(003):「断章3 大霊山という国の合わせ鏡」

 

 大霊山における異能──「呪術」と総称されるそれは、最も簡便な分類をした場合、二つに大別される。

 

 その一つ目は「魔術」であり、これは主に欧羅巴ヨーロッパ、あるいは英国や米国の錬金術キミア自然魔術ペイガニズム、儀式魔術や悪魔信仰を源流にもつ。これらは観察と分析をもって世界の理を解き明かそうとする方法論を有する点で科学に近しい面があるとも言えるのだが──科学の世界には厳然として存在する限界を超え、「真理」あるいは「完全な存在」を目的に持っている点、またその探求の過程に、本来不確かなものである「思念」あるいは「意思」というものを介在させる点において、魔術は科学に比してより混沌として隠秘的なものであると言えよう。

 

 今一つは「蠱術」と称され、そもそもの成り立ちは古代の中国や日本で行われた「蟲毒」あるいは「蠱道」──あるいはそれらの一変形である「憑物信仰」に見ることができる。

 特に憑物の一つである「犬神」には現在の蠱術に似た点が多数見られる。具体的には、「犬神」とは犬を殺し合わせ、あるいは飢餓状態に追い込んで、その恨みが頂点に達した瞬間に殺す──つまり肉体という軛から解き放つことで、現世の理に縛られることのないなにものかを作り出す技術である。それを突き動かすのは生前に蓄積された巨大な感情のエネルギーであり、肉体に付随する五感を失った魂──つまり「盲目になった魂」の感情の奔流に術者が恣意的な方向性を与えることで超常現象を引き起こすわけである。この流れは、現在の蠱術にほぼそのまま引き継がれていると言ってよい。

 総括すると、理性と知識を楔として外界に干渉し異能を引き起こす魔術に対し、蠱術は多分に感情的、精神的な要素に依ってそれを成すものである。

 

 留意すべきであるのは、魔術にしろ蠱術にしろ──その原形となった呪術の正当な進化と言うべき形を保ってはいない、という点である。

 アーキタイプとなる西洋魔術や蟲毒に世界各地の呪術が組み合わされ、今の形に至っている。そのような分析が最も現実を正しく捉えていると言えよう。

 我々の生活と共にある呪術──それは、多種多様な土地で様々な文化をもって育った人間たちが集まり、混ぜ合わさって一つになったこの大霊山という国の合わせ鏡ともいえる、ひとつの象徴シンボルである。

 

                ──八咫沢明水著『異能万華鏡』より抜粋


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