039:「願いを追うんだ」

 

 東軍最高司令官、詠木大小死亡──。

 その知らせが公にされた時には、ミズハはすべての指示を終えていた。

 

「ミズハ!!」

 

 息せき切って臨時治安部隊本部に駆け付けた遠近を、ミズハはにこやかに迎えた。

 

「ようこそ、総司令官殿。勝手ながら、すでに部隊を動かさせてもらったよ──あとは君が乗り込むだけだ」

「私は止めましたが、その」部屋の隅で、部隊副指令──とは名ばかりの左遷軍人、ヨズマが口髭を震わせて言い訳を呟く。「つまり、今回のことの責任はすべて彼女にあるわけでして」

「大小兄ちゃんが死んだってのは──本当なのか?」

「ああ。私はこの目で見た。現場は酷いものだったよ──まあ、あの様子じゃ苦しむ間もなくあの世行きだったろうね。唯一の救いと言えば言える」

 

 こともなげに論評するミズハに、遠近は目を丸くする。

 

「なんで、君がその場に?」

「第六感、というか」ミズハは首で自らの背後を示す。「私の中の蜥蜴が、妙にむずかったものでね。予感の赴くままに来た道を引き返してみたら、惨状に行き当たったというわけだ──現場には、頭部が破裂した死体の傍に鳥の羽根が落ちていた。言わずともわかるかもしれないが」

「梟の羽根、ってわけか?」

「その通り」ミズハはにこりと笑う。「まあ、東軍上層部と『臆病な梟』の間に何か仲たがいが起きたのだろう。霊前で不謹慎な話ではあるが、私は思ったよ──、とね」

「おい、君! いくらなんでもそれはないだろう!」

 

 ヨズマが相も変わらず部屋の隅で小さくなりながら、ミズハに難詰の声を上げる。

 

「大小様は総司令官殿の実兄だぞ──非礼にもほどがあるというものじゃないか!」

「家族の情から言えばそうだろうが、彼の持つ願いからすれば必ずしもそうではないのさ」

 

 さらりと言って、ミズハは遠近を見る。

 薄暗い部屋の中で、遠近は息を呑んだ。

 

「私は君の部下だ。そして、君の願いを私は確かに聞き届けた──ならば、それを成すために最大限の協力をしよう」

 

 ミズハの猫撫で声は、薄闇の中に怪しく響く。

 ヨズマが身震いした。

 

「ねえ、詠木遠近君」

 

 ミズハはまるで対等の友人のようにその名を呼んだ。

 

「人は誰しも願いを持つ。そして、願いを叶えるという事は程度の差こそあれ、常に難しいものなんだ──なぜかと言えば、まさについ今言った通り、誰しもが願いを叶えるために生きているからなんだよ。この世のすべてが有限である限り、願いを叶える者がいる裏には夢破れる者がいる。他者と競争し、抜きんでることができなければ自らの願いが叶うことはない。至極当たり前の理屈だろう──そして、その競争において他に先んずるために必要な物は何か? これも当たり前だが、『力』だ」

「力……」

「そうとも、力だ。そして今、それはそこにある。君の手に届くところに、どうぞ手に取ってくださいと言わんばかりの風情で、無防備に転がっている。君はただ、手を伸ばしてそれを掴めば良いんだ」

「それは……つまり」

「お膳立ては整えた」ミズハは楽しげに言う。「涼しい顔をして『臆病な梟』と裏で手を組んでいた正規軍上層部は弾劾される──私の手の者が彼らを急襲し、また一方でクグルノが正規軍の一人に成り代わってこちらの都合の良いように動いてくれている。近いうち、正規軍は同盟を破棄して『臆病な梟』の討滅に向けて本格的に動き出す」

 

 『臆病な梟』による、詠木大小の殺害。その衝撃的な事実は、均衡を保っていた両者の関係を大きく揺るがす一手に変えるには十分なものだった。

 裏で繋がり、『臆病な梟』の存在を黙認していた正規軍──それが、遠近の希望に重なる動きを始める。

 事実上──遠近の援軍となる。

 それは臨時治安部隊には願ってもない朗報だ。土台、寄せ集めの小勢で叶う相手ではない──臨時治安部隊一つでは勝機のない戦いも、正規軍が敵と正面からぶつかって消耗し合ってくれたならば。

 国軍まるごとを囮に、あるいは捨て石に利用できるのならば。

 

「さあ、あとは総司令官たる君が決断するのみだ」

 

 ミズハは座っていた椅子から立ち上がる。

 かび臭い空気の中を、泳ぐように進んだ。

 

「願いを追うんだ、総司令官殿。肉親の死をも利用し、被害の想定すらままならない争乱を煽る──それくらいの業深さは、欲しいもののために呑み込むべきなんだよ」

 

 戸口の前──遠近の目前で、立ち止まる。

 至近距離で、二人の視線が交錯した。

 

「…………にはは」

 

 掠れた笑い声を漏らした、その顔は。

 卑しさと純粋さを併せ持った──奇妙な表情だった。

 

「言うねえ、ミズハ──いいよ、いいじゃん。まだ出会ったばかりなのに、すっかり俺の根っこを掴んじゃったみたいだ」

 

 遠近はミズハの手を取る。

 その目には、今までにない昂ぶりが見て取れた。

 

「そうさ──俺は願いを持っている。他の何を捨てても欲しいものがある。危ない橋だって後ろ指だって歓迎さ──だからこそ、俺はここにいるんだ」

「見込んだ通りだよ、総司令官殿」

「ミズハ隊員、気働きに感謝する──いっちょ、君の口車に乗ってやんよ」

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