第一章──殺し屋と嫌われ者と泥狐

001:「夢はともかく、良い朝だ」

 

 ゆっくりと、瞼を開ける。

 ミズハは薄汚れた天井を見つめながら、一つため息をついた。

 やはり──気分の良いものではない。

 

「同じ夢ばかり見るのなら……いっそ、何も見ない方がよほどいい。眠るたびに同じ映画を見せられるようで、もう飽き飽きだ」

 

 敵意に溢れる軍勢。

 それらを残酷にも食い尽くす、金色の蜥蜴。

 ただ立ち尽くし、それに魅せられる自分。

 毎晩、脳の中の銀幕に再演され続ける夢──それを見始めたのは、もう数年前になる。細部に至るまで寸分違わぬその夢は、もはや過去の記憶と間違うほどに鮮明に思い出すことができた。

 

「そりゃ、気の毒だ」

 

 相槌を打つ声が死角から響く。

 その相手を確かめることもせず──寝ころんだままで、ミズハは薄く笑った。

 

「そうだろう? どうしたらいいか、助言をもらえないだろうか」

「その夢の中で、いつもと違う行動をとってみるっていうのは? 違った展開になって、せめてもの変化を楽しめるかも」

「無理だよ──夢の詳しい内容については、以前君にも語ったことがあるだろう。夢の中の私は、何一つ能動的な行動を起こしていない。ただ衝動に従って笑い、勝手に出てきた化物の暴れる様をぼんやりと眺め、心に浮かぶままに感想を述べるだけだ。完全に受け身なのだよ──そしてそれは、自ら望んで受け身でいるのではない。夢の中の役割として、私ができることはそれだけなんだ」

「決まりきった役割を何百回も繰り返させられる、か──そりゃ、本格的に退屈だな」声は困ったように言う。「いっそ、その夢の中でもう一回眠っちまったらどうだ?」

「ふふふ。それができたら面白いけれど──どうせ、その中でもまた同じ夢を見るに違いないさ」

 

 ミズハは弾みをつけて上体を起こす──寝癖のついた髪を撫でつけながら、部屋の隅を見る。

 青空を映す窓の脇に、声の主は立っていた。

 

「晴れているね。夢はともかく、良い朝だ。やあ──おはよう、黒沢」

「おはよう、ミズハ」

 

 黒沢はどす黒い髭面をにこりともさせずに挨拶を返す。

 

「済まないが、着替えをしたいんだ。これでも花も恥じらう乙女なものでね──いったん、リビングの方に移ってもらえるだろうか?」

「…………」

 

 ミズハの申し出に、黒沢は黙って首を横に振る。

 

「まあ、そう焦らなくとも良いじゃないか──その手に握った拳銃で私を撃つのは、暖かい朝日に包まれながらゆっくりと食事をした後ではいけないのか?」

「この仕事自体が、随分長引いちまってるんでね。もういい加減、決着を付けなきゃならない」

 

 黒沢はにべもなく答え、構えている拳銃を握り直す。

 ミズハは応ずるように背筋を伸ばし、両手を広げた。

 

 轟音。

 黒沢の拳銃から発射された弾丸は──しかし、ミズハを貫くには至らなかった。

 外れたのでもない。ミズハの身の回りにも、床にも壁にも天井にも──なんの傷もない。

 弾丸は、あやまたずミズハの眉間に向けて射出され──その中途で、消滅していた。

 虚しく漂う硝煙を透かして、黒沢の苦々しい顔が覗く。

 

「長い付き合いなのだ、君こそもういい加減悟りたまえよ──銃では私は殺せないと」

 

 そう言って、ミズハは何事もなかったかのように立ち上がる。

 向かい合った黒沢の胸に届くほどの身長しかないミズハは、彼を見上げて首を傾げた。

 

「気が済んだら、リビングに移ってくれ。着替えたら朝食にしよう──君はいつも通り、目玉焼きは固焼きが良いんだね?」

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