第31話 理想こそ弱点
(天条もぐら)
さてどうする?
正直言って、無策だ。
向かい合う間、ひたすら思考を回していたが、名案は浮かばない。
「じゃあいくぜ、兄貴――」
「は? いやまてなによーいどんで始めようとしてんだっ、
こんな至近距離で始められたら俺に勝ち目があるわけねえッッだあ!?」
せいはの拳が俺の頬を掠めて通り過ぎていく。
飛んでいった衝撃波がコンクリート塀を粉々に砕いた。
「熱っ!?」
拳に灯っている炎ではなく、拳と頬が擦れた摩擦による熱だろう……、
炎の熱さは感じられなかった。
本物の炎ではない?
まあ確かに、本物ならせいはの手が火傷しているはずだろうしな。
「あっ、ぶねえ!? 早ぇよ、一撃で終わるところだったぞ! 今!」
「兄貴なら避けられるだろうと思ったからな」
結果的に避けられたから良かったものの……、
せいはの手の炎が一瞬、小さくならなかったら気付けなかった。
それだけせいはの動きに予備動作がなかったのだ。
予備動作と言うなら、その炎を見れば目安になる。
けど、あくまでも目安。
過信しているとそれを逆手に取られる場合がある。
せいはにそんな頭があるとは思えないが……念のためだ。
ステイシアの入れ知恵かもしれない――杞憂ならその方がいいしな。
それにしてもせいはのやつ、一切の躊躇いもなく殴りにきやがった。
今のが当たっていたらどうするつもりだったんだ……?
俺が死んだら勝利条件にしている『世界平和に俺も協力する』という約束も叶えることができないって言うのに……。
そうなれば、せいはからすればなんのために勝ったのか分からなくなる。
邪魔者の排除と言うのであれば、まったくの徒労でもないけど……。
…………。
――あれ?
せいはは誰一人傷つかない世界平和を作るために、
それを邪魔する俺を倒そうとしてるんだよな?
いや、いいんだ。
これは必要なことだと、器用なやつは臨機応変に考えを変えて壁を越えていくはずなのだから……それが普通。
でもせいはは違う。
不器用で、バカで、頑固で、決して自分の信条を曲げない――。
そんなせいはが、理想を叶えるためとは言え、
一時的にでも掲げた理想を否定するようなことはしないはずだ。
だから――ここだ。
賭けるとしたら、ここしかない。
勝ち目のない戦いにほんの数ミリの隙間が見えた。
俺の考えが間違いで、勝利に伸ばした指が押し潰される可能性も充分にある。
半々。
可能性としてはかなり高い。
賭けるにしては、リスクがあるのだから分が悪いと言えよう。
だけど俺としては、まあ、どっちでもいい。
せいはがこれまでと変わらないと言うのであれば、俺は勝てる。
だけど、俺が負けたとしたら、
なにを言っても一切曲げなかった信条を、せいはが曲げたことになる。
それはせいはにとっては成長と呼べることだ――。
理想を追い求めるだけじゃ、夢物語は夢物語のままだと気付いたことになる。
どちらに転んでも俺は得をする。
だから、だ。
俺は向かってくるせいはの拳に向かって、ただ当たりにいけばいい。
「……ッッ!?」
拳が逸れる。
腕でガードされてしまったが、捨て身覚悟の俺の拳がせいはに届いた。
せいはがどれだけ力を持っていようが関係ない。
たとえせいはが拳だけじゃなく、
イリスやかなたと同じように水や雷を使えたところでなんの影響もない。
せいはがいくら強くても、俺を殺せないのであれば、
人間離れした能力なんて宝の持ち腐れだ。
振るえない力に意味はない。
結果を残せなければ切れた頭で考えた手段もアイデア止まり。
俺の顔面に当たる寸前で拳を逸らしたことで、
せいはの手の中にある全てが持っていないのと同じになった。
衝撃波とはいかずとも、猛烈な向かい風が遅れてぶつかり、足がよろめく。
体が流された。
おっとと、と後退した足を止めて視線を上げると、目の前でせいはが睨んでいた。
対等と言いながらせいはには自分が上だという自負があったのだろう……文句はない。
実際、そんな格好をしていれば生身の俺よりも上だと錯覚するはずだろう。
それが今、覆されている。
戦いにおける視点を変えただけで、だ。
「卑怯、だぞ……っ!」
「いや、卑怯じゃないだろ。脅したわけでもないし。構わず俺を殴ればいいじゃんか。
それでお前の勝ち。俺はいなくなるけど邪魔ものもいなくなる。
ステイシアと二人で新しく世界を作っていけばいい……。
負けた俺に口を出す権利もないしな」
やられたら出す口も命もないわけだけど。
そこまでされたら、俺もおとなしく身を引くよ。
「難しく考えるなよ。零か、十かの話だろうが。やるなら徹底的に、殺せ。
できないなら夢物語は夢のままにしておけよ。
お前に覚悟があるなら、迷うことなんかないはずだ」
せいはが、ぎりり、と音が鳴るほど歯噛みする。
……ムカつくんだろう。
男同士の本気の決闘をこんな馬鹿にしたような一手で覆されて。
挑発的な俺の言葉も拍車をかける。
覚悟があるなら殺せる……本気のせいはには深く刺さる言葉のはずだ。
本気だからこそ、せいはは俺を殺せない。
理想を崩してしまえばせいはの中で芯が揺らぐことになる。
ここで俺の排除を認めてしまえば、後々になって歯止めが利かなくなるだろうな……。
一度でも破ってしまえば、信念なんて曲がっていく。
俺は、それでいいじゃんかって思うけど、せいはにとっては違うのだろう。
せいはのその男らしさこそが、弱点なんだ。
