055:「時代は転換し、世界は転変す」

 

 カガリが──この場に来る。

 急展開に、マキナは静かに息をのんだ。

 

「二人とも、心配しなくとも良い」

 

 ゆっくりと立ち上がり、梟公は低い声で諭すように言った。

 それと同時に──まるで闇から湧き出てきたように、数十人の人間が広間に現れる。物々しい鎧を纏っているのに、物音はまるでしなかった。

 

「我が手勢はすでにこの館を固めている。カガリは元来、陰謀や隠密には向かぬ男──奴の動きは密偵によってすべて把握していたのだよ」ふ、と白い口髭が笑みに歪んだ。「闇夜の中、音を消して獲物に忍び寄るのが『夜の狩人』たる梟──能力や品行云々の前に、静かに飛ぶことのできないカガリに梟公の座は不相応だ」

 

 

「梟公──老いたり」

 

 

 地響きのような声が、広間に響く。

 入口の扉付近に立っていた男が数人、呻き声と共に倒れた。

 鎧の隙間から夥しい血が噴き出している。

 

「っ──」

 

 マキナが警戒の声を上げる間もなく。

 マキナとキーラ、そして梟公の正面──広間の中心に、突如として巨体の男が出現した。

 見上げるばかりの、巨岩のような体躯は鳥の羽根を編み込んだマントに包まれている。顔も毛皮か何からしいゴワゴワとした素材の覆面に覆われ、その奥で異様な光を放つ目だけが辛うじて人間らしさを残していた。

 

「……カガリ」

「既成の型に嵌まらぬ者をただ劣等と断ずるは、すなわち老いたるしるしなり。一代の傑物たる梟公──その眼力、感覚、頭脳は、かくも衰えたり」

 

 古臭い言葉遣いで、しかし朗々と語るカガリ。

 その声は、話で聞いていたような荒くれ者の旋律ではなく──意外にも落ち着いた、理知的な調べだった。

 

「梟公よ──」

 

 カガリの言葉に、連鎖する銃声が割り込む。

 部屋中の護衛が一斉に発砲していた。

 しかし──マキナが銃声を知覚した時には、すでにカガリの姿は消えている。

 銃声が止む。漂う硝煙が闇に溶かされ始めた、その矢先──

 

「っ!」

 

 マキナは思わず、横のキーラを抱き寄せる。

 部屋のあちこちに血の柱が立った。

 

「ううっ……」

「ぐ、ああああ……」

 

 苦悶の声を上げながら、噴水のごとく出血してくずおれていく兵たち。

 銃声が止んだのは、カガリの姿が消えたことを警戒して控えたのではなかった──第二射の引き金を引く前に、全員が殺されていたのだ。

 広間を固めた数十人の護衛をすべて同時に殺害した……未だカガリの能力をはかることができず、マキナはひとまずキーラを守ったまま身を低くし、明かりから遠ざかって闇に潜り込む。

 

「……老いさらばえ、病み衰えし梟公よ。時代は転換し、世界は転変す。それが世の理なり。闇に潜んだままの姿を良しとする、その観念の固着こそ──時代の流れに取り残される、滅びへの道標と心得よ。我が言葉に蒙を啓くが良い」

 

 まるでたった今行った大量虐殺を自覚していないかのように、何事もなく言葉を続けるカガリ。その異常な態度は、限りない悍ましさを感じさせた。

 対する梟公は、杖に寄りかかりながらもじっとその言葉に耳を傾けている。

 

「闇を統べる『臆病な梟』を、光の下へ解き放つべし。そしてそれを成しえるのは、我をおいて他になし──翼を広げ蒼空へ飛び立つために、我にその冠を授けよ」

「……のぼせ上がるな、小僧」

 

 梟公が──歯を剥き出して言い放った。

 今までの品格ある態度とは似ても似つかない、凶悪な表情。

 それもまた、彼の一面なのだ。マキナはそう思った。

 

「貴様に何がわかるというのだ。多くの部下を従え、一人一人は弱く愚かな彼らを守るために何が必要か──そんなことを考えもせず、ただの思い付きを真理のように語るんじゃない」

「其方の言もまた、一人の人間の思い付きの集積に過ぎぬ。それが正しいと、それが真理だと、一体誰が保証できようか──我はただ後世の審判に身を委ね、我の思う真理に向かって進むのみ」

「口だけは一丁前のつもりか、乱暴者」

 

 溜め息を一つついて。

 梟公は、背筋を伸ばした。

 

「ならば良い。私はお前に梟公を継がせはせん──その座が欲しいのなら、私を殺して奪え」

「左様か」

 

 身構えるカガリ。

 再び姿を消すか、とマキナが思った瞬間──視界が歪むような錯覚に襲われた。

 

「っ……!!」

 

 びりびりと、大音響に共振するかのように体全体が震える。

 梟公の体を中心に──先ほど感じたのとは比べ物にならない威圧感が発されていた。

 暴風のごとく、押される。

 災害のごとく、圧される。

 これが──梟公。

 

「さあ、やれ──私に近づけるのなら」

「…………!!」

 

 さしものカガリも、その圧倒的な威圧感の前に身を凝固させていた。

 ただ、退がらないためだけに全精力を集中しなくてはならない様子だ。

 梟公が一歩、踏み出す。

 それだけの行動が、カガリにとっては巨大な壁に押し潰されるように感じたに違いない──覆面の奥の瞳が、苦しげに細められた。

 

 きっと。

 このままの状態が続けば──カガリは何もできず、梟公に裁かれていただろう。

 梟公が病み、老いてさえいなければ。

 

 さらに一歩を踏み出そうとした時、接地しかけた杖の先が──わずかに滑った。

 がくり、と梟公の姿勢が崩れる。

 突然の出来事アクシデント──普段ならばなんてことのない一つの躓きが、梟公の集中をほんの一瞬、崩した。

 

 その瞬間を、逃すはずもなく。

 カガリの巨体が、消滅した。

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