029:「粗悪品」

 

「失礼するよ。ここで東軍兵への志願ができると聞いてきたのだが」

 

 東部の中心地、令寧──山を抜けてこの大都市に到着したミズハ達は、人に道を尋ねて東部軍務省を訪ねていた。

 にこやかに声を掛けたミズハに、受付の男は極めて不愛想な返答を寄越す。

 

「ここに氏名を書け。あと、推薦状と身分証」

「どちらも持っていないが、必須なんだろうか」

「ない?」

 

 男は目を見開き、露骨に見下した態度でミズハを見返す。

 

「ああ──そういうことか。俺としたことが、思い違いをしちまったようだ」

「うん?」

「身なりのちゃんとした女だから、正規軍の事務員にでもなりに来たのかと思ったが──お前、賊討伐が志望か」

「ああ、それだ」

 

 ユークの情報は当たらずとも遠からずか、とミズハは思う。

 南部の酒場──『純喫茶フロムドーン・ティルダスク』で出会った彼は、東部なら後ろ暗いごろつきでも東軍に入れると言っていた。東軍は東軍でも、それは。

 ミズハの推察通り、男は面倒くさそうに地下へ続く階段を顎で示した。

 

「ここは正規兵の受付だ。身の証の立たねえチンピラでも入れる不正規軍──『臨時治安部隊ペニーホイッスル』の志願者はあっちへ回れ」

 

 礼を言い、ミズハ達は階段へ向かう。

 

「何か言ってたねえ。ペニー……ペニー何とか? 部隊名だろうか」

「蔑称でしょうね」ミズハの後ろに付き従うクリスがさらりと答える。「玩具の笛ペニーホイッスル……粗悪品、という意味よ」

 

 クリスの隣を歩くクグルノが鼻を鳴らす。

 なるほど、とミズハは再び微笑む。今度の笑みには自嘲的なものが混ざっていた。

 そう言えば──階段を下りるミズハ達に向けられる東軍兵士たちの目が、こころなしか冷たい。

 曲がりなりにも軍に属せば上層部へ近づく道もあるだろうと考えていたが──どうやら、一筋縄ではいかないようだった。

 

 

 

 地下に下りた先にぶつかった扉──「臨時治安部隊本部」と札のかかったそれを開く。

 その先にあった光景は予想に反して清潔で、うらぶれた印象こそなかったが、しかし全体的に避けようもなく薄暗かった。

 それなりに広い部屋にはいくつもデスクが置かれ、数人がそこで書類に向かっている。

 一番奥の机に座る初老の男が、ミズハ達を認めて席を立った。

 

「んー? 何なんだね君達は。給与の受け取りなら二階の経理課に行きなさい。報酬が少ないだのなんだのって話もそこで頼むよ。それ以外の苦情なら書面にして提出してくれ──いつか読むから」

 

 無気力そのものといった様子で、男は言い飽きているらしい言葉を念仏のように唱えながらのたのたと近づいてくる。

 

「生憎、そのどれでもないんだ。志願の為に来た者だよ──登録はここで良かったかな?」

「……ああ、そっちね」

 

 男は丸眼鏡を直すと、部屋の入り口近くの空き机にどっかりと腰を下ろした。

 壁際の棚から書類を取り出すと、机の上に置く──ふさふさとした口髭を蠢かせながら、もそもそと喋った。

 

「じゃ、登録するから」

「隊員とそうでない人間の区別もつかねえのかよ?」

 

 呆れたように言うクグルノに半眼で向かって、男は鼻で笑った。

 

「いちいち覚えていられんよ。なにしろ入隊した連中の半分近くは、一月以内に逃げ去るからね──軍の規律に反発して、あるいは鎮圧しなければならないはずの野盗の仲間になってしまうのさ。まったく、この体たらくで軍などと呼べるもんか」

「なるほど、『粗悪品』ねえ」

 

 そっぽを向いてにやりと笑うミズハに、男は束の間やるせない表情を向けるが──数秒もしないうちに能面のような無表情に戻り、書類に記入するためのペンを机上の筆立てから取る。

 おそらく、彼もまた軍の中で左遷されたのだろう──とミズハは思う。出世コースから外れ、ごろつき達の責任者という立場に追いやられたのでは無気力にもなろうというものだ。

 少し同情しながら、ミズハは指示されるままに書類に氏名を書き込んだ。

 紙を後ろのクグルノに回そうとする──

 

「んっ?」

 

 声を上げて、意外な俊敏さで男が書類をひったくった。

 書き込まれた字とミズハの顔を交互に見つめ、小さな声で呟く。

 

「……ミズハ?」

「ああ、私の名だよ。姓は書いていないが記述もれじゃあない、孤児だから書きようがないんだ。手続上不都合なら何か、適当に付けておいてく──」

「そうじゃない」

 

 男は慎重な手つきで丸眼鏡を外し、胸ポケットから出したハンカチで拭う──ふたたびかけ直して、ゆっくりと問いかけた。

 

「君がミズハか?」

「うん」

「では、君の操る蠱術は──『贄蜥蜴』?」

「ああ、そうだよ。よく知っているね」

 

 ちっ、とクグルノが舌打ちをする。

 ここにも追っ手がいて話が広まっているらしい、面倒なことになった──あるいは、易々と明かすなアホ。どちらの理由で舌打ちしたんだろうか、とミズハは思った。

 しかし男の目にはお尋ね者を見るような色はなく、ただ慌てるような気配だけが感じられた。

 

「そうか、君が。こりゃ困った、あの人はついさっきまでここにいたのに」

「あの人?」

「おい、誰か探してきてくれないか。今ならまだ見つかるかも──」

 

「探さなくても大丈夫よー」

 

 暢気な声が届いた。

 ミズハは後ろを振り向く。クグルノ、クリス、その後ろの元野盗が9人──その更に後ろ、戸口にもたれかかるようにして、一人の少年が立っていた。

 

「ヨズマちゃーん、面白い言葉が聞こえちった」

 

 にやにやとだらしない笑みを浮かべる青髪の少年──彼の印象は「チャラい」の一言に尽きた。

 ヨズマと呼ばれた丸眼鏡の男は、今までのだるそうな態度が嘘のように居住まいを正す。

 

「総司令官殿! この女が、先程の」

「ういうい。聞こえてたってばヨズマちゃーん」

 

 けたけたと笑いながら、少年は派手なパーカーの余り生地を揺らしながら部屋に入って来る。

 ぐるりと首を傾けてミズハの顔を無遠慮に覗き込み、目を細めて呟いた。

 

「君だね、うん。『贄蜥蜴』の持ち主は。よく来たよく来た、歓迎するよー」

「総司令官殿?」

「うん、そう俺」

 

 少年は両手で二本指を作り、自分の胸を指す。おどけたようなオーバーな動作だった。

 

「俺がこの『臨時治安部隊』のトップ──詠木遠近だよーん。よろしく頼ミング」

 

 詠木。

 ミズハの脳裏に、一つの言葉が響いた。

 

 ──東公の三男坊が、兵を集めてるらしい。

 

 私はとんだ心配性だな、とミズハは微笑む。

 一筋縄ではいかないどころか、一足飛びにこの東部の頂点へ繋がる道が開けたじゃないか。

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