034:「その呪いを解きたいんだ」

 

 東軍の借り上げている宿舎はとりたてて豪華でも広くもなかったが、こじんまりとした中に必要な設備が一通り揃っていて暮らしやすそうな印象だった。清潔だし、少なくとも前の住処よりは上等だ、とミズハは思う。

 荷物を運び入れ、ひとしきり部屋の中を見回り終えたミズハは、部屋の隅のベッドにごろりと身を横たえる。

 短い休憩を除いては昼夜兼行だった旅路、そして予定外の遭遇戦──それらを経たミズハの体はくたくたに疲れ切っていた。冷たいシーツに体温を奪われるのと同調して、波が寄せるように眠気を覚える──

 

「随分早寝だね」

 

 緊張感のない声に、ミズハははっと目を開けた。

 窓の外の光は幾分か暖色に近くなっているものの、まだ陽が傾いたとは言い難い光量を部屋の中に降り注がせている。入室してから一時間ほど経っているだろうか。

 声の主は、ベッドの脇の椅子に腰かけてミズハを覗き込んでいた。

 

「総司令官殿」

「おは~」

 

 にこりと笑い、遠近は椅子から立ち上がった。

 

「お休み中悪いけど、ちょい用事。キミ一人で足りるからついて来て」

 

 

 午後の日差しのもとで、人々がせわしなく街頭を行き交う。

 二人は元来た道を引き返し、東部軍務省本部へ入った。

 しかし、今度は臨時治安部隊ペニーホイッスル本部へ続く地下への道ではない──相変わらず憮然としている受付の男を通り過ぎ、上層階へ向かった。

 

「総司令官殿、用事とは?」

「んー、顔見せ」

「顔見せ? 誰かに会うのかい?」

「そ」

 

 階段を上り終え、遠近は頷いて扉を示す。

 総司令官室、と書かれた札が張り付いていた。

 

「俺のお兄ちゃん──東軍総司令官にね」

 

 遠近はぞんざいに扉を開ける。

 臨時治安部隊本部とほぼ同等の広さ──しかし猥雑で薄汚いあそことは違い、こちらは調和と重厚感に支配された部屋だった。

 黒檀の執務机の向こうから、一人の男が胡散臭げな視線を寄越す。

 痩せぎすのその男は、目元に遠近と似たものを持っていた。

 

「……何の用だ、遠近」

「そう邪慳にしないでよ、大小だいしょう兄ちゃん」

 

 東軍総司令官──詠木大小よみきだいしょうは、苦々しげな表情を隠そうともせずに小さくため息をついた。

 

「俺は忙しい。父上の目を盗んでわけのわからん不正規部隊を作って遊んでいるお前にかかずらっている暇はないんだ」

「目を盗んでって何? 父さんの了解は得てるし。っつーか、賊討伐は東部の危急任務っしょ?」

「正規軍で手は足りている!」大小は声を荒らげる。「むしろ、お前が大した審査もなしに怪しい連中を呼び寄せるのは迷惑なんだ」

「蛇の道は蛇だよ、兄さん」

「わかったような口をきくな、半端者」

 

 その言葉を受けて、遠近の目尻がぴくりと痙攣する。

 表情をこわばらせた遠近とは対照的に、大小は小さな笑みを浮かべた。

 

「何の結果も出していないお前に、何も語る資格は無い。軍務は俺、政務補佐は難易なんいが問題なく取り仕切っている──実力もないのにそこらをウロチョロせず、お前はお前のできることを探せ。さしあたり、今まで通り父上の使い走りを続けておけばいい」

「何の問題もなく? 東部のこの治安に問題がないって、それマ?」口角を歪めて、少し苦しそうに遠近が吐き捨てる。「兄ちゃんが何と言おうと、俺はやりたいようにやる。言っとくけど、臨時治安部隊に大型新人が入ったんだよね──歴史書にも記述がある蠱妖、『贄蜥蜴』だぜ」

 

 遠近に指し示され、ミズハは自己紹介をしようと口を開く──しかしその猶予も与えず、大小はあからさまに嘲笑を浮かべた。

 

「そんな恐ろしい存在にはとても見えんお嬢さんだが? ガセ情報を掴まされたんだろう」

「違うって。確かな情報筋から聞いた話とも一致すんだよ──」

 

 遠近はどうやら事前にミズハの情報を仕入れていたらしい。

 ミズハを狙う殺し屋か、それとも東部への道を示唆したユークあたりだろうか、とミズハは思った。

 

「もういい」

 

 大小は飽き飽きしたように、きっぱりとした口調で弟をはねつけた。

 

「お前が何をしようが構わない。しかし何があろうと──俺の預かる東軍は、お前の不正規部隊の協力を一切必要としない。精々無駄な努力に励め」

 

 言い終わると、机の上の書類に目を落とす。これ以上の会話を不要とする意思表示だった。

 遠近は舌打ちを残して扉を蹴り飛ばし、廊下へ出る──ミズハは適当に一礼し、慌てて遠近を追った。

 

 

「悪いね、無駄足になっちゃって」

 

 廊下を進みながら、遠近はそう言ってよこした。表情は平素通りに戻っている。

 

「いや。なんというか──」

「気遣いはいらないよ。大小兄ちゃんも難易兄ちゃんも、ハナから俺を役立たずと決め込んでやがる」遠近は苛立ちと自嘲が同居した表情を浮かべる。「小さい時からそうなんだ。俺は何の期待もされてない──ムカつくよなあ」

「だから、総司令官殿は何か大きいことをしたいわけだ」

 

 東部に巣食う一大マフィア──『臆病な梟』の殲滅。それが叶えば、確かに家族の鼻を明かすことができるのかもしれない。

 

「ま、半分正解」

 

 遠近は気を悪くした風もなく片眼を瞑った。

 

「兄ちゃんや父さんに俺を認めさせたいってのもある。でも、もう一つ──ずっと役立たず扱いされて育つとさあ、自分でもそうなのかなって思っちゃうようになるもんなのよ。そうじゃないはずだ、っていくら思っても、心のどこかでそれを認めてる。自分自身が分裂したみたいにね。どうやっても消えない、まるで呪いだ」

 

 呪い。

 蠱術を用いずとも──人は人を呪える。

 言葉で、行動で、扱いで、人は他者の中に呪いを生み出す。

 呪いによって縛る。

 心を。

 運命を。

 人生を。

 

「俺はその呪いを解きたいんだ。役立たずで負け犬の俺じゃない、確固とした何者かになりたいんだよ」

 

 窓から注ぐ日差しに照らされながら、遠近は真剣な目でミズハを見つめた。

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