017:「うってつけの話」

 

 ユークは、眼前の少女を見つめた。

 複数の殺し屋に命を狙われ、また危険な野蠱を呑み込んで、なお無邪気に笑う少女──ミズハ。

 すでにこれ以上ないほどの危険に取り巻かれている彼女を、更に危地へ送るような真似をして良いのか。逡巡しながらもミズハの視線に押され、ユークは口を開いた。

 

「……東部へ行くんだ。東公の三男坊が兵を集めてるらしい──名目は国境付近の山脈を根城にする野盗から民を守るため、とのことだが、東公には黒い噂が絶えないからな──この情勢不安に乗じてクーデターでも企んでるんじゃないかともっぱらの噂だ」

 

 大霊山は、四つの行政区画に分かれている。

 王都、盛倉せいそうを有する南部。

 地続きの隣国、日本と唯一の通用門を持つ東部。

 蠱術と双璧を成す呪術である『魔術』の本場、北部。

 唯一海に面した商業地、西部。

 それぞれに王族以下では最高の地位である『公』が置かれ、行政を取り仕切っている。

 東部の公──東公、詠木銅冠よみきどうかんは国防の名の元に、あらゆる力を貪欲に集める人物だった。彼の地位の高さ、そして目的の正当さゆえに表立って批判する者こそいないが、様々な力が混在する東部は大霊山全域の中で目立って治安が悪いのも事実である。

 

「多少出自が怪しくとも、構わず部隊に加えてくれるそうだぜ──元々東軍はごろつきの集まりみたいなもんだから、無理もないがな。東部は蠱術も盛んだし、その気があれば学ぶこともできるだろう」

「ほう……」

「待てユーク。三つの条件のうち、最後の一つ──『大儲け』についてはどうなんだ?」

 

 目敏く指摘を加えてくるクグルノに、ユークは両手を挙げてため息をつく。

 

「さもしいことだな、クグルノ。守銭奴のお前らしい急ぎ方だ」

「うるせえ死ね」

「死ね……」

「まあまあ、かわいそうじゃないかクグルノ──それでユーク、その辺りについてはどうなんだい?」

「合致している。これは不確かな情報だが、東部の国境付近には『宝』が眠っている──という噂がある」

「国軍に潜り込めて、東公に近づけ、蠱術も学べておまけに宝探しもできる、か……うん!」

 

 頷いて、ミズハはやにわにユークの手を掴んだ。

 

「!?」

「ありがとう、ユーク! まさに私にうってつけの話じゃあないか──早速向かうとしよう」

「早速だと?」

「クグルノ、君に人生訓を一つ贈ろう。何事も迅速に行うのが、機を掴む秘訣なのさ」

 

 眉を顰めるクグルノにしたり顔で呟いて、ミズハは席を立つ。

 

「まあまあ、慌てん坊さんね──私の人生訓も聞いてちょうだい。お腹を空かせた人間には、どんな幸運も訪れないものよ」

 

 奥から出てきた紗代子が、笑顔でミズハの前に皿を置く。

 

「お……おおおおっ!」

 

 これまで終始落ち着いた様子だったミズハが、突然大声を上げてカウンターに両手をつく。

 

「お、お、オムライス……!! 私の一番好きな料理じゃあないか……!!」

「だと思ったわ。いいこと? ママには何だってわかっちゃうんだから」紗代子が人差し指を頬に当て、柔らかく微笑んだ。「初めてこのお店に来てくれたみいちゃんへお近づきの印よ。お代はサービスするから、どうぞお腹いっぱい召し上がれ」

「ま、ママぁ……♡」

 

 両手で持ったスプーンを宝物のように胸に当て、ミズハが潤んだ瞳を紗代子に向ける。

 

「牢獄にぶち込まれても平然としてたくせに、オムライスで態度崩すなや」

 

 半眼のクグルノが、ぼそりと呟いた。

 

 

 

 特大オムライスをミズハが幸せそうに平らげた頃には、とっぷりと日が暮れていた。

 

「さて、それでは我々はここでお暇するとしようか」

「……ああ」

「また来てちょうだいね──くうちゃん、みいちゃん」

「勿論さ、さよママ!」

「簡単に餌付けされやがって」

 

 賑わいを増した店内を、二人は出口へ向けて歩き出す。

 ユークは戸口まで見送り、最後に言葉を掛けた。

 

「くどいようだが、もう一度注意しておくぜ。くれぐれも慎重に行動することだ──君は身の内にも身の外にも、極めて大きな危険を抱えている。それを忘れるな」

「ありがとう、ユーク。世話になったね」

「クグルノ、彼女を頼むぞ」

「お前に言われねえでも、俺だって巻き添えは御免だ──その範囲内で目を光らせるさ」

「ところで、最後に一つだけいいかい?」

 

 ミズハは戸口の脇を指差して、無邪気に問うた。

 

「ずっとそこにいる不気味な彼は、一体何者だい?」

 

 指差されたそれは、反応もせずにぶつぶつと呟いている。

 見開かれた赤い眼は、店の奥に注がれていた。

 

「ああ──そいつはクロック。この店の用心棒だ」

「へえ。クグルノに聞いたところではさよママが使役しているそうだが──それにしてはずっと、彼はさよママへの呪詛を吐き続けているね?」

「!」

 

 聞き取っていたのか。

 ユークはクロックを見やる。

 ごく小さな音量で──まるで溶岩が煮えたぎる音のような低音で、クロックは呟き続けている。

 

「ス……ス……ヨコ……ロス……サヨコ、コロス……」

 

 ミズハは黙ったまま、ただまっすぐにユークを見ていた。

 

「……反抗期さ。クグルノと同じく」

「そうか」

「黙れ抉るぞ」

「抉る……」

 

 ユークが傷付いている間に──ミズハは軽く手を振って、クグルノを伴い出て行った。

 閉まった扉を見つめるユークの肩に、手が置かれる。

 

「ユーくん、どうしたの?」

「……マミー」

 

 ユークの頬を人差し指で突いて、紗代子はいたずらっぽく笑う。

 

「ずいぶん親切にしてあげたわね。まったく、ユーくんは惚れっぽいんだから」

「……そんなんじゃないさ。マミーこそ、ミズハちゃんを気に入ってるんじゃないか」

「そうね──面白そうな娘だとは思うわね」紗代子の澄んだ瞳に、怪しげな光が宿った。「その意味で、みいちゃんを東部に送り込んだのはナイス判断よ、ユーくん。彼女に運と実力があれば、更に面白いものが見られる」

「そうだね」

「今日のことは、あの人に報告するつもりなんでしょ? なんて言ったかしら──ほら、あの鶴を飛ばして」

「『黄金鶴きがねつる』だよ、マミー」

「そうそう、それ」

 

 にっこりと笑って、紗代子はくるりと踵を返す。

 彼女を求める声に朗らかに答えながら、ならず者たちの輪の中へ戻っていく。

 ユークは頭を掻いて、戸口に立つクロックを見やった。

 

「俺は心配だよ、クロック。ミズハちゃんのことも、マミーのことも」

「サヨコ、コロス」

 

 応じるようにそう発したクロックはほんの数秒だけ黙って、血走った眼でユークを見つめた。

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