043:「その隙間を突くだけで」
「臨時治安部隊総司令官、詠木遠近の代理として来た者だ。通してもらえるかな」
ミズハの静かな言葉に応じ、粗末なカーテンが開かれた。
東部の街はずれ──『臆病な梟』の根拠地があるとされる山脈の麓にある森の中である。
樹木を柱代わりに建てられた簡便なテントは、軍の野営施設というよりは宿無しの仮住居に近かった。
ミズハに続いて汚いカーテンを潜り抜けたクリスが、わずかに顔をしかめる。
その微細な表情の変化を読み取って、テントの奥に座る男が豪放な笑い声を上げた。
「がっはっはっは──司令官の代理と聞いて誰かと思えば、嬢ちゃん二人か。汚い場所で済まねえな」
「予算不足は
「おお、違えねえ。まったく違えねえや、なあお前ら!」
男はそう言うと再び大声で笑う。
彼の周囲にいる部下たちも、同じように笑った。
「私のことはミズハと呼んでくれ。彼女は私の部下、クリスティアーナ」
「おう。俺ァ
松伏と名乗った男は、髭面を歪めてにんまりと笑う。
まるっきり山賊の見た目だった──毛皮を継ぎ合わせて作った服を筋肉質の体に纏い、腰には三本の刃物をぶら下げている。肩には小さな猿が乗っているが、蠱妖ではなく実体である。自然を根城にする者は危機察知のために小動物を飼うという話は聞いたことがあった。
周りを固める部下も大同小異の風体である。ほぼ間違いなく、山賊の一党が報酬目当てに東軍へ参集したという来歴を持つ小隊なのだろう。
「松伏小隊の評判は、ヨズマ副司令官から聞き及んでいるよ──我が部隊には珍しく、言うことを聞く部下だと」
「軍隊の評価基準じゃねえな、そいつは」友好の笑みが皮肉の色に変わる。「だが実際、まともに指令を受けて動けるってだけでここじゃ十分優秀なのさ──思えば可哀そうなモンだよ、ヨズマのおっさんも」
「まったくその通りだね」
「話せるじゃねえか、ミズハ嬢ちゃんよ」
愉快そうに笑いながら、松伏は懐から煙草を取り出して咥える──ミズハに箱の口を向けかけて、「吸うわけねえか」と独語しながら再び仕舞った。
「それで──私たちがここに来た理由なのだが」
「おう。報告した通りだぜ」煙草に火を点け、盛大に紫煙を吹き散らしながら松伏は言った。「『臆病な梟』のチンピラを捕らえた。聞いた話じゃ、東軍はいよいよこいつらを本腰入れて潰す気になったんだろ?」
「そうとも。しかし、よく捕まえたね」
「なんて事ァねえさ──大まかな場所だけでもわかりゃ、そこへ向かう足取りは見張れる。国境近くの山中への往来を調べ、地道に監視し続けただけだ」
誇らしげに松伏は言う。
簡単そうに聞こえるが、多大な労力を要する仕事だった──しかも支援らしい支援も受けずにやらなければならない。それこそ山賊のように、山で自活しながら任務を続けたのだろう。
ガラは悪いが、良い兵隊じゃないか──とミズハは思った。
「賞賛に値するよ。私たちはまさに、宝箱に手をかけている」
「それよ。あと一息で報われる──『臆病な梟』の貯めこんだ財宝が転がり込んでくる。だが、まだ油断はできねえ」
「捕らえた敵は?」
「別のテントだ。監視をつけてある──さあ、司令官代理。こいつらをどう使う?」
「ふむ」
ちらりと、ミズハはクリスを見る。
視線に応じ、クリスが控えめに語りだした。
「本拠地に案内させるのが一番だけれど──望み薄ね。組織の規模からして、彼らは制裁を何より恐れるでしょうから。解き放って、密かに後を尾けるのがいいかしら」
「嬢ちゃん、そいつも難しいぜ」松伏が胴間声を上げる。「奴らはこの山に慣れてる──おそらく、俺達以上にな。まともな装備もねえこの状況じゃ見失うのがオチだ」
「松伏隊長、では君の意見を聞かせてもらえるかな?」
「単純でいいんだよ、こういうもんは。恐怖は、別のより大きな恐怖で塗りつぶすしかねえ──『後で制裁を受けるかも』という恐怖より『今ここで殺される』という恐怖の方を大きくすりゃあいい。どっちにしろ死ぬにしても、できるだけ先延ばしにしたいのが人情だからな。ついでに言えば、捕らえたチンピラは五人いる──まあ、こいつを利用しない手はねえよ。五人のうち四人をこの上もなく惨たらしく処刑して見せりゃ、残り一人の価値観はころりと変わるだろうぜ」
クリスが口を横一文字に引き結んだ。
嫌悪感を表に出さないよう努めていることは明白だった。
前言撤回──とミズハは思う。良い兵隊どころか、まるっきり悪党の考え方だ。
これが最もまともな部類とは──まったく、この部隊は。
ため息を押し殺し、ミズハは静かに息を吸った。
「まったく実際的な思考法だ、と言わせてもらおう──作戦の基本は、君の考えに則るべきだろうね」
「ほう、案外物分かりがいいじゃねえか」
眉を上げた松伏を手で制し、「しかし」と続ける。
「恐怖を利用する、という君の考えは素晴らしいが、それをより効果的に生かす方法がある。聞いてもらえるかな?」
「聞こう」
「肉体的な暴力には、むしろ精神的に楽になってしまう逃げ道があるんだよ──忠義者ぶっている者は受難をむしろ自己陶酔にすり替えてしまうし、あまりに弱い者なら発狂して使い物にならなくなる。どうだい?」
「まあ、その種の奴はいるな」
「そして、経験豊富な君は暴力の恐ろしさを知り抜いているね。であればこそ、それに対抗する術も己の中で確立しているのじゃないかな?」
「ああ──そうだ」
「ということはつまり──君や君の部下のような
「そういうことになる」
松伏は頷く。彼はすでにミズハの術中に嵌っていた。
ミズハは松伏の意見を否定せず、むしろ推奨した──その上で自分の意見について逐一彼に問いかけ、同意を引き出す。肯定を積み重ねることで、最終的な案について初めから二人が合意のもとにあると錯覚させる。
「つまり、確実に望むとおりに動かすには、より根源的な恐怖を与える必要があると思うんだ──肉体的暴力はそれ自体を主眼とするのではなく、そのための演出の一つとした方が効果的だと思うんだよ」
「……と言うと?」
「他の奴らが裏切るかも、と思わせる──つまりだ、意地や矜持をもって自らの道を通す形で死ぬのではなく、他者の巻き添えを食ってただ敗北と汚辱の中で死ぬことを予期させ、その恐怖を煽るんだよ」
そこで言葉を切って、ミズハはテントの中を見回す。
今やその場の全員が、次の言葉を待っていた──今や、ミズハは完全に主導権を握っていた。
「一人目を選び、兵一人をつけて案内をさせる。兵は根拠地を見つけたら戻ってくる。時間を決めて──まあ一時間かな、それだけ経っても戻ってこなければ、ここに残っている四人のうちの一人を殺す。そして再び一人を選び、案内に出させる──」間を取って、ミズハは続ける。「とまあ、そういうようなことを五人の捕虜に伝える。全員を別個の場所で拘束した上でね」
「別個に?」
「そう。捕虜の心はどう流れるだろうか? ──彼らが忠義者であろうと、あるいは自分だけは助かりたいと考える裏切り者であろうと、どちらであっても自分を一人目にしてほしいと熱望するだろうね。その密約に応じ、対価として場所を先に聞き出す。それを五人分持ち寄れば──被る場所が出てくるんじゃないかな」
別個であれば、捕虜同士での連絡はできない。口裏を合わせて全員で偽の情報をつかませることはできないはずだ。
「それが正しい根拠地の可能性が高い、ってわけか」
松伏は顎髭を撫でながら、何事かを考えていた。
恐怖──それは他者の状況がわからないことによって増幅する。
人と人とのつながりは一つの武器だ、とミズハは考えていた。それは美辞麗句などではなく、実際に人は他者と切り離され孤立すれば、驚くほどに脆くなる。
その隙間を突くだけで──たやすく、崩れるようになる。
松伏は、やがて頷いた。
「面白えよ。やって損にもならねえようだし、それでいくか」
自分の方策に自信を感じながら、ミズハは頷く。
いい流れだ。これがうまくいけば臨時治安部隊は正規軍に対し、一方的に有利な立場に立てる。
確かな情報を持った自分たちの先導に従うしかない東軍──彼らを取り込むための足掛かりを一つ、手に入れた。
そう考えた時。
屋外で、爆音が轟いた。
「……!! 敵襲!?」
クリスが素早く首を巡らせ、テントの入り口を見やる。
松伏が慌ただしく立ち上がった。
「だとしたらマズいぞ……今の音、捕虜を監禁してる場所の方角から聞こえた」
なるほど、敵さんもやるものだ。
ミズハは小さく肩を竦めた。
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