024:「すべて誇りと称されるべきもの」


 

「そっちの意地悪そうな男はクグルノ。そして私はミズハ──ああ、私の方は前に名乗ったんだったっけ」

 

 暢気に、眼前の少女はそう語った。

 一切の警戒を見せない彼女に、しかしその場の誰もが襲い掛かることが出来ずにいる──すべては、このクグルノとかいう男の無駄のない行動ゆえだ。

 ドーパとラルフが処刑され、今やこの場を纏めるのはクリスであることをしっかりと見切った上で、一瞬の間をクリスの確保に動く。それが彼女らにとっての最後の一手──「詰め」の行動だったのだ。

 

「最初から最後まで、一貫してプランはできていた──ってわけね」

「どうしてそう思うのかな?」

「今思えば──あんた達が茂みに逃げ込んだ時から、この結末に至るためのルートへ誘導されていた、そう思うのよ。その最たるものは、一番初め──ジュードの報告だった」

 

 首筋に刃を突き付けられ、観念したクリスは唯一可能な行為──ただ語ることを続ける。

 仲間に縄を解かれたジュードがクリスを見つめながら、同じような表情を浮かべた。

 

「ジュードは言った。女の方が逃げながら『準備完了だ』と叫び、それを合図に反転してきた二人はすでに姿を変えていた、ってね。あれで私は誤解した──変身能力があんたのものだと。それが無ければ」

 

 それが無ければ。

 すでにクグルノの「泥を出す」能力を見ていたクリスは、変身能力の正体に気付けていたかもしれない。泥を被り、その上に他者の面相を描いて変身する──『泥狐』とかいう能力の本質に。

 もしそうなれば、それを破る方法も思いつけた。拠点に全員が集まったタイミングで三人の顔を拭いてみることができた──そこから素早く指示を出せば、仲間の中に潜伏する二人を押さえつけられたかもしれなかった。

 

「でも、その可能性はあんたのさりげない誘導で潰された。誘導と言うならその先もすべてそう──三人の分断も、あんた達がひそかに監視者と入れ替わるための誘導。ドーパ候補者が個別に監視者の切り崩しを図っていると伝えたのも、猿轡と拘束によって最後の場で余計な情報を漏らさせないための誘導。火傷跡という偽の判別法も──私に解決策を与え、それ以外に目が向かないようにするための誘導」

 

 語るほどに、二人の行動の計画性が明らかになる。

 それと共に浮き彫りになっていく事実を、クリスは否が応でも認識せざるを得なかった。

 最初から──私は、この二人に負け続けていたのだ。

 

「その通りだよ。すべての絵図を描いたのはそこのクグルノなんだが、私はそれを聞いた時──つまり君達がまだ遠巻きに私達を尾行していた時なんだが──ともかく、それを聞いて実に妙案だと思った。成功間違いなしだとね。しかし」ミズハはクリスを労わるように優しい笑顔を向ける。「一瞬でそこまで逆算して理解してしまうとは、想定以上に君は切れ者だったようだ。案外、危ない橋を渡っていたものだと反省するよ」

「お為ごかしは止して」

 

 クリスは諦めと共に、ミズハの言葉を断ち切った。

 わずかに明るくなった空を見やる──遥か天空を飛ぶ鳥の影が判別できるようになっていた。

 あの鳥のように、自由になりたかった。

 

「私は負けた──その事実は変わらないんだから。私はわずかな金品を狙って、あんた達の人生を滅茶苦茶にしようとした。その代償は当然わかってる──でも、もし叶うのなら」首を巡らせることもできないクリスは、目線だけでミズハに縋る。「殺すのは私一人にしてくれない? 身勝手だとはわかってるけど」

「ね──姐さん」

 

 部下たちがやるせない表情を浮かべる。ごつい顔立ちに似合わない涙を浮かべる者もいた。

 クリスは彼らに少しだけ、笑顔を見せる──最悪な環境の中で、それでも何かと助けてくれた仲間たち。彼らが最後に見る自分の姿は、せめて醜くないものにしたかった。

 ミズハは少し黙って。

 そして──ゆっくりと、首を振った。

 

