009:「あの女の死体は俺が貰う」
「貴様──ミズハと組んでいたな! 俺を引き離して、その隙にアイツを逃がしやがったのか!」
掴みかかる幾間に対して、クグルノはあくまでも冷静に答えた。
「何のことだかわからねえな。密室から煙のように消え去るなんて、俺の手助けどうこうとは無関係な話だろうよ──それともあの女は、そんな能力を持ってんのか?」
「っ──」
答えそうになって、幾間は危うく口を閉ざす。
こいつは変身能力を持ち、他人を騙して殺すサギ師──そんな男相手に、一瞬たりとも気を抜いてはいけない。
一つたりとも情報を与えてはいけない。
「……大人しくしてろ!」
鍵を開け、荒々しくクグルノを房の中に追いやる。
鍵が閉まっていたという事は──ミズハは房から外に出た後、鍵を締め直した。もしくは最初から鍵に触れず、別の方法で脱出した。この二通りが考えられる。
前者ならばこの詰所の中に内通者がいるということ──鍵を開けるのも閉めるのも、そうでなくては不可能だ。
後者ならば──外部の協力者の線が濃厚だ。何らかの能力でミズハを、牢を透過して外に出した。そんな能力を持つ者は幾間の同僚にはいないし、ミズハ自身にもそんな能力はない。
とはいえ、断言はできない。憲兵の中に法を無視して犯罪者に手を貸すような人間がいるとすれば、自分の能力を秘匿していてもおかしくはない──たった一つ確かなことは、協力者がいなくては成り立たない脱出だということだけだ。
それをどうやって見つけ出すか──いや、まずはミズハの身柄確保が先決だ。
必死に思考を回転させながら、幾間は廊下を走る。
詰所の事務室の扉を開け、大声で叫んだ。
「脱走者だ! 房に拘置していた未決囚が逃走した──直ちに捜索を始めるぞ!」
幾間の言葉に隊員たちは一様に顔色を変え、慌ただしく立ち上がった。
幾間は状況を簡素に説明した後、手早く任務を振り分けて命令を下す。それに従い、全員が競うように部屋を出る──
「…………?」
部下たちを追って部屋を出ようとした幾間は、ふと振り返る。
事務室の中に一人だけ、ぼうっと立っている男がいた。先程クグルノの接見要求を伝えに来た隊員だった。
「おい、聞こえなかったのか? 事は急を要する、すぐに──」
「副隊長」
幾間の言葉を遮って、男は震える声を発した。
「あんた──マジで言ってるんですか?」
「何?」
「だから」男の表情が歪む。「今説明してもらったことですよ。『房に戻ってきたらいつの間にか未決囚が消えていた』って……本当なんですか?」
「あ──ああ。不可解な事件だが、何らかの能力を持った協力者がいたとしか考えられない──それよりも今は」
「そうじゃなくて!」
急に大声を出した男を、幾間は目を丸くして見やる。
男は、暗い眼で幾間を睨んだ。
「あんた、嘘をついてんじゃないですか──あの女を殺して、俺達にだけ事実を隠蔽しようとしてるんじゃ」
「なん……だと?」
「絶対そうだ、報酬を独り占めする気だろ──小路泊隊長が消えたのをいいことに、その縄張りを奪おうと」
「隊長? お前、さっきから何を──」
「とぼけてんじゃねえっ!」
男は唾を飛ばして叫び、携帯する拳銃を腰から抜いて構えた。
「畜生、いつかこうなるんじゃねえかって思ってたんだ……兄貴は憲兵隊長の任務と裏事をうまいこと両立できてるつもりだったかもしれねえけど……そんな綱渡り、いつまでも続く訳がねえって……だから心配して、俺がわざわざ隊の中に潜入したってのによォ……」
「…………っ」
「動くな!」
追い詰められた獣のような唸り声と共に、拳銃が火を噴いた。
銃弾が左足をかすめ、焼けるような痛みを覚えて幾間は呻く。
「兄貴の獲物を横取りなんかさせねえ……お前を殺して、あの女の死体は俺が貰う」
奇妙に崩れた笑みを浮かべて、うわごとの様に男が呟いた──
その、次の瞬間。
水気を含んだ果物が破裂したような、重量感を伴う衝撃音が部屋に満ちた。
同時に、男の頭が粉砕する。
咄嗟に幾間は床に這いつくばり、部屋を見回した。戸外に面した窓ガラスに放射線状の罅が入っている。
「狙撃か……!」
思わず舌打ちが漏れ出た。
間を置かず幾間の背後、扉の向こうの玄関口あたりから物音と怒号が聞こえる。
次から次へと何事だ。
何が起きている。
急展開の連続に硬直しそうな脳髄を遮二無二動かし、幾間は現状を把握しようと努める。
思考の取っ掛かりは幾間自身がかつて言った言葉──『複数の殺し屋がミズハを狙っている』こと。
信じがたいが、幾間の上司であった小路泊もその一人だったらしい。眼前の死体はその手下──餓狼のごとき殺し屋の残党は、報酬を欲して暴挙に出た。そしてそれを制した今の銃撃も、きっと同じくミズハを狙う殺し屋のものだ。先の発砲音から事態の逼迫を感じ取り、勝負に出たものらしい。
そして射撃位置とは明らかに異なる玄関口での騒音──これはまた別の殺し屋が突入してきたものだろうか。
法に従って行われたミズハの収監は、血みどろの抗争を生み出そうとしている。
目眩を覚え、幾間は頭を振った。
ミズハ──あの疫病神のせいで、憲兵隊は滅茶苦茶だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます