021:「そこまで含めて奴らの仕掛け」


「クリス姐さん、奴ら逃げました!」

「慌てんじゃないよ!」

 

 泥を拭き取ったクリスは、傍らの部下を叱咤する。

 べたつく髪が不快だった──苛立ち紛れに、叩きつけるように指示を出す。

 

「音は聞こえてたでしょ──奴らは右側の茂みに逃げ込んだ。向こうは木が密集してるし、足元も悪い。今からでも十分追いつけるよ──ジュード、カルス、レイ、行きな!」

「へい!」

 

 頷いた部下が飛び出す。

 

「あのクソアマ、目にもの見せてやる! お前ら、俺に続けぇぇぇっ!!」

 

 この集団の首魁であるドーパも咆哮を上げ、顔を憤怒に染め上げて走り出した。隣にいた部下も慌てて続く。

 総勢6人──いくらもしないうちに奴らは捕捉、包囲されるだろう。

 無益であるばかりか、はっきりと有害な手だ。そう思いながらクリスは懐から煙草を取り出し、薄い唇に加えて火を点ける。

 確実に逃げおおせる公算が立っていない限り、半端な抵抗は火に油を注ぐ。あの二人は旅装だったし、運動能力に優れているようにも見えなかった。能力は不明だが、逃走を選択した以上戦闘向きのものではないはず──この泥による目くらましが能力のすべてだとしたら、お粗末な話だった。

 ああなったらドーパは止まらない──捕まったあの二人はその場で殺され、身ぐるみを剥がれて森の中に捨てられる。その結末はすでに見えていた。

 馬鹿な夢を見るからよ、と、クリスは吐き出した紫煙に混ぜて呟く。

 できるかも、で動く人間の行く先には、遅かれ早かれ死が待っている。少なくともクリスの人生においては、それは不変の真理だった。

 

 

 

 半時間も経たないうちに、仲間は戻ってきた。

 

「早いね。戦利品はどうだった──っ」

 

 迎えるクリスの言葉が、途中で止まる。

 困惑を隠せない様子で歩み寄ってきた男達──彼らの表情の意味は、推しはかるまでもなく明白だった。

 部下五人に取り巻かれるようにして戻ってきたのは──三人のドーパだった。

 

「なんだ……そりゃ」

「おい、どういうことだよ!」

 

 クリスの傍の部下たちが口々に声を上げる。

 奇妙な集団の先頭にいたジュードが、渋い顔で答えた。

 

「こいつら、姿を変える能力を持ってやがった。追っかけてたら、女の方が『準備完了だ』とか言って急に向きを変えて、二人でこっちに突っ込んで来たんだ──暗がりの中でもみ合ってるうちに、こうなってることに気付いた。どれが本物の親分かわからねえ──姐さん、どうしましょう?」

「お前ら、俺が本物だ! すぐにわかるだろうが!」

「違う、こいつは偽物だ! お前ら、今まで俺の何を見てやがった!」

 

 二人のドーパが全く同じ声音で叫ぶ。もう一人は腕組みをしたままそれを睨みつけていた。

 面倒なことになった、とクリスは思う。

 

「男が目つぶしで隙を作って、女が変身能力を使ったわけね。急ごしらえにしちゃうまい作戦だわ」

「姐さん」

「わかってるわよ、褒めてる場合じゃないってことくらい。いつまでもこのままってわけにもいかないしね」

「それなんです」

 

 ジュードが心底困り果てたように言う。

 

「逃げてる時、女はこうも言ってたんです──私達は東軍に所属している、日程も道筋も向こうには分かっているから到着が遅れれば探しに来るぞ、と」

「東軍……ね」

 

 本当かどうかは分からない──しかし、本当だとすればこのままでは危険だ。賊討伐に力を入れている昨今の東軍なら、徹底的に追ってくるだろう。

 時間制限の迫る中、不確かな答えを見つけ出さなくてはならない──こちらにとっては不自由な状況だ。奴らにとって上手く出来上がり過ぎている。

 いや、きっとそこまで含めて奴らの仕掛けなのだ。それは見え透いていても、だからといって東軍との繋がりが嘘だとまでは言い切れない。そして真実だった場合、被る危険は大きすぎる。

 結果、否応なく奴らの仕立てた間違い探しゲームに臨まざるを得ない。勝手に定められたルールの下で。

 こいつら──思った以上に曲者だ。

 その事実を再確認して、クリスは投げ捨てた煙草を踏み消した。

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