025:「どこに正義がある」

 

 鰍瞬かじかしゅんが扉を開けると、待ち望んだように幾間が椅子を立った。

 南部の中心地──王都、盛倉せいそう。大霊山の中枢と言ってよいその大都市にそびえ立つ憲兵団南部本庁に二人はいた。

 

「本庁に伝手のある鰍がいて助かったぞ──で、話は聞けたか?」

「はい」

 

 鰍瞬は頷いて、説明を始めた。

 

 ミズハ──小路泊隊長を殺した犯罪者、クグルノと共に消え去った彼女は、鰍の上官である幾間と浅からぬ因縁を持つ人物らしかった。

 自分を狙う殺し屋を憲兵とぶつけ、その争乱を隠れ蓑に逃げ去った彼女を、幾間は血眼になって探そうとした。

 しかし──事件の翌日、上層部から届いた通達は意外なものだった。当該事件について憲兵団は関知せず、速やかに本来の業務に戻るように、とそれは命じていた。

 当然、幾間は烈火のごとく憤慨した。鰍も同じ気持ちだった──何人死んだと思っているのか、と思った。

 しかし、すでに下された命令は覆らない──ならばせめてその真意を知るべく、鰍は幾間を伴って同期の配属されている本庁へやって来たのだった。

 本庁で流れている噂は──おおむね、次のようなものである。

 南部の憲兵組織、その最終的な意思決定者である南公は──王が斃れた現在の時局に際し、何よりも秩序維持を優先している。そんな中において憲兵団の詰所が犯罪者から襲撃を受けほぼ壊滅したという事実、そしてその騒動の渦中にいた憲兵隊長に闇社会との繋がりがあったという事実はこれ以上ないほど不都合なものである。

 治安の悪化、法と秩序の形骸化──それを防ぐために、このショッキングな事件は単なる偶発的な暴力事件としてのみ処理される。

 

 鰍の言葉を聞き終えた幾間は、やり切れない様子で吐き出した。

 

「ふざけるな……そんな判断のどこに正義がある!」

 

 その通りだ──と鰍は思う。しかし、どうしようもない。

 しかし幾間は勢いを止めず、懐から一枚の紙を取り出すと部屋を出た。

 

「冗談じゃない──組織が動かないなら、俺一人でやってやる!」

「な、何をするつもりですか?」

「知れたことだ! 俺は東部本庁への異動を申し出る! 職場を移ってでも、奴を止める──絶対に、絶対にあんな危険な奴を野放しにしていてはいけないんだ!」

「待ってください、幾間さん!」

 

 走り出す幾間を追いながら、鰍は叫ぶ。

 

「上の決定なんですよ、彼女を追っての異動願いなんて受理されるわけないでしょう! 冷静になってください──」

「いやぁ、通るっしょー」

 

 まっすぐに突き進もうとする幾間。

 それを止めようと追いすがる鰍。

 二人ともが、不意に目の前に現れた男を見て──止まった。

 

「ああ、トツゼン話に割り込んで悪いねぇー。まーでも言った通り大丈夫、それ提出しちゃってオッケーよ」

 

 にはは、と緊張感のない笑い声を上げる男を、鰍は見定める。

 青年未満、とでも言うべき年頃の男だった──民間人がこの場にいるはずもないし、新任の憲兵だろうか。しかし、彼の見た目はとてもそうは思えなかった。

 頭髪は明らかに染めたと分かる鮮やかな青色。

 両耳に合計6つのピアス。

 制服の代わりに、だぼついた極彩色のパーカーとローライズの細身のGパン。

 そのすべてが、憲兵の規定に違反する出で立ちだった。

 何か悪さをして引っ張ってこられたチンピラ──憲兵でないとすれば最も納得できそうなその答えにも、やはり不自然さがぬぐえない。

 ここは南部の憲兵組織を統括する庁舎──取調室も留置施設もない、官庁である。そうした業務の行われる場ではなかった。

 

「誰だ? お前」

 

 幾間が固い声を投げかける。

 対するその少年は、子供っぽい面相をにやつかせながら応じた。

 

「まー、ちょっとしたVIPってやつ? つっても遊びに来たわけじゃないからさ、気にしなくていーよぉ。第一、こんなトコ遊びにきてもナンも面白くねーし」

「あぁ? 訳が分からんが──気にしなくていいというならそうしてやる。じゃあな」

 

 幾間は素っ気ない態度で彼を避け、先へ進む。

 混乱しながらも、鰍もそれに倣おうとした──が。

 

