052:「梟は闇夜の中で」
──
東部の裏社会、その闇の中からすべてを見通し、すべてを操る王。
なるほど、こりゃあ山の中に住むしかねェな──と、階上からこちらを見下ろす一人の老人を見てマキナは思った。
一見すれば、それはごく品の良い普通の老人でしかない。しっかりと分けられ一本の乱れもない見事な白髪、端正に切り揃えられた口髭。銀縁の丸眼鏡の奥の瞳は、知性的な落ち着きを湛えている。上等のスーツに身を包み、細かい銀細工の施された杖を突きながらも背筋はしゃんと伸びている──その姿形だけは、市井に混じってもなんら違和感のない老紳士の風貌を保っていた。
しかし。
見た目に反し、その体から発される威圧感──雰囲気は、一般人とは決定的に異なっていた。
見ているだけで、ひれ伏さなくてはならないように思えてくるほどに。
見られているだけで、裁かれているような気になってくるほどに。
まるで周囲の景色を歪ませる力場が発生しているかのように錯覚してしまうほど──感覚すら侵食する、すさまじい
それは裏社会の帝王としてのし上がった、その分厚い経験が醸し出す凄みなのか、あるいは彼自身の能力によるものなのか。
そこまではわからなくとも、自らが気圧されていることだけはマキナは確かに理解していた。
「お祖父様──」
キーラが小さな声で呟き、その身を折る。
梟公は浅く頷き、ごくゆっくりと吹き抜けの廊下を進む──その速度だけが彼の病身を表すものであるかのように、しずしずと階段を下りた。
跪くキーラに手を差し伸べて立ち上がらせ、その顔を見つめながら──梟公は良く響く声で、ゆっくりと言った。
「キーラ──私の小さな宝物。良く来た」
それから程なくして、闇の中での食事が始まった。
長いテーブルの両端に向かい合って座り、梟公とキーラは食事をしていた。
三人の幹部は別室に引っ込んでいる──マキナも同じように移動することを求められたが、キーラが命じて彼女の隣に席を作らせた。
「キーラ──すまない。こんなことになってしまい、本当に申し訳なく思う」
小さく切った鴨肉を口に運びながら、梟公が声を発した。
祖父と孫の再会の場──梟公の代替わりの局面において、最初に出た言葉は謝罪だった。
「私は──お前を頼るつもりなどなかった。梟公の座は幹部に──先程お前も会ったあの三人に共同で継がせるか、もしくは無くしてしまおうと考えていたのだ。一人が統べるには、『臆病な梟』は大きくなりすぎた──その重圧に耐え、正しい判断を下し続けるのは至難の業だ。その責任に潰されてしまうか、その力の大きさに呑まれ暴君と化してしまうか。常人のたどる道は、そのどちらかだろう」
梟公は、常人ではない。それは発する雰囲気からして明白だった。
しかしそれは誰にでも求めうる素質ではない──梟公は祖父の身を案じて自ら手を挙げたキーラの破滅を予見し、それに心を痛めている。
「だから、決して無理はするな。お前はただ、梟公という肩書を纏うだけ──そう考えてしまっても構わない。大事なことは必ずブフニッツァ、ヤンシュフ、シキョウの三人に諮り、四人の総意によって決定しなさい。三人はこの裏社会の均衡を保つことに全力を尽くしてくれるだろう──ただ、それを信じてまっすぐに生きなさい」
そこで少し黙って、梟公は視線を泳がせた。
小さな躊躇いの波動──なにかを迷うように数舜を置いて、彼は続けた。
「お前は裏の世界に関わることなく生きてきた──罪に塗れて生きてきた私にとって、無垢なお前は希望そのものだった。優しいお前は私のためにこちら側に来てくれたが──いっそ犯罪者の私に唾を吐き、どこか遠くへ逃げてくれていたら」目を伏せて、老人は呟く。「そうであれば──辛かろうとも、悲しかろうとも、私は希望を持ち続けられただろう。本当にすまない、私の大切な孫よ──その優しい愛ゆえに、お前は汚れてしまうのだ」
「……お祖父様」
キーラはナイフを置き、手を組んで梟公をまっすぐに見つめる。
「私はもう、子供じゃありません。あなたをただの犯罪者などと思ってはいません──自分ひとりの力では、自らを律せない者がいる。呪われた生まれによって、表の世界では生きられない者がいる。お祖父様のなさってきたことは、『法によっては救えない弱者』を受け入れ、掟を与えることで、裏の世界に秩序をもたらす行いでした。表の社会の法は破っても──世界に対して誠実に進んでこられた。私はお祖父様をそう捉え、自らもそうでありたいと望んでいるのです」
キーラの瞳は輝いている。その輝きに、嘘はなかった。
マキナは彼女の美しく整った──それでいて柔弱さは欠片も持ち合わせない表情を見ながら、静かな驚きを覚えていた。
重圧と罪悪感に押し潰されそうな少女だと思っていた──きっとそれは正しいのだろう。しかし、そうでありながらも、キーラは確固とした信念を持っていた。
理性が生む恐怖に脅かされながら、その奥に硬い芯を育んでいた。
「……キーラ」
安心したように、梟公が息をつく。
「ありがとう。私が伝えることも──心配する必要も、お前には無用のようだ」老人の瞳が初めてマキナに向いた。「お嬢さん──キーラが選んだあなたを、私も信用しよう。どうか、孫を支えて頂きたい」
「……引き受けます。ただし、あたしの協力はあくまで一時のモンですがね」
「一時……?」
「卑近な話にすり替えるようでナンですが、『カガリ』のことですよ。梟公様、あんたの後釜を狙う荒くれ者がいるんでしょう?」マキナは首を傾け、梟公とキーラを等分に見やる。「そいつの勢いは『臆病な梟』上層部も無視できない程だとか。その反乱を退け、キーラの梟公就任を完遂させる。そこまでが仕事だと、あたしは解釈してます──そうだな、キーラ?」
マキナの問いに、キーラは頷きで応じる。
それに対して、梟公が口を開こうとした時──
「梟公様!」
奥の間に通じる扉が荒々しく開かれ、ブフニッツァが急いだ様子で入ってきた。
「……何事か」
「お食事中、大変失礼を──懸念が的中いたしました」ブフニッツァが声高に告げる。「至急、待機している兵を集結させます──カガリがこちらに向かっております!」
「…………!」
梟公の表情が、変わる。
孫と語らう祖父から──非道なる闇の帝王へと。
「この事態は、事前に想定していたな」
「勿論。すでに『臆病な梟』の中枢にもカガリ派が入り込んでいることを考え、今日の日が最も危険と定めておりました──速やかに、不心得者を封殺いたします」
「よろしい」
梟公は頷く。
ゆっくりと右手を上げ──卓の上に、静かに置いた。
ブフニッツァも居住まいを正し、その場で右手を差し出す。
厳かに、老いた帝王は呟いた。
「ならば実行せよ、ブフニッツァ──梟は闇夜の中ですべてを見定める。梟は静かなる翼で忍び寄る。梟は捕らえた獲物を決して離さない。
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