010:「これが俺の能力だ」

 

 銃声と物が壊れる音が断続的に聴こえる。

 もはや戦場と化した建物の中で、幾間ははいつくばったまま廊下に続く扉を開いた。

 狙撃を避けるため窓のない廊下に出て、立ち上がろうとする──腿に受けた銃創から血が迸り、幾間は痛みに顔をしかめた。

 仕方がない──ぐずぐずしている時間はない。

 意を決し、意識を一点に集中させながら小声で呟く。

 

蠱術こじゅつ──『鋼鉄狒はがねひひ』」

 

 ぬるりと首筋を何かが伝う感触。

 一瞬後に、焼けるような痛みは余韻だけを残して冷たい感覚に変わった。

 拳を握って、指の第二関節で傷口を軽く叩く。こんこん、と硬質の音が体内に響いた。

 

「荒療治だが──止血はできたな」

 

 誰にともなく呟いて、幾間は勢いをつけて立ち上がった。

 

 

 

 衛兵隊詰出入口付近では、激しい銃撃戦が展開されていた。

 物入棚を倒したバリケードで戸外からの銃弾を防ぎながら、憲兵たちが支給品の拳銃で応戦している。

 形勢は憲兵側に不利──逆襲に転じる余地がなく、拳銃の発砲による威圧でなんとか突入を防いでいると言った按配だ。それもやや押され気味だった。

 応戦している憲兵はわずか三人──幾間の隊の七人に加え元々詰所にいた十一人、締めて十八人のうち十五人が戸口の内外で倒れている。

 三人のうち一人が頭に銃弾を受け、悲鳴も上げずに仰向けに倒れた──すぐさま駆け寄った憲兵が彼の腕から拳銃をもぎ取り、二丁拳銃を戸外に向けて連射する。

 被害を敵方に悟らせないための咄嗟の行動──的確かつ懸命に防戦するその女性憲兵は幾間の部下である鰍瞬かじか しゅんだった。

 

「鰍、大丈夫か」

 

 背後から声を掛けた幾間に、鰍は振り向かず応じる。

 

「幾間副隊長殿、ご無事で何よりです」

「ああ、君もな──敵は何人だ」

「銃口の数から推定して五人。潜伏している者がいないと仮定すればですが」

「いるだろうな、おそらく」幾間は苦々しげに応じた。「最後の最後まで奥の手を見せない、それが暗殺者という人種だ」

「私もそう思います。狙い澄ましていたような一斉射撃でこちらの手勢の半数が死にました──事前に布陣を済ませている周到さからすれば、それくらいの用意はしているでしょう」

 

 広場の時点でミズハには複数の尾行がついていた、と見るのが最も自然だ──と幾間は冷静に分析する。何しろ奴は常時、殺し屋に狙われているのだから。

 自分を餌にして追っ手と憲兵をぶつけ、共倒れに持ち込む──悪魔的な発想だった。

 

「君の考えを聞かせてくれ」

「少なくともこのままでは、あといくらかの時間を稼ぐのが精一杯です。こちらから攻勢に出るべきでしょう」鰍は油断なく周囲を見回しながら語る。大木の樹皮を思わせる焦茶色の長髪が左右に靡いた。「別動隊を裏から出し、敵の側面ないし背面から強襲をかけます。こちらと連携し、潜伏者も出ざるを得ない状況に持ち込んで撃滅するのです」

「…………」

 

 無言で促す幾間に、鰍が苦笑して言葉を続ける。

 

「……しかし、この策は実現不可能です。根拠は三つ──まず、別動隊を進発させるにしても、この敵ならば裏口や窓を見落としているとは思えません。二つ目は、別動隊が迂回して敵を突くまでの時間をたせるだけの弾薬がありません。そして最後に、そもそも別動隊を組織するだけの人的余裕がありません」

「すべて向こうは織り込み済みだろうな」幾間は頷く。「俺自身も、事務室で狙撃を受けた──君の言う通り、別の出口は塞がれているだろう。そして人数と装備の差を覆すために奴らは不意打ちを行い、こちらの戦力を半減させたんだ」

「せめて戦闘開始直後にこの策を実行できれば、いくらか望みもあったのでしょうが──すべては後の祭りです」

 

 自らを責めるように、鰍は唇を噛む。

 銃弾が彼女の横を通り過ぎ、壁にめり込んだ。

 

「まあ、そう言うな──今からでも何とかするしかない。君の案を採用する」

「副隊長殿──しかし」

「大丈夫だ」

 

 そう言って、屈んでいた幾間は傲然と立ち上がる。

 

「副隊長殿! 危な──」

 

 鰍の声に遅れることなく、数発の銃弾があやまたず幾間を捉えた──

 

 数秒間の静寂。

 その間から襲撃者たちの困惑が匂い立つような気がして、幾間は薄く笑った。

 

「副隊長……殿?」

 

 鰍が幾間と、幾間の足元に転がる銃弾を交互に見比べた。

 幾間に当たった銃弾はすべて弾かれていた。

 

「蠱術──『鋼鉄狒』。自らの身体を、銃も剣も弾く硬さに変える──これが俺の能力だ」

 

 全身を硬質化した幾間は、くぐもった声でそう告げる。

 

「副隊長殿が蠱術使いだったとは……知りませんでした」

「誰にも言っていなかった。言うつもりも、使うつもりもなかった──しかし、こうなっては仕方がない」幾間は戸外を見据えて言う。「作戦開始だ、鰍。俺が単騎で正面から奴らに挑む。当然、四方から斉射を浴びるだろう──伏兵も出ざるを得ないはずだ。お前達はここで、姿を晒した連中を狙い撃て」

 

 銃弾を受けても死なない人間──その頓狂な要素をはめ込めば、鰍の案は実現性を取り戻す。

 被害がない以上別動隊は一人でよく、また裏口を使う必要も、迂回する必要もない。

 これで──奴らを倒せる。部下を守れる。そのはずだ。

 本能的な恐怖を抑え込むように幾間は自分に言い聞かせる──それに呼応するように、耳の横あたりで荒い息遣いが聞こえた。

 顧みなくとも、幾間にはわかる。首筋から肩にかけての違和感──半透明に透けた大きな猿が、幾間の背にへばりついている。

 

「頼んだぜ、『鋼鉄狒』──俺の命、相棒のお前に預ける」

 

 囁いて、幾間は拳を振りかぶる。

 硬質化した拳で粉砕されたバリケードの隙間から、幾間は飛び出した。

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