051:「所詮は無駄に長く生きているだけさ」

 

 北部の空気は、やはり他とは違う。

 それは単なる気候の違いによるものか──あるいは、他地方とは異なる魔術都市であることが関係しているのであろうか。

 詠木銅冠は頭の隅でそんなことを考えながら、顔にはいつも通りの柔和な笑みを張り付けてしゃべり続けていた。

 

「──という訳で、四公の相互協力の意思を今一度固めるため、近く会談の場を持つことと相成りました。北公様におかれましても、ぜひご協力いただきたく」

「了解した」

 

 机を挟んだ向かい側で、革張りのソファに凭れながら一人の男が鷹揚に頷いた。

 北部にあまり詳しくない者が見れば、それは限りなく奇異な光景に映っただろう──五十がらみの銅冠が下手に出ているのに対し、まるで主のようにふんぞり返っているこの男はどうみても二十代に差し掛かった程度にしか見えない。さらに言えば、この男は北公その人ですらないのだ。

 この北部を束ねる公の名は、レイア・リシャータ──南部の伯羅家と同じように、何代も前から公を輩出し続けている名家の現当主を務める女性である。しかし北部において公は権威的・象徴的意味合いが強く、他地方に比べて官僚の力が強かった。

 目の前の男こそ、その施政実務を束ねる男──実質上北部を切り盛りしているとも言える彼の名は、迂堂廻途うどうかいとという。彼は希少な能力を最大限に活用し、北部の上層に確固たる地位を築いていた──若々しい外見に反し、北部の施政に貢献した期間はゆうに100年を超える。不老の術を持つ、紛れもない北部の重鎮なのである。いかに法律上では序列が上といえども、その実績と見識には公といえども敬意をもって接せざるを得なかった。

 

「北公に伝えておく。確かに、国王陛下の突然の崩御は国家存亡の危機に直結する事態と言える──今一度規律を正し、民を保護する姿勢を新たにする必要があるだろうな」迂堂はソファの肘掛けに立て肘をついて、視線を右上方に動かす。「私の経験した中でも、ここまで国全体が動揺した例は数えるほどしかない」

「さすがは迂堂閣下。北公様は勿論のこと、あなたの豊かなご経験は我々も大いに頼りとするところです」

「なに、おだててくれるな──所詮は無駄に長く生きているだけさ。問題は次から次へと立ち現われ、まるで絶えることがない──日々、力不足を悔やむばかりだ」

「輝くような功績をお持ちでありながら、その謙虚さ──まさに、長い月日の中で練り上げられたお人柄のなせる業ですね。私など、とても及びません」

 

 口を極めて褒めちぎりながら、銅冠は油断なく計算を巡らせる。

 北部は魔術の先進地──高度に発展したその技術は、学術の都たる北部にふさわしい、他地方にはない武器である。王に昇り詰める野望を秘めた銅冠には、それは喉から手が出るほど欲しいものだった。

 しかし、この老獪な執政官が目を光らせている限り魔法技術の流出は限りなく不可能に近い。不老の能力ゆえ、世代交代を待つという手も使えなかった。

 ならば──北部を軋ませるには、やはり権力闘争が最も望ましい。

 

「考え足らずゆえ不躾になってしまうかもしれませんが、どうかお許しください」肚を決め、銅冠は言葉を発する。「閣下が北部において誰よりも大きな影響力をお持ちでありながら、北公様との関係にひび一つ入らないのは──やはりそのお人柄の賜物なのでしょうね」

「うん?」

「いえ、巷の噂によく聞くものですから──迂堂閣下はこの上なく偉大なお方だ、あの方が名実ともに北部を治める頂点になった方が現状よりよほど良い、と」

「──はは」

 

 瞬間、迂堂の両眼は異様なきらめきを放つ──その色に銅冠はたじろいだが、しかし迂堂は静かに笑みを浮かべただけだった。

 

「東公殿らしくもない、直接的な物言いだ。まあ、噂というものは概して口さがないものだが」

「え……ええ、私自身無責任極まりない噂だとは思っていますよ。民にはやはり、公という立場の重圧は想像し難いものなのでしょうね」

「仰る通り。しかしながら彼らの言いたいこともまったくわからないわけじゃない──だが現に、私にそのような野心は欠片もないからな」

 

 そこまで答えて、迂堂は青年の造作に似合ったいたずらっぽい表情を浮かべた。

 

