機敏に動き始めたヤンシュフの背中を追いながら──キーラは茫然と頭を振った。

 私はまだ何も知らなかったのだ。

 私が背負う組織について──そしてこの東部について。

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