「……殺せるかよ……っ、できるわけないだろ、そんなことッッ」
「でも、できないとお前の理想は叶わない。俺が邪魔するからな」
「なんでっっ、そこまで頑なに否定するんだよっ! なんで邪魔するんだ!? だっておれたちは、誰も傷つかない世界を作りたくて……たたそれだけなのにッッ!!」
「勘違いすんなよ。忘れたのか? 忘れたとは言わせない。俺はさ、お前たちが叶えたい理想の世界を否定したいわけじゃないんだ。どうぞ勝手にやってくれって話だ。
状況が違えば、俺だって協力してたかもな――」
もしも。
もしも、イリスが奪われていなければ。
たったそれだけ。
たった一つの犠牲がなければ、俺は邪魔なんかしなかったのだ。
「俺にとっては、イリスだけはどうしても譲れない。
お前たちにとって未来も現在も一緒だって言うならそれでも構わないけど、
俺はそうやって割り切れないんだよ」
お前たちが認めないだけで、犠牲は既に出ている。
一人や二人じゃない。
赤魔人に襲われた人や赤魔人に変化した後に自殺した人だっている。
もう最初から破綻しているんだ。
「お前の理想は叶わないよ。だって、誰一人傷つかないってことは、全員を平等に見るってことだ。誰かを救って誰かを救わないってことができない。それは覚悟の上だろう? でも、特別扱いが一人でもいた段階で、全員を平等に扱うなんてできっこないんだ」
「おれは、誰かを贔屓したりなんかしないっ!」
「そうか? じゃあ――、お前にとってステイシアは、地球の裏側にいる名前も知らない誰かと同じ存在なのか?」
せいはの口が開いているが、声が出ていなかった。
全員を助けるその心意気は良い、実際に救えるポテンシャルもある。
だけどきっと、ステイシアに危機が迫れば。
せいはは全てをかなぐり捨ててでも、助けにいくだろう。
それでいい。
俺の弟なら、そうするはずだ。
もしも、理想の世界を目指すためにステイシアまで見捨てるって言うなら――、
失望じゃなく、軽蔑する。
「……分かってるよ、特別だってことは。言わなくても見ていればな。お前にとって一番がステイシアであるように、俺にとってはイリスだった。傍にいてほしい特別な人が奪われたなら、お前だってきっと足掻くだろ、どんな手を使ってでも救い出そうとするはずだろっ!?
その時に理想を求めていたら一番大切なものさえも取り戻せない。なにかを諦めなければ取り戻せないようになってんだ! だからっ、お前らはきっと失敗する、どこかで必ず致命的なミスをやらかすだろうさ……。
成功の可能性を上げるよりも、先に失敗のリスクを減らせ! 欲張るな、全部を手に入れられると思うな! 両腕で抱え込んだたくさんの目標の中から、こぼれたのが一番大切なものだった場合、後悔するのは他でもないお前なんだからな!?!?」
「じゃ、じゃあ、おれは、間違ってんのか……? 誰も傷つかない平和な世界にしたいってずっと思っていたのは、兄貴の背中を追っていたのは、間違いだって言うのかよ!!」
「正しいか間違いか、なんて人のさじ加減。お前が正しいと思えば正しいし、間違いだと思えば間違いだよ。どっちだと思う? お前が決めろ。
色々と言ったが俺はお前にこうしてほしいとは言ってないぞ? 俺はこう思ってるって伝えただけだ。肯定するも否定するも好きにしろ。衝突するなら受けて立つ。その上で、大切なものを取り戻すためならどんな卑怯な手だって使うからな」
正面突破する力が俺にはない。
必然的に、正道からは逸れたやり方になる。
それで取り戻せるなら、どんな評価も受け入れる。
だって、どれだけ罵られようとも、馬鹿にされようとも、守れないよりはマシだろ?
「わかんねえよ……わっっかんねえよっ、兄貴の言ってることは!!」
「そうか」
「頭がパンクしそうだ……くそ、くそっ、くそおっっ!! 兄貴が正しいんだって、思ってる……でもおれにだって、これまで積み重ねてきたものがあるんだよぉ!!」
これまで心の支えになっていた芯をすっと引き抜けるはずもない。
そのへんはせいはの苦悩の仕方で、すっぱりと切り替えるか引きずるかに関係する。
ま、俺がそこまで面倒を見る義理はない。
迷え、悩め。
そして出た答えこそが、お前の新しい芯になるんじゃねえの?
「なんにせよ、お前次第だよ、せいは」
「に、兄ちゃん……」
兄貴ではなく、前の呼び名に戻っていた。
俺を前からではなく、後ろから見るせいはに逃げたのか。
「おれ、これからどうすればいい……?」
不安そうな声だ。
……はあ。
ここまで言っても、成長しないやつだ。
「――知るか」
情けない顔すんな。
お前の後ろには、ステイシアがいるんだから。
たとえ間違っていても、
お前は正しい顔で前を向いていなくちゃいけないんだよ。
「せいは。歯、食いしばれよ?」
「えっ」
いつもなら当然のように避けられたであろう俺の拳を、せいはが顔面で受け止めた。
骨を打つ感覚が拳から伝わってくる。
……だからこそ、響いたはずだ。
今後、せいはがどう動くか。
それがなんであれ、響いたならそれでいい。
一度でも咀嚼してくれたなら充分だ。
肯定も否定も受け入れる。
お前が俺の真似でなく、自分の意見として理想を求めるなら、邪魔はしない。
こうして対立しない限りはな。
そして、せいはが倒れる。
弟は、立ち上がらなかった。
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