「兄上を退けて公の座を手にした野心家の東公殿には、私の気持ちが理解できんかな?」

「は、はあ……いえ」言葉の裏に意味があるのかどうか推し量りながら、銅冠は慎重に答える。「少なくとも私と比較する限り、それは環境の違いでしょうね。閣下の仰る通り私は施政について理想を持ち、それを実現できる立場に上ろうとがむしゃらに働いてきました。しかし、北部の環境を鑑みるに──閣下はわざわざ公とならなくとも、同じことができるのですから」

「そういう面もあるが、私の意は少し違う」迂堂はくすりと笑って続ける。「私はできることなら、早く引退したいのだよ」

「い、引退……!?」

 

 思いもよらない言葉に、銅冠は目をしばたたかせる。

 迂堂は身を起こして卓に置かれたコップを手に取り、茶で口を湿してから頷いた。

 

「ああ。普通、人は大人になれば職に就き──生活の大部分を仕事に捧げるのは、せいぜいそこから40年ほどだろう? そのくらいの歳になれば子供も社会に出て、場合によっては孫もいる。それまでの蓄えと身内や社会からの扶助によって、あとは悠々と暮らす──それがごく普通の、あるべき一生の形だ」

「はあ……そうでしょうね」

「翻って私はどうだ? もう100年以上働き詰めで、子の数も両手の指では数えられない。もういい加減隠居したいものだが、不老の性質と周囲の期待がそれを許さない──奇しくも東公殿も先ほど言ってくれたな、私を頼りにしていると」

「あ、その、そういったお心を知らず」

「責めてはいないよ。他の皆もそうだろう──ただ、私を頼ってくれているだけだ。期待してくれているだけなのだ。だからこういう本心も、なかなか大っぴらに言うことはできん」

 

 迂堂は自嘲的に笑って、コップの中の茶を飲み干した。

 

 

 北部執政府を辞去した銅冠は、止めてある馬車に向かって歩きながらかぶりを振った。

 隠居したい──そんな言葉があの迂堂から、『永久執政官』『生ける北部史』『北部最大の智将』など様々な異名を持つあの男から漏れ出るとは、意外どころの話ではなかった。

 ともあれ、あの様子では北公と迂堂を対立させて北部をぐらつかせるという考えはうまくいきそうにない。北部の魔法技術をいただくには、別の方策が必要だ。

 考えながら、馬車に乗り込む。秘書の一人が、慌てた様子でこちらに顔を向けた。

 

「ん? どうした」

「東公様──たった今連絡が。御子息の大小様が、何者かに暗殺されたとの知らせが!」

「大小が!?」

「はい……そして、末弟の遠近様が犯人は『臆病な梟』一派だと強硬に主張され、正規軍もこれを受けて出兵を決定した模様!」

「な……なんだと!!」

 

 あまりのことに、銅冠は身を投げ出すようにどかりと座席に座り込んだ。

 大小が殺された──そして遠近が、『臆病な梟』と戦争を。

 

「あの馬鹿息子め……『臆病な梟』と事を構えろなどと誰が言った!?」

「そ、それが……遠近様は、賊討伐の任務を受けている以上『臆病な梟』征伐もその範疇──ひいては東公様の許可ありと主張され……」

「ば、馬鹿な!!」

 

 遠近が賊討伐のための部隊の新設を願ってきたのは事実だ。自分が許可を出した。

 しかし、それはあくまで正規軍の補助を目的としていたこと──末端のチンピラの行き過ぎた行動を適当に取り締まるだけのお飾りの部隊のつもりだった。遠近に集団を率いる経験を積ませるだけのために作ったもので、力を持ちすぎないよう待遇に配慮しろと側近に命じて部隊の枠組みを作らせもした。

 そんな、玩具のような不正規部隊が──あろうことか正規軍も巻き込んで、『臆病な梟』を相手取るとは。

 歯車が狂ったのは、大小の死によってだ。大小は銅冠の意をしっかりと理解している──存命であれば弟に好きにさせることも、『臆病な梟』に手出しをすることもなかっただろう。だからこそ銅冠は軍事を彼に任せ、公として自由に動くことができていた。

 不幸なアクシデントが重なり、この状況に至った──いや、もしかすると不幸ではないのか? アクシデントなどではなく、何者かの意思が介在してこのような結果に? 少なくとも、『臆病な梟』側にも何らかの不穏な動きがあるとしか考えられない。

 梟公──レフは何をしているのだ。

 

 混乱する頭を必死に働かせながら、銅冠は大声で叫んだ。

 

「至急、東部へ戻る! 予定はすべて取りやめだ──すぐに出発せよ!」

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