044:「一歩たりとも」
松伏小隊のテントを出て、東に少し進んだ場所。
崖の窪みを利用して丸太と縄で作られた簡易的な牢獄──そこから黒煙が上がっていた。
「東軍総司令官、詠木大小も爆殺されていた……同じ手の者かしら」
緊急事態にありながら思考を止めず、走りながらそう呟くクリスに、ミズハは並走しつつ曖昧に微笑んで応じた。
「うーん……私は違うと思うよ。勿論その可能性も捨てきれないが、少なくとも『同じ爆殺』である可能性は低い。大小氏の殺害時、さっきのような爆音はなかったはずだ──もしあったとしたら私が忍び込む間もなく職員によって発見されていたはずだからね。現場には煙も焦げ跡も火薬の臭いも無かったし」
「そうなのね」
「そうとも。『捨てきれない』と言ったのは、二種類の爆殺方法を持つ者がいるかもしれないからだが、このように目立つ方法──言わば下位互換の手段も使い分ける必要があるとは、現段階では思えないね。……おや、これはこれは」
話しながら現場に到着し、ミズハはためらいもなく焦げ臭い牢獄の中に首を突っ込んだ。
すでに二人を追い抜いていた松伏とその部下が、二人を振り返る。
松伏は右手で牢獄の中を示し、オーバーに肩を竦めて見せた。
「一手遅れた、ってとこか」
五人の捕虜は、それぞれ別の場所で消し炭になっていた。
ある者は扉の近くで。
またある者は奥の土壁に寄りかかるようにして。
まるで逃げ惑った結果全員が個別に爆殺されたような印象だった。
「犯人はまだこの近くにいるだろうか」
「ああ。その可能性は高いんじゃねえか──今、部下に周囲をあたらせてる。俺達はここらに潜んで長ぇからな、人が隠れられる場所は大体──」
松伏の言葉を遮るように、再び爆音が轟く。
断続的に、そこここで連鎖する。
「…………ッ!」
松伏は顔色を変え、牢獄から飛び出た。傍に付き従う二人の部下もそれに続く。
ミズハ達も三人を追って振り向いた──夕闇に閉ざされつつある木立の間から、狼煙のような黒煙がいくつも立ち上っていた。
松伏の肩にいる小猿が、ききっ、と鳴く。
「ひどいですよぉ……」
下生えを踏む足音にかき消されてしまいそうなほどに──その声はか細く、弱弱しかった。
ゆっくりとこちらに近づいてきたのは──ゆったりとした黒い服に身を包んだ少女だった。
「てめえが……爆弾魔か」
松伏は腰の小刀を抜き、少女に向けて構えを取る。
「そんな言い方、しないで下さいよぉ」
少女は間延びした声で、口を尖らせてそう言った。
見た目は普通の、内向的な少女の容姿だった──サイドテールに結われた黒髪はくせっ毛らしく、何本もほつれて様々な方向に飛び出ている。レンズの大きな黒縁眼鏡の奥には、きょろきょろと落ち着きのない瞳が揺れていた。薄くそばかすの浮いた顔は締まりがなく、今にも泣きだしそうな表情を浮かべている。
やや猫背気味の体躯はどう見ても十三、四歳といったところで、この場には不似合いとしか言いようがなかったが──それでも、ミズハは直感で理解した。
この少女が──犯人だ。
「私だってこんなこと、したくないんですよぉ。でもおじさんたちが襲い掛かってくるから仕方なくて……」
「『臆病な梟』のモンだな? 正当防衛って言いてえなら、なんで仲間を真っ先に殺してやがる」
「だってその人たち、私たちの居場所を漏らそうとしてたんですもん……」少女の瞳に涙が溢れる。「なんでぇ……うう、なんでそんなことするのぉ……裏切るなんて酷いよぉ……」
うええええん、と。
頑是ない子供のように、少女は大声を上げて泣き始めた。
自分の殺人行為を棚に上げての、この無邪気な被害者振り──それは他のどんな感情よりも、不気味さを真っ先に感じさせた。
「……なるほど、君は裏切りを阻止するためにやってきたというわけだね」
ミズハは少女に言葉をかける。穏やかな声音に、少女はぴたりと泣き止んだ。
「私の名はミズハ。君の名を教えてもらえるだろうか?」
「…………チル、と呼ばれています。姓はありませぇん」
「奇遇だね、私もだよ。ではチル、君は自分の仕事を終えたわけだ──不運な事故に巻き込まれたこちらの兵は一旦措いておくとして、これ以上君が何かする必要は、少なくとも今はないわけだね?」
「……ううん……そう、なるんでしょうかぁ?」
眉根を寄せて考え込むチル。
松伏が怒気に声を荒げて割り入った。
「おい司令官代理の嬢ちゃん、一体何を言ってる!? こいつは明らかに俺たちの敵じゃねえか!」
「ひっ……!?」
「松伏隊長、冷静になるんだ」
「冗談じゃねえぞ! こっちは部下を殺されてんだ──捕虜からコイツらの本拠地を聞き出す望みも潰えた。このままじゃ、今まで俺達がやってきたことは何もかも水の泡じゃねえか!」
「時には築き上げてきたものを捨て、退くことも必要だ。歴戦の猛者である君ならわかっているかと──」
「知った風な口をきいてんじゃねえっ!」
松伏はミズハの言葉に耳を貸さず、吼えるように言う。
大声に驚いたのか小猿が身の毛を逆立て、松伏の肩を蹴って飛び降りた。
背後の木立に顔を向けたまま、地面に着地し──
そこで、小猿は爆炎に包まれた。
「!?」
一声すら上げないまま、圧倒的な火力に全身を焼かれて小猿は倒れる。
驚きの色に満ちた松伏の目は、すぐに据わった眼光に変わる。
「ほらな、こいつはハナから俺達を見逃す気なんかねえ──ここで戦うしかねえんだ」
刃を構え直し。
力強く一歩目を踏み出し。
そこで──松伏は爆散した。
「……!」
先ほどとは比べ物にならない勢いで眼前を荒れ狂う爆炎と轟音に、ミズハは目を細める。
「たいちょ──」
松伏に駆け寄ろうとした彼の部下二人も、同じように爆発した。
おびただしい煙が視界を埋め尽くす──横にいるクリスが油断なく逃げ道を探して視線をあちこちに飛ばしていた。この煙を逆に利用することを考えているのだろう。
彼女を制止すべく、ミズハは囁いた。
「クリス、一歩たりとも動いちゃあいけないよ──」
ざざあ、と木立を渡る風が吹く。
それは黒煙をいくらか吹き散らし、視界をわずかに回復させた。
胸の悪くなるような熱気と悪臭の向こうに、その少女はいた。
チルと名乗った、べそをかきながらおどおどとこちらを窺っている──爆弾魔が。
「どうやら彼女の能力は、『地雷を作り出す』ものであるようだ」
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