030:「臆病な梟」

 

臨時治安部隊うちんトコは万年予算不足でさー、軍服とかは特にないんだ。徽章を渡しとくからよく見える所に付けといてねー」

 

 ステップを踏むように廊下を進みながら、遠近は後ろも見ずに人数分の徽章を放り投げる。

 後ろを歩くミズハはそれを受け取り、他の者に回した。

 

「あと、住む場所だけどぉーっ」遠近はくるりと振り返り、歯を見せて笑う。「君達には官舎を紹介してあげるよ。部屋が限られてるから指揮官にしか許してないけど、特別ね」

「手厚い待遇、恐れ入るよ」

 

 答えながら、ミズハは臨時治安部隊ペニーホイッスルの境遇を考えた。

 本来、国に命を捧げる兵の衣食住は当然に保証されて然るべきもの──しかし兵士一人一人を収容する官舎どころか、軍服すらない。まだ聞いてはいないが、装備もおそらく支給されないのだろう。およそ軍組織とは思えない待遇である──組織としての一体感も、忠誠心も戦闘力もまるっきり無視しているような構成だった。

 正規兵からさげすまれても無理はない、寄せ集めのごろつき集団か。

 

「総司令官殿は、『贄蜥蜴』を知っているのかい?」

「まーね──歴史書に記述があるだけだから、一般にはそれほど知られてないと思うけど」

 

 まるで友達のようにフランクな態度で遠近は答える。この待遇では上官への敬意など望むべくもないと思っているのか──あるいは生来の性格か。それはともかく、明け透けに遠近は話し続けた。

 

「ええと、確か──『初代王の御世、金色の蜥蜴を帯びた逆賊起つ。叛乱軍を率い王都に攻め入るも、国軍これを鎮圧す。暴走せし蠱妖も十人の英雄にその命を削られ、深き山に封ぜらる』だったかなぁ」

「初代王? 100年以上も昔の話だね」

「でも事実だった。そうだろ?」

 

 遠近は戸口を出たところで振り返る。

 日差しが少年の屈託のない笑顔を照らし出した。

 

「いやぁ、実のところキミには期待してんのよ──伝説の蠱妖を操る蠱術師が味方に付いたとなれば百人力だ。にはは」

「期待に沿えるといいけれど」

 

 本心から、ミズハは言った。

 ここで正直に、どんな逸話がくっついているとしても今は単なる防弾チョッキだ──と言ったら彼はどんな顔をするのだろうか。見てみたくもあったが、それはミズハ自身が昇ろうとする階段をかき消す行いでしかなかった。

 何とかして真実を隠し──東部の上層部へのパイプを作らねばならない。成り上がるために。

 

「総司令官殿よぉ──もう一つ、聞きてえことがあるんだが」

 

 歩きながら顔を向けた遠近に向かって、クグルノが不躾に問う。

 

「巷に流れてる噂だ──東部の国境付近に宝がある、とか何とか。そいつは本当か?」

「ああ、それね。本当だよ」

「宝とは──財貨という意味でしょうか?」

「んー」

 

 クグルノとは対照的に礼儀正しく問うクリスに、遠近はにこりと笑みを見せる。

 

「臆病な梟。この言葉に聞き覚えは?」

「……あります、もちろん」

「知らないね」

「同じく」

 

 顔を青ざめさせたクリスを見ながら、ミズハとクグルノは一様に肩を竦めた。

 遠近は片眼を瞑る。

 

「東部では知らない者はいない一大マフィア──その集団の名前であると同時に、頭領の異名でもある言葉だよ。勢力・歴史共に、東部にわんさかいる賊や野盗の中では抜きんでた存在だね」

「そういった連中だけでなく、堅気の人間の中に紛れ込んで生活している構成員も多いとか」

「そうそう。その全容は容易に計り知れないほど大きいわけ」

「ふうん──そんな大物の名を聞いたことがないというのもおかしな話だね。私はともかく、このクグルノは裏社会の出身なのだが」

「そこが恐ろしいところなの」クリスは頬に冷や汗を垂らしながらミズハに語る。「臆病な梟は東部全体に隠然たる影響力を持ちながら、決してその姿を見せることはない。その異名通り、深い闇の中で物音一つ立てないまま数十年も活動しているのよ」

「ところが、その梟の尾羽を掴んだわけだ」

 

 クリスの言葉尻を奪って、遠近が高い声を上げた。

 

「長年闇に隠れたままだった臆病な梟の居場所を、軍は見つけた。見つけたと言っても、大雑把な位置しかわからないけどね。国境付近の山中──そのどこかに臆病な梟の根拠地があり、そこには長年の暗躍で蓄えた財産が唸っているってわけ」

「ちょい待ち──『軍が見つけた』って言ったか?」

 

 言葉を挟むクグルノに、遠近はにやりと笑う。

 

「そこだよ、なかなか目敏いね君──お察しの通り、その情報を掴んだのは正規軍の諜報部だ。しかーし、奴らはそれを握りつぶそうとしている。こともあろうに、治安と平和を守る軍と憲兵団が稀代の犯罪組織を見過ごそうとしているわけなんだよ──さて、それはなんででしょーか?」

「……まさか」

「臆病な梟とやらの手先は、軍や憲兵組織にも入り込んでいる。そういうことかな?」

「その通り」

 

 こともなげに答えたミズハに、遠近は頷く。

 彼は往来を歩きながら、不穏当な内容を隠す気も感じられない調子で高らかに語った。

 

「ヤバい話さ──実際のところ、臆病な梟がどこまでこの東部を実権を握っているのかは俺にもわからない。俺の父親であるところの東公にも、その触手は伸びているかもねぇ」

「…………」

「でも、だからこそだ。だからこそ──やる価値がある」

 

 遠近は不意に立ち止まる。

 肩越しに、ついさっき部下になったばかりのミズハ達を見つめながら──挑戦的に微笑んだ。

 

「俺はその情報を盗み出し、そいつを餌に新たな部隊を作った。既存の人員じゃ無理だからね──寄せ集めのごろつきでも何でも構わない、ともかく目の前の餌に必死で食らいつく餓狼を求めたんだよ」

「……君は」

「東部一番の大盗賊をぶっ殺して、その金を根こそぎ奪う。もし上手いこといけばさあ──俺の手に飛び込んでくる金は幾らだろうねぇ?」

 

 にははは、と遠近は笑い声を上げる。

 その顔は能天気な御曹司の顔ではない──野心に燃えた男の顔だった。

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