第五章──別れと継承と何者かになりたい人々
060:「主命は絶対ゆえ」
「望月まきび、只今帰参致した」
東部の片田舎──カガリ派の隠れ家に戻ったまきびは、奥の間の扉を開けて言った。
それに応じ、部屋の奥で壁に向かって書き物をしていた人影が振り返る。
「おう、お前か小娘。なんじゃ──カガリは一緒じゃないのか」
マトヴェイ・ザハコロフ。
『臆病な梟』内においては三幹部に肩を並べるほどの古株でありながら、人柄のせいで冷遇されていた老人である。
まきびはカガリの命のもと、行動開始に先だって彼を仲間に引き入れていた。経験豊かな彼はカガリたちにとって有用な道標──今では、作戦指揮を引き受ける一派の二番手である。
まきびは手近な椅子に腰を落ち着け、報告を始めた。
「我が主は後から参る。旧体制派幹部、シキョウとの戦闘で手傷を負われたのでござる──それゆえ能力使用は控え
「それで言われるがままにカガリを置いてきたのか?」マトヴェイは皺くちゃの顔をさらに歪める。「まったく、馬鹿正直な奴じゃな……まあ、あのカガリなら手負いでもそうそう力尽きはせんじゃろうが」
「拙者にとり、主命は絶対ゆえ。それに──作戦立案担当のマトヴェイ殿に現状を一秒でも早くお伝えすることが最優先と、よく言い含められてござる」
ふむ──と、まんざらでもない顔でマトヴェイは頷いた。
「まあ、それも一理あるな。奴は先代梟公とは違い、このマトヴェイの力を誰よりも頼りにしておるというわけか──そうであるからこそ、この儂がわざわざお前たちの陣営に加わってやったわけじゃからな。それで、カガリはシキョウを間違いなく殺したのじゃな?」
「直に確認してござる。加えて、ブフニッツァも拙者がしかと誅した」
「自慢たらしい言い方をするでないわ。みっともないぞ小娘」自分のことを棚に上げてマトヴェイは不機嫌そうに言う。「奴は純粋な参謀役──戦闘能力は持っとらん。殺せて当然じゃい。それで、ヤンシュフは?」
「捜し申したが、すでに屋敷から離れたようでござった。未だ残された敵勢が屋敷を固め直しておるゆえ、深追いはせず引き上げたのでござるが」
「逃したか。まあ良い──そっちは国軍に片づけてもらうとするかのう。少なくとも、旧『臆病な梟』は鉤爪と頭脳を失った──国軍への対応も覚束なかろうて。両者がぶつかり、半壊したところを儂らが
「頼もしゅうござるな、マトヴェイ殿」
「当然じゃ。この儂が力を貸してやっとる以上、失敗など万に一つもあり得んわ」
自信満々に請け負ったマトヴェイ。
その物腰に──まきびは頬が緩むのを感じた。
マトヴェイがまきびの視線に気づいて眉を顰める。
「……? 何じゃ小娘、その顔は」
「うん? ああいや、失礼致した──少しばかり、マトヴェイ殿に祖父の面影を重ねてしまったのでござる」
「ああ?」
「
瞬間、マトヴェイの顔がわずかに和らぐ。
まきびを見る目が少しだけ暖かいものになったような気がした──が、次の瞬間には元の渋面に戻っていた。
「……ふんッ、止さんか気色の悪い。儂は儂じゃ──片田舎の
「ははッ、済まぬ」にこりと笑って、まきびは席を立つ。「さて……報告も済んだ。拙者は敵方の情報収集に戻るゆえ、引き続き指揮をお頼み申す」
「忙しないことじゃの」
マトヴェイは、卓上の酒瓶を引き寄せた。
「景気づけに一杯付き合え、小娘」
「忍は任務の最中には何も口にせぬのが習い。気持ちだけ頂いておこう」
「ふん、要らんのなら良い」
素っ気ない返事を残し、マトヴェイは背を向ける。
その背中が──少し寂しそうに見えたのは、未だまきびが彼に祖父を重ねているからなのだろうか。
扉に近づき、まきびは振り返って呟いた。
「勝とう、マトヴェイ殿」
振り向かないまま、マトヴェイはぞんざいに手を振って応えた。
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