014:「可愛い娘じゃない」
厳めしい鉄の扉を潜った先は、意外にも暖かな印象のある空間だった。
外装とは打って変わって、落ち着いた色の壁紙に磨き込まれたフローリングの床──壁には手縫いの味のあるタペストリーや風景写真などが飾られており、生活感を感じさせる。そして何より店の奥のカウンター席には人が溢れ、和らいだ雰囲気と談笑の声が満ちている。
クグルノはああ言ったが、この田舎の喫茶店のような雰囲気はとぼけた店名にマッチしていなくもない──とミズハは思った。
「……ス……ヨ……ス……」
喧騒にかき消されかけている、押し殺した声。
それをすぐ近くに感じて、ミズハは何気なく左を向いた。
「うん?」
「……ス……ヨコ……ス……サ……」
口を引き結んだままぶつぶつと呟いているものが、扉の脇に佇立していた。
背丈は戸口に頭がつかえるほどの高さ──しかし痩身ゆえか巨漢の威圧感はなく、日暮れ時の影法師のようなもの悲しさと不気味さを醸し出している。
まるで写真を縦に引き伸ばしたかのような不自然さを持つその男は黒装束を纏い、同じ色の手袋に包まれた五本指は鉤爪のように長かった。
頭には一毛もなく、耳は横に張り出すように尖っている。大きく見開かれた眼は真紅に染まり、露出した歯はぎざぎざとしていた。これらの造作を異様に青白い肌が包み込む様は、露骨に人ならざる異形の風格を持っていた。
「ふむ──人ではないね。蠱妖かな?」
「蠱術に関してド素人の癖に驚きもしねえのな。ホントなんなんだ、その無駄な胆力」
傍らのクグルノがミズハを見て、少しがっかりしたように言った。
「こいつはこの店の従業員──お前の察した通り、ここの店主が遣う化物だ」
「あら、しばらくぶりじゃないの!」
クグルノの説明にかぶせるように、店の奥から高い声がした。
カウンターの向こう側──酒瓶を手に持った女性が、こちらに手を振っている。
「ここのところご無沙汰だったから心配してたのよ──忙しかったのかしら?
「くうちゃん?」
思わず繰り返し、ミズハはクグルノを見やる。クグルノは苦虫を噛み潰したような顔で無言のまま歩を進め、カウンターの空いている席に腰を下ろした。ミズハも素直に隣に座る。
「そちらは初めてのお客さんね──可愛い娘じゃない。くうちゃんったら、ママの知らない間にいい人見つけちゃったのかしら」
女性は柔らかく微笑みながら、肘でクグルノを突くようなジェスチャーをする。
艶のある栗色の長髪を後ろに流した、落ち着いた雰囲気の美女だった──たれ目気味の大きな瞳は、自然と相手の緊張を解くようなふんわりとした空気を発している。
「ママ? 君の母親かい?」
「んなワケねえだろ。こいつと俺に一切の血縁関係はない。それ以外の関係も一生ない──ただの店主と客だ」
「おい、クグルノ! ママに対して冷たいんじゃねえのか!?」
「そうだ! 俺達のママを悲しませたら許さねえぞ!」
他の客が一斉にだみ声を上げる。
見れば、この店にいる客は皆堅気とは思えない風貌の者ばかりだった──ある者は顔中に傷跡が走り、ある者は筋骨隆々で眼帯をしている。そんな強面の男たちが一回りは年下の女性を「ママ」と呼ぶ姿は奇妙だった。
「まあまあ皆、落ち着いてちょうだい──くうちゃんはまだ若くて、ちょっと恥ずかしがり屋さんなだけよ。喧嘩するようなことじゃあないんだから」
ママと呼ばれるその女性はカウンターの裏側からおしぼりを取り、怒号を上げた男達一人一人の顔をそれで丁寧に撫でるように拭う。
「ん、まあ、ママがそう言うならよ……」
「クグルノ、反抗期もいい加減にしとけよな」
男たちは途端に大人しくなり、気持ちよさそうに顔を拭かれている。他の客はそれを羨ましげに見ていた。
はっきりと、異様な光景である。
「……なるほど、そういう店か」
「いや誤解すんな。無理もねえけど」
深く頷いたミズハの側頭部を、クグルノが指でごすっと突いた。
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