031:「ここはあたしに任せな」

 

「マキナちゃん、今日も可愛いねぇ」

「あァ? オッサン、そういうお世辞はかかあに言いなよ。子供も二人いんだろ? 毎晩飲み歩いてないでたまには家族で食卓囲みなって」

「ははッ、違いない。でも許してやってくれよ、こいつは仕事終わりにここの料理で一杯ひっかけるのだけが楽しみなんだから」

「ま、そいつァ店としちゃ有難ェんだけどさ」

「マキナちゃん、今日は歌わないの?」

「歌ったことなんかねェっつの。あたしは演奏者だよ──合間があったら今日もやるよ。楽しみにしといてくんな」

「おっ、いいねぇ!」

「マキナちゃーん、こっち唐揚げ追加頼むよ」

「はいよ──フウ、オーダーだ。唐揚げ一皿」

「了解」

 

 喧騒の中でくるくると立ち働くマキナに向けて、フウは厨房の奥から軽く手を振った。

 酒場兼食事処『天光軒』がオープンして二週間ほど経つ──客入りは順調だった。手前味噌ながら自分の料理の腕にも自信があったが、この結果はそれだけが要因ではないとフウは考えている。

 突然押し掛けた従業員──或塔潤マキナは、存外に看板娘としての素質があった。

 見た目こそ悪くないが、物腰は一般的な「魅力的な女性」には程遠い──女性らしい穏やかさ・優しさ・艶やかさとは無縁だが、しかし気安くて気風の良い朗らかさは客に愛されていた。

 これも生まれ持った彼女の能力なんだろうな──とフウは衣をまぶした鶏肉を油に沈ませながら思う。彼女を得たことは、この店にとって幸運だった。

 

 数分で調理が完了し、フウは盛り付けの済んだ皿をカウンターに置く。

 

「はい、唐揚げお待ちどう様」

「はいよっ」

 

 先日買ったばかりの真新しい仕事着──エプロンと一体化した黒のワンピースの裾を揺らせながら、マキナがカウンターに走り寄る。

 皿を引き寄せ、盆に載せる前に──さっと唐揚げの一つを指でつまみ上げ、口に放り込んだ。

 カウンターの近くで飲んでいた客が、悪戯っぽい声を上げる。

 

「あっ。マスター、マキナちゃんがまたやったぜ」

「おい、告げ口すんなや」

 

 唐揚げで頬を膨らませて客に抗議するマキナを見ながら、フウは笑った。

 

「大丈夫ですよ──いつものことだから、最近は一個多く作ってますんで」

「マスターはお見通しか」

 

 素知らぬ顔でさっさと盆を運んでいくマキナを見送って、客は笑う。

 フウもつられて笑った──この空間に居心地の良さを感じていた。

 自分が長く夢見ていたのは、こんな店を作ることだったんだ。

 

 

 

 和やかな宴は続き──夜も更けてくると、客足がいくらか落ち着いてきた。

 料理のオーダーもひと段落付き、店に残っている客は軽いものを少しづつつまみながら酒を楽しんでいる。

 

「さァて──」

 

 下げる皿もないことを確認して、マキナはゆるりと部屋の隅に寄り、そこに立てかけてあった彼女の楽器を手に取った。

 この日何度目かの演奏だった──混んでいる時間帯には賑やかで楽しい調子の曲で店内を盛り上げるが、この時間帯には落ち着いた静かな曲を奏でることが多い。レパートリーの多さとそれを出す臨機応変さを併せ持つ、彼女の腕は確かだった。

 小さな椅子に腰かけ、楽器を膝に乗せて爪弾き始める──低く、長く伸びる単音から始まったその曲は、ゆっくりと音を増やし、複雑な旋律に変わっていく。思わず聞き惚れて洗い物の手が止まっていたことに気付いて、フウは苦笑した。

 店内の客も、しっとりと流れるメロディに身を委ねている。静謐な時間がそこにはあった。

 

 その調和が──大きな音で乱される。

 扉が開いた音だった。

 靴を床に叩きつけるような荒々しい足音で入ってきたのは、二人の男である。どちらも体格が良く、剣呑な雰囲気を纏っていた。

 

「邪魔するぜ。店主はいるか」

 

 先頭に立つ大男が、酒に灼けたひび割れ声を出す。美しい旋律に包まれていた店内で、それは一際不快な音に聞こえた。

 

「店主は僕ですが」

 

 カウンターを出て、店の真ん中に立つ男達に近寄る。

 大男は傲然とフウを見下ろし、害意を隠そうともしない声で言った。

 

「てめえ、誰に断ってここに店を開いてやがる」

「……産業庁から営業認可は受けていますが」

「そんなことを言ってんじゃねえ!」

 

 急に大男は声を荒げる。

 横から、いくらか背の低い連れの男が割って入った。

 

「お兄さん、商売ってのは義理を通さなきゃなんねえよなあ。客の求めに応えて、酒や料理を提供する。それと同じように、店を守る存在に対して、あんたがたはその対価を払う。わかるよな?」

「守り代──ですか」

 

 暴力組織が縄張りの中にある店に対して要求する金銭のことだった。

 勿論、守り代とは名ばかりである。払わなければ彼らはもっと従順な店主の店に代わるまで嫌がらせをし続ける──その不利益を避けるために上納される金に過ぎない。言うなら守り代とは彼らがこの店を守ってくれる、その必要経費ではなく、彼ら自身から身を守るための金なのである。

 この町の守り代の相場は、前にこの店舗を使っていた老人から聞いていた──準備もしてあったが、従業員を一人抱えたことでそれは切り崩されていた。

 

「すみませんが、今は持ち合わせが」

「舐めてんのか、てめえ? 調べはついてんだ──この店、かなり繁盛してるみたいじゃねえか。金がないだと、ふざけた寝言ぬかしてんじゃねえぞっ!」

「備品とか、開店の際に結構借金してるんです。すぐには儲けなんて出ないですよ」

「ああ!?」

 

 冷静に対応するフウに、大男が再び大声を張り上げる。

 脇の男が取りなすように大男の肩に手を置き、いくらか優しい声をフウに掛けた。

 

「まあまあ落ち着けよ──お兄さん、つまりあんたはこう言いたいんだな? 払う意思はあるが今は金がない、少し待って欲しいと」

「……ええ」

「わかるよ、何事も予想外の出来事はつきものだ。払うつもりだったが意外に経費が掛かって手元に満足な現金が残ってない、ありそうなことだな。俺達も分からず屋じゃない、気持ちよく待ってやりたいところなんだが──それが通れば他の店にけじめが付かねえんだ。何しろ、本当は持っているのに『足りない』と言えばいくらでも引き延ばせる、そういう間違った考え方をあんたの行動から学んでしまう奴がいるかもしれないからな」

「僕が嘘を吐いていると?」

「そうは言ってねえ、そうは言ってねえよ。ただ──待たせるなら待たせるで、しっかりした担保がねえとな。それが大人の世界ってもんだ」

「担保、ですか。満足なものは何も」

「いやいや、そう決めつけることはない」

 

 フウの言葉を無視して、男は店内を眺める。

 店の奥──楽器を持ったまま壁に凭れているマキナに、視線が止まった。

 

「ありゃ、ここの店員だな。そう──あの娘でいいや」

 

 男の目に好色の光が宿る。大男もにやにやと笑みを浮かべた。

 こいつらは──獣だ。

 フウの肚に怒りが燃えた。

 

「折角ですが、そんな要求には応えられません。店のかたに従業員を差し出すなど、店主として最低の行為です」

「いいよ、フウ」

 

 決然として放ったフウの言葉を押しのけるように、マキナが立ち上がる。

 意外な返答にフウは驚愕した──対照的に、男たちは笑い声を上げる。

 

「そっちの嬢ちゃんはあんたより賢いようだな。なに、大した苦労じゃないさ──」

「勘違いするな、ゴミども」

 

 男たちの上機嫌をへし折るように、マキナが鋭い声を上げた。

 

「『いいよ』ってのはなァ、ゴミ相手に真面目に取り合う必要なんかねェって意味だ。フウ、庇ってくれてありがとうよ──ここはあたしに任せな」

「おい、マキナ……?」

 

 マキナはゆらりと立ち上がり、楽器を提げたまま言葉を失った男たちの前に歩み出る。

 フウと男達の間に入り、後ろ手でフウを押しやった。

 

「こんなご時世、こんな街だ。こういう手合いが来ることだってわかってた──あたしはそのことも了解済みで、そのつもりでここに雇われたんだよ。『演奏家』兼『ウエイトレス』兼──『用心棒』としてな。給料のわりにオーバーワークだが、差額はあんたの美味すぎる唐揚げでチャラだ」

 

 涼しい顔で、マキナはフウを振り返ってにこりと笑う。

 

「用心棒だぁ!? 調子くれやがって、地獄見せてやんぞ!」

 

 大男が吼える。今度は脇の男も止めなかった。

 対するマキナは、両手を広げて嘯く。

 

「有難ェね、是非見せてやってくんな。恥ずかしながら、生まれてから一度も見たことがねェんでな──見せたことなら、おそらく何度かはあるはずだがよ」

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