038:「私も、同じだから」
「んで? アンタ、あたしに何をさせようってんだ」
天光軒の看板に「臨時休業」の張り紙をしながら、マキナは問いかけた。
問われたキーラは、店内の施錠確認をしている。
「ええ……お話は車の中でしましょう。誰の目が光っているかわかりませんから──まずは後片付けを」
「片づけはこいつで終わりさァ」マキナは貼り終えた紙を平手で叩く。「車か。ま、どこへなりと行ってやるよ──フウが無事に帰ってくるんならなァ」
「ご安心下さい。誓って、傷一つつけずにお返しいたします」
静かに答えて、キーラは戸口から出てくる。すれ違うようにして、マキナは店内に首を突っ込んだ。
数日前と今日の争いで荒れた部分は、すべて整えられていた。
「傷ついた壁や家具も、すぐに修繕の手配をいたします。そして、先ほども申し上げた通り──このお店は、『臆病な梟』が総力を挙げてお守りいたします。不在の間も、どうかご安心を」
何も答えず、マキナはただ鼻を鳴らす。
店の前の通りに出たキーラは半分だけ振り返り、肩越しにマキナを見つめた。
「裏通りに馬車を止めてあります──さあ、参りましょう」
「マキナ様……あなたには、『旗印』となって頂きたいのです」
石畳を揺れながら進む馬車の中で、キーラはそう言った。
「旗印……か」
マキナは窓の外に顔を向ける──しかし、ガラスの外には黒色しか見えなかった。暗幕が張られている──外から馬車の中を見られないようにするため、そしてこれから行く先が『臆病な梟』の本拠地だとしたら、そこへの道筋を明かさないための装備だろう、とマキナは考えた。
「まァ、今までの説明で『臆病な梟』内部に造反者が出てきているのはわかった──あんたの属する守旧派が勢力的に不利だってこともな」
マキナは向かいに座るキーラを見やる。
馬車の中での説明は、まさに組織の重大事といっていい内容だった。
数十年間、闇に潜みながら東部の隅々にまでその威を光らせ続けてきた『臆病な梟』──目の前の少女はその総帥の、後継者であるらしい。
巨大犯罪組織は代替わりの時期を迎えている──それが総帥の老齢や不調によるものなのか、あるいはそれ以外のものなのか、そこまでは説明がなかったが、とにかく後継者としてキーラが指名されたことで、幹部の一人が不満を持った。
その男の名はカガリ──腕は確かだが元々急進的な男で、無理のある利権拡大が問題視されていたらしい。彼は荒れ、より大っぴらに自身の配下を暴れさせ始めている。
彼に従う者も多く、このままでは組織の統制は崩壊する──それを防ぐため、キーラ派は求心力を盛り返す何かを必要としている。
「しかしなァ。それが、どうしてあたしなんだよ」マキナは口を尖らせる。「何度でも言うけどなァ、あたしは殺し屋でもマフィアでもねえ。真っ当な音楽家だぜ」
「他の者は、そうは見ておりません」
真剣な瞳で、キーラは答えた。
淡い明かりがともされた馬車の中で、二人の視線がぶつかった。
「裏の世界に響き渡る、無敵の逸話──『
「あたしはただ、降りかかった火の粉を避け続けただけだぜ」
「存じております」キーラは小さく頷く。「しかし、それでもあなたの盛名は轟いている……あなたの実力はもとより、その過去も含めて」
──過去。
その言葉に、マキナの眼光が鋭くなる。
「あんだとォ……」
「お分かりのはずです。闇の歴史に名を刻む、大霊山史上最大の盗賊──『
「やめな、キーラ」
「そんなあなたは──私たち、闇の世界の人間にとって」
「やめろって言ってんだぜ、あたしはよォ」
「私たちの──希望となり得るのです」
「やめろォッ!!」
大声を上げて、マキナは座席を拳で叩く。隣に立てかけられた楽器がごとりと揺れた。
「胸糞悪ィ名を聞かせるんじゃねェぞ……その名のせいで、あたしがどれだけ苦しんだと思う!」
身を乗り出して、キーラの胸ぐらをつかむ。強い力に、キーラの首ががくがくと揺れた。
「弟子だと? ふざけんな……
手に力がこもる。
キーラが顔をしかめ、苦しげに喘いだ。
「恐れる奴、爪弾きにする奴、名を売ろうと襲ってくる奴、虚名を利用しようと取り入ってくる奴──どいつもこいつもクソの山だ! あたしはただ、あたしでいたかっただけなんだ……なのに、お前らみたいな奴らのせいで町から町へ流れてゆくことしかできねェ!!」
──マキナ、今日もお疲れさん。
──マキナちゃん、今日も元気かい?
──音楽家の姉ちゃん、また一曲頼むよ!
マキナの脳裏に暖かい声がよぎる。
偶然の出会いから潜り込んだ店──天光軒は、マキナにとって限りなく心地よい場だった。
賑やかな声。
客の笑顔。
フウの柔らかな言葉。
美味い料理。
自らの奏でる、喜びの旋律。
穏やかな空気。
優しい空間。
いつか失われてしまうと予期してもいた。覚悟もしていた。
しかし、いざその時が来れば──こんなにも、心が揺れている。
もう、あの心地よい輪の中にマキナは帰れない。
こいつらが来たことで、噂は広がるだろう。
あの無邪気な笑顔を向けてくれる人は、誰もいなくなる。
今までに何度も経験した。
でも、今度はどうして、こんなにも──
ぽたり、と。
マキナの手に、雫が落ちる。
「…………」
マキナは黙って見つめる。
喘ぎながら、呻きながら──キーラはマキナを一心に見据えたまま、その大きな瞳から大粒の涙をこぼしていた。
「何を、泣いてやがる」
「マ……キ……ナ、さん……」
「苦しいだけだろ。泣いて命乞いか」
「ちがう…………わか、るんです……」
「あァ!?」
「呪われた、過去……望まないで、背負った重荷……私も、同じだから……」
「何を言ってるんだ!? お前なんかに、何が──」
「『臆病な梟』……総帥の、梟公は……私の、祖父です……!」
「…………!」
マキナは手を放す。
床にくずおれたキーラは、肩で息をしながらも言葉を止めない。
「祖父は……病気なんです。両親を喪った私を、祖父は育ててくれた……それが裏の世界で稼いだお金だと知っていても……私の生活が、無数の人の嘆きや痛みの上にあるとしても……それでも、私は祖父に感謝しています」
「…………」
「そんな祖父が現在、苦境にある……老いて病み、組織を維持できるだけの統率力が失われつつある……その事実を知って、私は最初で最後の恩返しをしなければならないと思ったんです……それをしなければ、きっとこの先一生……私は私を許せない」
「……それで」
マキナの中で、何かがつながった。
裏家業の人間とは思えない、丁寧な物腰。
人質を取る卑劣さに自己嫌悪を隠せない、その精神。
どう考えてもこの世界に向いていない純朴さだと思っていた──それはそのまま正解だった。キーラは、向き不向きに関係なく、己の意思でもなく、ただ境遇ゆえに闇の中に引きずり込まれた。
同じ──か。
身を投げ出すように座席に腰を沈め、マキナは怒りを忘れてぼんやりと窓を見た。
闇夜の中の一筋の光すら遮ってしまう、漆黒の窓を。
「…………嫌な夜だぜ」
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