「んぐっ」

「おねーさんさぁ」

 

 襟をつかんで止められ、鰍はよろける。

 傾いだ視界に合わせるように、少年は鰍の顔を覗き込んだ。

 

「もしかして、あの人と一緒に行くつもり? 忠告するけど、やめといた方がいーぜぇ」

「な……何ですか、あなた。何が言いたいの」

「だからぁ、忠告だよ」少年の小さな瞳が怪しく揺らめいた。「おねーさん、ケッコー好みのタイプだからさぁ──オレの町に来てくれんのは嬉しいけど、あんたにゃ東部はちょっと荷が重いんじゃねーかな」

「オレの……町?」

「まあいいや。もし来るんだったら声かけてよ──イロイロ教えてあげっから。にははは──」

 

 軽薄な笑い声を残して、少年は逆方向へ歩み去った。

 

 

 

 数日後──幾間の出した異動願いは、拍子抜けするほどにあっさりと受理された。

 着任日までに身の回りの整理と業務の引継ぎをせよ。そのような内容が記された申渡し書を見せて、幾間は鰍に笑顔を見せた。

 

「上層部も捨てたもんじゃないぞ、鰍。建前と本音は別なんだろう──民衆の不安を煽らないために表立って動くことはできなくとも、本当は上も危険人物を見過ごすなんてありえないと思っているんだ」

「であれば、良いのですけど」

「……どうした?」

 

 沈んだ面持ちの鰍に、幾間が訝しげな声を掛ける。

 

「……この前、南部憲兵庁で出会った少年──彼の素性が分かりました」

「ん? ああ、いたな──あいつがどうした?」

「彼の名前は詠木遠近よみきおちこち──東公、詠木銅冠の三男です」

「東公の……!?」眉を上げた幾間は、浅く頷く。「そう言えばあいつは、自分をVIPだとか言ってたな──本当だったのか」

「ええ。彼の言葉が気になったもので、調べてみたんですが……どうも、今回の人事には東公の息がかかっているのではないかと」

「どういうことだ?」

「詳細は不明ですが、東公が南部に憲兵の融通を願っていたらしい噂が掴めました──つまり今回の決定はミズハを追うために決裁が下されたのではなく、何か別の理由があってのことと思われます」

「……なるほど。そういった要請があったところに、俺の異動願いは渡りに船だった、と」幾間はしばし下に視線を向け、考える素振りを見せた。「……しかし、そんなことは俺には関係ない」

「幾間さん」

「思惑がどうであれ、東部の憲兵団に移れることには変わりない。そして俺の追うべき人間はそこにいる──なら、俺のすることは変わりない」

 

 迷いなく言い切る幾間を、鰍は見つめた。

 他者の思惑も、治安の悪い東部の土地柄も──何もかも跳ね返して、ただ自らの目的の為に進む幾間。

 幾間はいつもそうだった。

 危険を顧みず、些事に気を取られず、ただ見定めたものだけを見据えて。

 あなたが──そうだからこそ。

 

「まあ、そう心配してくれるな。君もそうそう他人の心配なんてしていられないぞ──俺の後を任せるに足る人間は君しかいない。これからも南部の治安のために尽力してくれ」

「何を仰ってるんですか?」

「ん?」

「私も、幾間さんに付いて東部に行きますが」

「な──何ぃっ!?」

 

 幾間は大声を上げて、がしっと鰍の肩を掴む。

 

「どういうことだ? というか──正気か!? 君も知っているだろう、東部は南部とは比べ物にならん危険な土地だぞ!」

「だからですよ。幾間さんは生真面目すぎます──前だけ見ていてはじきに足元をすくわれるでしょう。脇を固める人がいないと心配で仕方ありませんから」

 

 さらりと返すが、幾間の両手は未だ肩から離れない。

 鰍は少し慌てて、付け足すように続ける。

 

「ああ──それに、こう見えて私も昔は結構やんちゃしてた方ですし、憲兵になってからも割と場数は踏んできましたから。その、幾間さんにお手数をかけることはないかと。それに──」

「……わかったよ。君がそうしたいのなら、止めない」

 

 鰍の言葉を遮るように、困ったような笑みを浮かべて幾間は言った。

 

「正直言うと、ついて来てくれると言われて少し安心してる──俺は田舎出身だ、何かと知らないことも多い。君がいてくれると助かる」

「幾間さん……!」

 

 まるで少年のように素直な、その言葉と笑顔に──鰍は心からの微笑で応えた。

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