028:「助け合うのは当然のことですよ」

 

 大霊山西部──そこは四つの地方の中で最も商業的に発展し、活気のある地域である。その理由は、地理的な条件によるところがもっとも大きいだろう。

 西部は山に閉ざされたこの国の中で最も平地が多く、また海に面してもいるため農業や漁業が盛んで、それらを流通させる街道は動脈のように隅々まで行き渡り整備されている。人体に例えるならば、豊富な栄養とそれを十分に循環させうる血液の巡りである──健康にとって、それは欠くべからざる要素の一つだった。

 しかし、西部だけでなく大霊山自体を一つの人体と見た時には──話は変わって来る。

 心臓だけが元気でも、脳や他の器官が腐ってしまったら人は生きてはいけない。

 そう、まさにこの国は現在、死病に侵されようとしている。

 西公──ヒルウィード・アゼルバイツはそう考えていた。

 

 西部総督府──その最上階の居室。ヒルウィードが腰を落ち着けるその部屋は、隅から隅まで絢爛豪華な装飾に満ちていた。

 前代西公である父親の趣味である。

 彼は根っからの商売人で、政界に身を投じてからもその心根は変わっていなかった。得た利益を次の投資に回し、雪だるま式に膨らませていく──生涯を通じてその原理を徹底した父は本来無駄遣いを嫌っていたが、身の回りの物は常に最高級品で固めていた。その理由を、ヒルウィードは尋ねてみたことがある。

 父は言った。同じ品質で同じ値段の商品があるとして──清潔で豪奢な店と小汚く狭い店、お前ならどちらから買う。

 懐かしさに、ヒルウィードの口元が綻ぶ。父はどこまでも合理的だった──目に見える装飾をもって、目に見えない顧客の信頼感を買う。すべての利を見通そうとする父の哲学は、自らに受け継がれている。

 ヒルウィードは持って生まれた容姿を、金に糸目をつけずに磨いた。高い身長、甘いマスク、完璧な髪形、贅肉の影すらない体躯──もちろん女性にもてることも大いに大切だが、それ以上に彼は「大物になるには大多数に好印象を抱かせる雰囲気を持つことが必要だ」と考え、そのための努力を惜しまなかった。

 そしてその努力は報われている。自分が不潔な醜男だったら、弱冠22歳にして大霊山の四分の一を引き継ぐことはもっと困難だったはずだ。

 多くの人が彼に心酔し、力添えをしてくれた。その結果として彼は今、この西部総督府にいる。

 荘厳な部屋の中で彼と向かい合っている男も──その一人のはずだ。少なくとも男はそう主張していた。

 

「国王陛下が崩御され、現在我が国は非常に不安定な状態にあります──さきほどの君の例えはなかなか上手い。まさに、この国は病に倒れようとしているのです」

「同感です──東公様」

 

 落ち着いた声で同意すると、向かいの席に座る男──東公の詠木は、どんぐり眼を柔和に細めて頷いた。

 でっぷりと太った男だった──薄い頭髪と濃い髭剃り跡に反して、造作は不思議と幼い。小刻みに頷きながら猫撫で声で話す彼はまるで人の良い役所職員のように見えた。

 

「そんな中、西公たる君はしっかりと西部を纏め上げている。若いのに素晴らしい手腕だと、南公の伯羅様も仰っていましたよ」

「幸運が味方しているだけです。私は東公様や南公様と違って、まだまだ経験の足らない若造なのですから」

「ご謙遜を。私など、ただ長く生きておるだけですよ」東公は甲高い声で笑った。「しかし、君の言葉には一面の真実があります。才覚は目に見えないが、経験は確かに観測可能なのですからね──そこで、長年の知恵で君の助けになりたいのです」

「もったいないお心遣い、感謝いたします」

「なになに、国を支えるという志を同じくした者同士、助け合うのは当然のことですよ──私だけでなく南公も北公も、その気持ちは同じでしょう。だからこそ今、四公の会談を行うべきなのです。団結してこの難局を乗り切ろうじゃありませんか」

 

 東公がはるばるやって来た用事というのは、このことだった。

 四公の会談──聞く限り、その目的に何の文句もない。

 しかし、彼が本当に善意だけでその話を持ってきたと疑いなく信じるほどヒルウィードは純粋でも軽率でもなかった。

 この男には、何かある。

 ヒルウィードの直感は、彼と顔を合わせた瞬間からそう叫び続けている。

 

 しかし。

 そうだとしても、この話に乗らない理由はなかった。

 これから西公としてやっていく以上、他の公と接触を持たずにいられるはずもないし──直感通りこの男が何らかの企みを腹中に呑んでいるとしても、探らずにそれを見つけ出すことは不可能だ。そして何より──関わりを避けた結果、国全体が沈んでは意味がないのだから。

 真っ向から立ち向かう。自分の居場所を守るために。

 その思いを抱きながら、ヒルウィードは深く頭を下げた。

 

「未熟者ですが、どうぞご鞭撻のほどをお願いいたします」

「西公は素直ですな。お会いできてよかった」

 

 詠木は上機嫌で笑った。

 

 

 

 それから一時間ほどして、詠木は帰っていった。

 

「西部の内情について、根掘り葉掘り聞かれたな」

 

 革張りのソファにもたれかかったヒルウィードは、誰もいない部屋で呟く。

 

「俺の見たところ、東公の来訪の目的は二つ──新任の西公である俺を見定めることと、西部の情報収集。一つ目は問題ない、彼の目に俺は謙虚で素直な好青年と映ったに違いないだろう。しかし二つ目については、協力を申し出てこられた手前あからさまに隠すわけにもいかず色々と喋ってしまった──情報収集の目的が彼の言う『助け合い』だとすれば、問題はないわけだが」

 

 視線を部屋の隅に飛ばす。

 何もないその場所に、問いかけた。

 

「どう思う? 遠理えんり

 

 応ずるように、ヒルウィードの見つめる空間がぼやけ始める。

 床が、壁が、柱が──球形の一帯がもやもやと輪郭を失い、その揺らめきの中に異なる色が現れた。

 蜃気楼の中から現れたように見えるそれは、一人の女性だった。

 闇を溶かしたような黒ずくめの服装に身を包んだその女性──傾土遠理けいどえんりはたった今ここに入って来たのではない。

 最初から、この部屋にいた。

 ただ、その事実を認識できなかっただけである。彼女の主君であるヒルウィードでさえも。

 蠱術──『靄兎もやうさぎ』。

 まるで鳥の翼のように大きな耳を持った半透明の兎を足元に従えて、遠理はヒルウィードに答えた。

 

「問われるまでもない事かと。表面を取り繕ったつもりでも、あの男は全身から策謀と邪心に満ちた腐臭を発していました」

「だな。俺にもわかったよ」ヒルウィードは顎を引く。「やはり、注意せざるを得ない」

「しかし我が君──それは先方も同じかと」

「ん?」

「東公は油断してはいませんでした。声音や表情で上機嫌を装いながらも動作の端々には警戒の色が見え、その視線は退室の瞬間まで我が君の本心を見抜こうとし続けておりました」

「…………」

「如何いたしました? 相手は東部を統べる巨魁、その程度の知能と用心深さはむしろ当然と思われますが」

 

 遠理は訝し気に問う。

 対するヒルウィードは、困惑したようにかぶりを振った。

 

「俺があまりにもイケメンだから、目を逸らせなかったんじゃなかったのか……」

「…………」

 

 遠理は、主に代わったように沈黙した。

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