033:「本当に、申し訳ございません」

 

「申し遅れました──私の名はキーラ。キーラ・アレクセエヴナ・ベルミノヴァと申します」

 

 犯罪集団『臆病な梟』の使いの少女は落ち着いた声で自己紹介をし、一礼した。

 その場違いなまでの礼儀正しさに、却ってマキナは不信感を募らせる。

 その日暮らしの流れ者であるマキナは、世界の表も裏も見てきている──表は表らしく、裏は裏らしく生きることが結局は栄達出世の近道だという事を知っていた。他者を慮らない乱暴者は表の世界で爪弾きにされ、一般社会の常識を引きずる輩は裏の世界では嘲笑の的になる。中にはそんな周囲の評価をものともせず、自分のリズムを貫く者もいるのだが。

 つまり、キーラと名乗ったこの少女の丁重な態度には、二通りの可能性がある。

 他者にいらぬ口出しをさせないほどの実力者か、

 あるいは──何かを狙って、礼儀正しさを演じているのか。

 

「……キーラさんよぉ、アンタが何を考えてあたしを勧誘してんのか知らねェが、あたしにゃその気はねェ」

 

 ゆっくりと、しかしはっきりとマキナは言う。

 

「あたしは流しの音楽家──本来、荒事や犯罪に関わるモンじゃねェんだよ。その上、今はこの店の従業員だ──そしてその立場に満足してる。大方、あたしの能力を知ってスカウトに来たんだろうが、ヤバいことに足を突っ込んでまで金儲けしたかねェのさ。生活できる程度の金と、あたしの曲を喜んでくれる人がいるだけで満足なんだ」

「……裏の世界にその名が響き渡る『死にたがりの鼬スーサイドウィーゼル』様とは思えないお言葉です」

「周りの奴らが勝手に言ってるだけだ。あたしの意思とは関係ねェ」マキナはきっぱりと拒絶する。「話は終わりだ、穏便に帰ってくんな」

「そんな。どうかお話だけでも……聞いて頂けませんか」

「…………」

 

 警戒して言葉を返さないマキナから視線を外し──キーラは、相変わらず身を低くして隣のフウを見やった。

 

「店主様とお見受けいたします──貴方様にも、先日のご迷惑を心からお詫び申し上げます」

「え──ああ、ええ」

 

 フウは戸惑いながらも、持ち前のお人よしぶりを発揮してぺこぺこと頭を下げる。

 そこに警戒はなかった。

 

「こちらのお店──『天光軒』でございますか──開店から間もない店ながら、界隈には評判が流れております。美味しい料理を出す、雰囲気の良い場所だと」

「はあ、あの、どうも」

「雇用主のあなたからも……マキナ様にお口添えをしていただく訳にはまいりませんでしょうか。見返りと申しては何ですが、『臆病な梟』総力を挙げてこちらのお店には便宜を図らせて頂きます」

「あ……はあ、あの」

 

 深々と頭を下げるキーラを見ながら、答えにくそうに、しかし確固たる調子でフウは答えた。

 

「すみませんが、お力にはなれません。マキナは有能な従業員ですから手放すことはできませんし──何より彼女が拒否した以上、僕はその意思を尊重します」

 

 キーラはゆっくりと、頭を上げる。

 その瞳には、何か異様な光があった。

 マキナはその色を知っていた。

 これは──覚悟。

 

「お気持ち、承りました。しかし、私も諦めることはできません──腰を据えてお願い申し上げるつもりです。店主様、申し訳ございませんがお水を一杯頂けませんか?」

「……わかりました」

 

 素直に応じ、厨房に向かうフウ。

 彼の背を見つめながら──キーラは、さっと右手を振った。

 

「フウ、下がれ──」

「失礼いたします」

 

 マキナの制止よりも早く。

 キーラの声と共に、洗い場の水の中から何かが飛び出した。

 

「きゃ────っきゃっきゃ! お兄ちゃん、一緒に泳ごっ!」

 

 ざばりと水をまき散らしながら現れたのは──ひとりの少女だった。

 褐色の肌に、幼い顔立ち。黒ずくめの服は水を吸って小柄な体にぴったりと張り付いている。

 奇妙な笑い声を上げながら、少女は数歩の距離まで近づいていたフウを背後から抱き締め──身をうねらせて流し台の中に引きずり込んだ。

 

「フウ!!」

 

 慌ててマキナは厨房に駆け寄る。

 覗き込んだ流し台の中にはすでに二人はいない──いつも通り、いくつかの皿やスプーンが浮いているばかりだった。

 

「転移系の能力か……てめェ、これを狙ってやがったのか……!」

 

 吐き捨てたマキナの言葉に、振り返るキーラ。

 その瞳には──抑えきれない罪悪感が宿っていた。

 

「マキナ様──本当に、申し訳ございません」

 

 身を切られるような痛みを感じているように表情を歪めて、キーラは改めて深々と頭を下げる。

 

「しかし私には、こうするしかないのです……! 是が非でもあなたにご協力いただかなければ、私達に未来はない!」

「な……に……?」

「部下の蠱術は『濁鱶にごりふか』……水がある場所ならどこにでも身をひそめられ、潜っている間は外界から一切の手出しはできません。彼女が触れていれば、他者も連れてゆくことが可能です……貴女さえ私と一緒に来ていただければ、店主様──フウ様、と仰いましたか──は、すぐに解放いたします。迅速にご決断頂ければ、窒息されることもないでしょう」

 

 やられた。

 キーラはマキナ自身の言った言葉──「今の環境に満足している」という言葉を逆手に取り、その環境そのものを人質に取った。

 おそらく、最初からこのつもりだったのだ。数日前、キーラの部下のごろつきと相対した時──マキナがフウを庇ったという事実を知った時から、この筋書きはできていたのだろう。

 作戦勝ち、としか言いようがなかった。

 しかし。

 

「おい……あんた、何を」

 

 勝っているはずのキーラは、床に膝と手をつき──美しい金髪を、床に擦りつけていた。

 彼女は、マキナに向かって土下座していた。

 

「どうか……どうか、卑怯な手を使わざるを得ない私をお許しください! そして、私をこの罪深い行為から解き放ってください……一秒でも早く、フウ様を解放させてください……!」

 

 マキナは呆気に取られて黙り込んだ。

 眼前の少女の行動がまるっきり理解不能だった。

 限りなく冷徹な手段を取り、有無を言わさず協力せざるを得ない状況を作り出しておきながら──その一方で無礼を詫び、哀願する。

 まるでちぐはぐな行動──彼女は、きっと裏の世界には向いていない。詳しい事情はまだ聞いていないとはいえ、この性質が現在彼女を苦境に立たせている要因の一つであろうことは容易に想像がついた。

 そしてそれを脱するために、マキナは手を貸さなければならない。そういうことか。

 

「面倒臭そうな話じゃねェか……」

 

 マキナは溜息とともに呟いた。

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