005:「こういうこともたまにはある」

 

 小一時間ほど経ち、雲に切れ間が見え始めた頃──処刑は執行された。

 

 小路泊の号令の元、一列に並んだ憲兵たちが一斉に銃を構える。

 縛られたままの暗殺者はなおもあがき続けている。なんとか縄を抜けようと体をくねらせながら、同時に小路泊とミズハに何度も顔を向ける。

 何かを伝えたいようだったが、しかし小路泊は彼の猿轡を解くことはなかった。

 ミズハの方も、特段それを提案したりはしない。近場で買ったペットボトル入りの飲料水を傾けながら、ただぼんやりと彼を見ていた。

 再びの号令と、重なる轟音。

 暗殺者はその身に鉛玉を受け、今までの忙しない動きをぴたりと止めてどさりと倒れる。まるで糸の切れた操り人形の様だった。

 

「よし──規則通り、お前達は遺骸を憲兵詰所まで搬送せよ。指揮の代行は副隊長の幾間に任せる」

 

 合図の為に上げていた右手を下ろしながら、小路泊が淡々と言う。幾間が訝しげな表情を浮かべた。

 

「隊長は随行されないのですか?」

「ああ。ちょっと所轄の別隊に用があってな──君の指揮について届け出はしてある。問題ない」

「……隊長、それは本当ですか?」

「どういうことだ?」

「不自然です。処刑完了後の遺骸搬送も立派な任務ですよ──もしかして、そいつ絡みですか」

 

 幾間の刺すような視線をいなして、ミズハは無言で右肩を上げた。

 小路泊は首を横に振る。

 

「何を言っているんだ? こいつに用などないさ」

「ミズハはあなたと旧知だと言っていました。それに、隊長の態度は何かおかしい──今日、ずっとです」

「過敏になり過ぎているんじゃないのか、幾間? お前こそ普通じゃないぞ」

「いや──彼は正常だよ」

 

 ミズハは軽やかに会話に割り込んだ。

 その場の全員の視線が集中する。

 

「かと言って、小路泊隊長の言葉も嘘ってわけじゃないがね」

「意味の分からないことを言うな」苛ついた表情で小路泊が追いやるように手を振る。「処刑が見られて満足だろ? さっさと行け」

「彼は私に用があるんじゃない──君達隊員に用がないのだよ。もっと言えば、彼は一刻も早く一人になりたいのだ」

「おい、何を──」

 

 小路泊の言葉を待たず、ミズハは手に持ったペットボトルを投げた。

 回転しながら飛んだそれは、あやまたず目標──小路泊の顔面に命中する。

 軽い音に一瞬遅れて、中身の水が降りかかった。

 

「てめえ、何してんだ! 憲兵にケンカ売るつも──」

 

 幾間の怒声が止まる。

 憲兵たちが目を丸くし、息を呑んだ。

 

 

 小路泊の顔面が、猛暑の中に放置したアイスクリームのようにずるりと崩れていた。

 

 

 小路泊は顔に手を当てる。

 しかし崩壊は止まることなく、指の隙間から肌色の液体がぼとぼとと垂れた。

 それまで小路泊の肌だったものが──溶けて崩れて、流れ落ちる。

 その中から出て来たものは。

 

「お……お前は……!!」

 

 隊員の一人が、呆けたように呟く。

 そこにいたのは、たった今処刑したばかりの男──捕縛された暗殺者だった。

 

「言う必要もないだろうが一応捕捉しておくと、私の投げたものは濃硫酸でもなんでもない。ただの飲料水さ」跳ね返って戻ってきたペットボトルを拾い上げながら、ミズハはこともなげに呟く。「つまりは──彼は小路泊隊長と入れ替わっていたのだ。彼の能力でね」

 

 あまりの驚きに凝固する憲兵たちの間をすいすいと進み、ミズハは地面にくずおれた死体に近寄る。

 うつ伏せの体をつま先でひっくり返し、ペットボトルに残った僅かな水を振りかけた。

 まったく同じ反応──暗殺者の若い肌は見る間に溶け落ち、その中からは小路泊のややくすんだ肌が現れる。

 憲兵たちの驚愕に染まった顔に、さらに絶望の色が混ざった。

 

「捕まったものの、どこかのタイミングで隙を突いて小路泊隊長と入れ替わることに成功した彼は──そのまま隊長を生贄にし、処刑を完了させて行方をくらまそうと考えた。彼の能力が『他者に化けられる』ものだとすればまったく別人に化けて逃げるという無難な手も選びえたはずなのだが、しかし彼はそうではなく実に大胆な手を選択した。おそらく、自分を公の記録の上で死んだことにできるという点をメリットと考えたのだろうね──しかし往々にして、大胆な手段にはリスクも付きまとうものだ。彼の場合、それは『水』という弱点となって現れた」

 

 ミズハはすでに薄くなった雲を見上げる。

 たかだか通り雨が降りそうだという理由だけで任務を先延ばしにしようとした、小路泊の行動──そこにミズハは違和感を感じ取った。

 無論、確証などない──むしろ、半ば思い付きに近い行動。

 しかしそれは、真実を指し示した。

 

「とまあ、偉そうに語ってはみたが、実を言えば後付けの部分も多い話さ──」

 

 相変わらず時が止まったような連中に、ミズハは泰然と微笑みかけた。

 

「つまるところ、世の中一寸先は闇ということだよ、憲兵諸君。君たちは不幸にも自らの手で上官を殺してしまった形になったわけだが、そこはあまり気に病まない方がいい。こういうこともたまにはあると切り替えて、今後も職務に邁進してくれたまえ」

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