「残念ながら、君の嘆願は現実のものとはならないだろう」

「……そう」

「何故なら、私達は誰一人殺すつもりはないからだ」

「えっ?」

 

 思わず全身でミズハの方を向く。すでに刃は引かれていた。

 

「クリス、だったね。この戦いの中で、私は君の誇りを十分に見せてもらった──君の部下がとても強く君を慕っているという事もね」ミズハは両手を広げる。「誇りなき輩と言ったことは訂正しよう──憎むべきドーパを殺さない決断、自らの行為の責任を忘れない強さ、そして身を挺して仲間を守ろうとする優しさ。それらはすべて誇りと称されるべきものだ。それは私が欲しいものであり、同時に私はそんな君達の欲するものを与えてあげられる」

「欲する──もの」

 

 自由になったクリスも、それを了解している仲間も、もう誰一人武器を取ろうとはしない。

 全員がミズハの言葉に聞き入っていた。

 

「欲するもの、それは目的だ」ミズハは力強く言った。「弱者を狙って小金を稼ぐ野盗など廃業したまえ──それを強いる親玉は消え去ったのだ、良い機会と言うならこれ以上のものはないだろう。もっと素晴らしい、命を懸けるに値する目的を、共に追いかけよう」

 

 ミズハは大きな瞳を笑みに細めて、クリスに手を差し伸べる。

 彼女の背後で、昇りゆく太陽が山際からのぞく。

 曙光が──まるで後光のように、彼女を照らした。

 

「私はこの乱世を駆け上がり、次代の王となる。諸君、私に力を貸してくれ」

 

 その途方もない言葉に。

 夢想家の大法螺としか思えないような言葉に。

 クリスは、眩い光を見た。

 

 今までの、闇に閉ざされた人生──屈辱と絶望に苛まれながら、夜に隠れて弱者を隘路に追い詰めることの連続だった6年間。

 ミズハの言葉は、そんなクリスを光の満ちる正道に誘うもののように響いた。

 今までも変わらず存在したはずの世界が、うってかわって無限大に広がるような感覚。

 クリスは思わず、笑みを零した。

 

「いいわ。あんたが王になるのなら──臣下の端に加えてもらおうじゃない」

 

 部下たちも、クリスの言葉に頷く。

 彼らも根っからの悪人などではない──心の底では、この仕事に後ろめたさを感じていたのだろう。全員が競うように居住まいを正し、ミズハに跪いた。

 その先頭に立つクリスは、数歩進んで差し伸べられた手を握る。

 

「よろしく、クリス」

「ええ。このクリスティアーナ・ミケランジェリ──あんたに、地獄の底まで付いて行くわ」

「美しい名前だね。何度も名乗るようだが、私はミズハ。恥ずかしながら姓はない──孤児なものでね」

 

 ミズハは微笑む。

 その傍らに歩み寄ったクグルノが、長髪を適当にかきあげながらクリスに言った。

 

「俺は来繰野障吉(くぐるのしょうきち)だ。まあ、よろしく頼む」

「ショウキチなんて、意外と可愛らしい名前だったんだね。なぜ今まで教えてくれなかったんだい」

「うるせえ、お互い様だ──俺もお前が孤児だなんて初めて知ったぜ」

「まあ、確かにそうだね」

 

 そこでミズハはクグルノに、いたずらっぽい表情で問いかけた。

 

「そういえば、君はとりあえず様子見でついて来ていたんだったね──初めて名前を教えてくれたという事は、今後も私に付き合ってくれると解釈して良いのかな?」

「まあな」

 

 応ずるように、クグルノも悪巧みを共有する子供のようににやりと笑う。

 

「本当にそこまで行けるかはまだ確信が持てねえが、ともかくお前との道行きは面白そうだ──そうして欲しけりゃ、これからも知恵を貸してやるぜ」

「よろしい」

 

 満足げに頷いて、ミズハはさらに光を増す夜明けの太陽を振り仰いだ。

 

「良き臣下を一挙に得た今日はなんと素晴らしい日だろうか──間違いなく運勢最高だ、せっかくだからギャンブルでもしに行こうか」

「ぶち壊しなこと言うな!」

 

 澄み渡った空の下で、クグルノとクリスは同時に突っ込んだ。

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