032:「気の長い方じゃねェんでな」

 

 酒場『天光軒』──ついさっきまで和やかだったその場所が、俄かに殺気に満ちた。

 二人のごろつきは懐から拳銃を取り出し、何のためらいもなく引き金を引く。

 連続する銃声──しかし、マキナはするりと半身になっただけですべてを回避した。

 店にいた数人の客が流れ弾を恐れて我先に店外へ逃げ出す──フウもカウンターの奥へ身を避けながら、ただ驚いていた。

 人を殺すことへの躊躇の無さ、油断のない行動──二人の男は間違いなくプロだ。そして彼らの攻撃に慌てず対応するマキナもまた、修羅場をくぐってきた経験があるのだろう。自ら用心棒と名乗るだけのことはある。

 店主としては従業員の命を張らせるようなことは本意ではないが、これを見せられてはもはや自分に何ができるとも思えなかった。

 

「銃弾を……避けやがった。この距離で」

 

 身長の低い男の方が呻くように言う。

 

「お前らが外しただけだろ。偉そうなくせに、大した腕じゃァねェな」

 

 馬鹿にするように応じたマキナの左目が、不意に光った。

 比喩ではない──まるで眼球自体が燃え上がるかのように、顔半分が靄のような光に包まれる。同時に、彼女の背後にぼんやりと何かが現れるのが見えた。

 

「蠱術──『焦眼鼬しょうがんてん』」

 

 マキナは呟き、さっと踏み出す。

 手に持った楽器を棍棒のように持ち替え、リズムよく二人に向かって押し出した。

 

「ぐ……っ!」

「あ……!」

 

 貫く音も、砕く音もなく。

 ただ、とん、と少し強めに突いただけのように見えた。

 しかし──左胸、心臓のやや下を楽器で押された二人は、なす術もなく倒れる。

 まるで芝居のような光景だった。

 

「すぐに痛みは治まる──回れ右して帰るこったな」

 

 マキナは男たちを見下ろして言う。

 無造作に楽器の持ち手にあるつまみを捻る──先端から長い刃が飛び出た。

 瞬く間に大薙刀に代わった楽器を構えて、その切っ先を大男の鼻先に突きつけてマキナは続けた。

 

「チンピラとは言え、殺すと色々と面倒だ──それにこの店にも迷惑がかかる。だから優しく撫でるだけにしてやったんだぜ。とは言えあたしは気の長い方じゃねェんでな、もう一度向かってくるのなら今度は手加減できねェがよ」

 

 恫喝も威圧もなく、ただ事実を述べるように呟くマキナに、男たちは震えあがる。

 

「おい……こいつ……」

「ああ……ま、間違いねえ……」

 

 頷き合わせたかと思うと。

 男たちはよろけながら立ち上がり、ほうほうのていで逃げ去った。

 

「ふー……」

 

 深く息をつき、マキナは楽器の刃を引っ込める。

 振り返ったマキナの目はもう元に戻っていた。

 

「さて……フウ、後片付けだなァ。絨毯と壁に穴が開いちまった──壁の弾痕はまァ、横の額縁をずらして隠しゃいいが、問題は絨毯だぜ。あたしは繕い物は苦手なんだ」

「僕がやるよ」打って変わって暢気な言葉に戸惑いながらも、フウは答える。「ありがとう──マキナ。大変だったろ」

「なァに、お安い御用さ……ただ、少し腹が減っちまってなァ」

「そう言うと思った」

 

 調理場に向き直ったフウは、油の満たされた鍋に火を入れた。脇に置かれていた、調味液に付け込まれた鶏肉を引き寄せる。

 

「有難ェ!」

 

 にっこりと、マキナは笑った。

 

 

 

 翌日、男たちが仲間を揃えて戻ってくることはなかった。

 最初の頃こそ心配していたが、徐々に気にならなくなってきた頃──マキナの大立ち回りから三日後、この間と同じような時間帯に『天光軒』の扉が開かれた。

 

「失礼いたします」

 

 澄んだ声と共に入ってきたのは──十代前半に見える少女だった。

 白金色の髪に透き通るような肌、晴天の空のように蒼い眼──人形のように美しい少女というだけで外見に怪しいものは何もないが、深夜の酒場に足を踏み入れる人間とは思えない。のみならず、そのような場違いな状況において、彼女はごく当然のように落ち着き払っていた。

 ただの客じゃない──それは一瞬でわかった。マキナも仕事の手を止めて、少女に歩み寄る。

 

「いらっしゃい。ここの超美味い唐揚げが目当てか──それとも別の目的か?」

「或塔潤蒔菜様──いえ、『死にたがりの鼬スーサイドウィーゼル』様とお見受けいたします」少女はマキナの目を見つめ、微笑む。「部下が失礼をいたしました。ひらにご容赦を」

 

 死にたがりの──鼬。

 彼女の異名なのだろうか、とフウは思う。

 確かに──三日前、男たちと戦った時、目を光らせたマキナの背後には──半透明に透けた大きな鼬が、付き従うように這っていた。

 否定することもなく、マキナは少女を見返す。

 

「あんた──あいつらの親玉か」

「とんでもない、私はただの使い走りです──梟公きょうこうに代わり、あなたにお会いするためにやってまいりました」

 

 梟──公。

 フウは息を呑む。

 東部では知らない者がいない大犯罪組織──『臆病な梟』。誰もがその影に怯え、告発も噂話もできない存在。経済、行政、司法──東部の民衆の生活を取り巻くあらゆるものに一枚噛んでいるらしいその組織の首魁を、構成員は畏敬を込めて梟公と呼ぶ。

 三日前の男達はただのチンピラではなかった──よりにもよって『臆病な梟』と繋がっていたのか。

 

「部下の蛮行、幾重にもお詫びいたします。貴女様を探しておりました──どうか、我々にご協力頂きたいのです」

 

 梟の使いは、恭しく頭を垂れた。

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