022:「手放したことは一度もない」
「お前ら、まだわからねえのか! この俺が本物だ、他の二人をすぐに殺せ!」
「助かろうとして必死だな、偽者がよぉ。日頃の態度まで真似られるはずはねえんだ、しばらく見てりゃ本物が俺だと分かる──そうなったらこいつらを殺せ、わかったな?」
「騙されんじゃねえぞ。こいつは時間を稼ごうとしてやがるんだ──今するべきなのは、まず全員をふんじばってこの場から離れることだ。そんなことくらい、バカなお前らにもわかるだろうが」
三者三様の意見に耳を傾け、クリスは思いを巡らせた。
普段のドーパに最も近いと思えるのは直情的な一人目の意見──しかし、あとの二人が確実に違うとまでは言い切れない。選択を誤った時のことを考えれば、軽率に判断できることではなかった。
後二人の意見にもそれなりの理があるし、何よりデーパは短気だが曲がりなりにも一個の集団を纏めてきた男──用心深さも当然持ち合わせている。これだけでは確信を持つまでには至らない。
「クリスよう──何を考えこんでんだ」
軽い声と共に、横から肩を叩かれる。
襲撃開始当初には側面から接近する連中を率いていた男──ドーパの甥、ラルフがむさ苦しい顔をクリスに近づけていた。
「何か名案があるっていうの?」
「勿論だ──この場で全員ぶっ殺そう」
「な…………っ」
あまりと言えばあまりな言葉に、思わずクリスは声を失う。
当然、三人のドーパも声を荒らげる。
「てめえ! この恩知らずが!」
「ふざけんじゃねえぞ!」
「やってみやがれ──俺がお前を殺してやる!」
ラルフは涼しい顔で左右を見回し、続ける。
「そりゃ、俺としてもそんなことはやりたくねえけどよ──状況が状況だ、やむを得ないだろ。東軍が追ってくるかもしれないんだぜ? こんな所でがちゃがちゃやってる暇はねえんだよ。それにこんな稼業なんだ、親分だっていつ自分が死のうと覚悟はできてるはずだ。まして俺達全員が生き残るためだ、上に立つ者としては喜んで賛同してくれると思ってたがな。クリス、お前ならわかってくれるよな?」
背筋が寒くなるような猫撫で声で、ラルフはクリスの肩に置いた手をさわさわと蠢かせる。嫌悪感に身を震わせてクリスは身を引いた。
一見、理屈は通っているようにも見える──しかし当のドーパと血の繋がった人間とはとても思えないラルフの発言。それは仲間を救うための苦渋の決断ではなく、ただ単に自分がこの一党の主導的立場を得たいという日頃の欲望の表れとしかとることができなかった。
ラルフはそういう男──強引なドーパを毛嫌いしていることも、ドーパの情婦であるクリスに岡惚れしていることも、クリスに留まらずこの場の全員が了解している。誰も表立って批難しないのは、ただラルフの腕っぷしの強さを恐れているだけだった。
「冗談じゃないよ──ドーパを失ったら統率が取れなくなる。あんたの意見は採用出来ない」
「そんな事ねえって。俺がいるじゃねえか」
「あんたがいることがまさに問題なのよ、ラルフ」
ぴしゃりと言い放つクリスに、ラルフが渋面を作る。
「ちっ──むかつく言い様だが、俺はドーパと違って心が広いからな、許してやるぜ。しかしクリスよう、それじゃ一体どうするって言うんだ?」
「時間がないのは確か。だから本物探しは後回しにして、この場を離れる──でも三人を拘束はしない。不自由な身じゃ移動が遅れるからね」少し考えて、クリスは続ける。「でも、まるっきり自由にもさせられない。二人の偽者が本物のドーパやあたしたちに危害を加える危険を考慮して、一人一人に監視を付けて別個に移動させる」
「俺は姐さんに賛成します」
ジュードを皮切りに、他の部下も口々に賛意を表する。
ラルフも不貞腐れながら頷いた。ともかくも内輪揉めしている場合ではないのだ──迅速な行動が最優先。それくらいはこの男にもわかっているようだった。
すぐに準備は整った。
一人目のドーパにはラルフが、二人目にはジュード、三人目にはカルスが付く。落ち合う場所をここらの山中に作られた拠点の一つに定め、クリスたちは散開した。
距離こそとるものの連携を失うのはまずい──その観点から、クリスの元に残った手勢も三人のドーパとその監視者の人影が確認できる程度のポジションに配置している。何かあれば駆け寄って助け、またクリスに状況を報告できるようにだ。
無言で山中を進みながら、クリスは静かに考える。
まずは万全の体制を敷けたはずだ──少なくとも、このままいけば東軍との衝突は回避できる。
あとは本物のドーパを見つけるだけ──速やかに見つけられなければ話がこじれるが、まあ時間の問題だろう。ドーパの一人が言った通り、騙せたとしても所詮はその場しのぎ──態度など、細かな部分に齟齬が現れるはず。そこを見逃さなければ、この件は解決だ。
「…………」
しかし、そこまで万事順調に進まない筋書きも、一つだけ存在する。
その要因はクリスが密かに埋め込んだ策略の種──ドーパの監視役の一人にラルフを選んだこと。
部下が遠巻きに見ているだけの状況で、ラルフがドーパと二人きり。この状況を作れば、低くはない確率で何かが起きる。クリスはそれを予見し、そして看過した。
何か、とは──言うまでもなく、暗殺である。
それが起きた場合の結果は二通り──ラルフの監視対象が偽者だった場合、自分を暗殺しようとしていたことを知った本物のドーパは怒り狂い、血の制裁を下そうとするだろう。
そしてもう一つ、ラルフの監視対象が本物のドーパだった場合も、ただではやられない。元々、ラルフの不用意な発言によって警戒を強めているドーパは死に物狂いで抵抗を試みるはずだ。
結果、どちらであっても最終的にはドーパとラルフの殺し合いという結末に至る。
相討ちなら最上──そこまでいかなくとも、残った方はかなりの手負いのはず。すべてが終わった後に隙を見て仕留めればいい。
それで──私は自由の身だ。
クリスは下生えを踏みつけながら、緊張に肩を震わせる。
東部の都市の中流家庭に育ったクリスは6年前、家族で出かけた際にこの山道でドーパ一派に襲われた。
クリスの父親は抵抗せずありったけの金品を差し出し、更に、無事に返してくれるなら銀行に預けてある預金も渡すと言った。そして自由を奪われ連行される最中に、両親は奴らの隙を突いてクリスだけでも逃がそうと試みた。
両親の決死の行動は、失敗した。ドーパは二人を殺し、クリスを慰み者にした。
ただ見た目が美しかったからという理由だけで生かされ、身の回りの世話をさせられ──今に至る。
ドーパには何の恩義も情もない。憎しみはあまりあるほどにある。今まで行動を起こさなかったのは、ひとえに機を待っていただけだった。
できるかも、という望みを抱いて行動してはいけない──正しかった父と優しかった母は、それが原因で死んだ。
確実な機が訪れるまでは、と固く誓い、クリスは下劣な犯罪集団の中で心を眠らせ続けてきた。
──誇りはないのか?
小娘の言葉が胸に響き、クリスは顔を歪める。
あるともさ。散々傷だらけにはなったけれど──それでも、手放したことは一度もない。誰にともなく胸中で独語する。
未だ崩れない誇りは、クリスの中で鈍く光っていた。
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