第26話 低い場所にある神の座
人格が人格を塗り潰す。
未来が現在を食おうとしている。
かなたの場合は、イリスを始末するなら責められるべきは自分だと覚悟して、表の人格を乗っ取るために動いていた。
だけど未来のイリスは最初から、
この時代のイリスの人格と居場所を奪うために行動をしていた。
本当に、最初から。
未来のイリスにとってここが過去であれば、簡単に運命を転がすことができる。
俺の死を回避し、
イリスと俺が過ごす日常に割り込むことも、
今のイリスのその立ち位置を奪うことも可能なのだ。
それが理不尽で身勝手な行動なら責め立てることもできた。
しかし未来のイリスは言ったのだ、
「あの子はもう知っている」
と。
「全部、納得してわたしを受け入れてくれましたよ?」
と。
そんなの……そんなのって――、
あいつは自分が消えることに納得していることになる!
……ふざけんな。
俺が。
俺の方が!
納得なんて、できるわけがない!!
表面に戻ってきた俺は、校庭で体育の授業を受けていた。
俺がいない間、俺の体を動かしていたのはパターンによる複製人格だ。
意識が戻った途端に知っているようで知らない世界に放り込まれた感覚は、浦島太郎になったような感じだ。
しかし、今回に限れば現状の把握は必要ない。
やることがある。
なによりも優先することが。
背後から聞こえる体育教師の制止の声を振り切り、俺は校庭を後にする。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!?」
理由をでっち上げてイリスを授業中の教室から連れ出し、校庭は体育の授業をしているので使えないため塀を乗り越えて学校から脱出。
清掃員に見つかり追いかけられるも、なんとか振り切り、近くの公園へ辿り着いて――、
息を整えるまで数分がかかった。
「な、なんなんですか一体……? 連れ出した理由も嘘みたいですし……っ」
「なんなんだ、って、のは、こっちのセリフだ……ッ」
イリスの手を引き、ベンチまで引っ張った。
「あ……」
「なんだ、どうした? そう言えば俺を嫌う設定、あれはなくなったのか?」
「……気付いてたんですか。わたしが先輩を嫌ってないって」
「ああ、と言いたいところだが、ごめん気付いてなかった。カマかけただけ」
嫌っていない、が、つまり好きであると言うほど単純なものだとは思っていないが、まるでそうであるかのように、イリスの顔が真っ赤になる。
あれだけ裏で好き好き思っておいて今更……って、あれはイリスじゃないのか。
未来のイリス。
そのため、実際、目の前のイリスが俺に好意を見せたことはない。
一年前、出会った時からしばらくは仲が良かった、と思うけど……。
先輩としては話しやすい、くらいだろう。
まあ、イリスが実際、どう思っていたのかは分からない。
どう思っていても、気にはなるが、知りたいわけではなかった。
「聞いたよ」
「はっ! ……こほん。なにを、ですか」
「イリスが消えること」
「……ですか」
驚いた様子はなかった。
「今のこのシーンを、わたしは未来視で見ていましたから、準備はできていました」
「なら、俺がなにを言うかも分かるよな?」
「それは……はい、でも、無理なんです。わたしは失敗しました。夢の中で一度、未来の出来事を見ました。せんぱいが死ぬところを、この目で見て、とっても悲しくて……あんなことが起きてはならないって、思ったんです。
わたしから遠ざかれば、せんぱいは別の違う世界に繋がることはない……だから突き放したんですけど……でも、やっぱりせんぱいは首を突っ込んでしまうんですよね……」
困っている誰かを救うために。
そう言いながら、イリスは呆れていながらも嬉しそうだった。
「わたしだって、せんぱいを守れたなら守りたかった。
でも、無理だったんです。そして今後、わたしじゃせんぱいのことは守れない」
「だから、消えるって言うのかよ……っ」
「でもせんぱい。だって未来のわたしは、結局わたしの延長線上にいます。今と未来で区切ってしまうから別人に感じるだけで、表と裏みたいに、今も未来も同じわたしです。
だから、『この』わたしにこだわる必要なんかないんですよ?」
「だけど! 未来のイリスが歩んだ道のりが今のお前がこれから進む道と同じになるとは限らない! 未来のイリスは俺の死を見た、でも今のお前は俺の死を見ない……見ないようにするんだろ!? だったらもう同じとは言えない。
別人だ! 神酒下イリスという名前と見た目をしているだけで、まったく同じ人間じゃないんだ。だったら俺は区切るぞ、一人一人別人だって! そして俺は、裏でも未来のイリスでもない――お前だ。お前が俺にとっては、一番大事な、イリスなんだよっ!!」
「ありがとうございます、せんぱい」
弾むことなく、諦めを覚悟した声と言葉だった。
「でも今のわたしでは守れません。わたしが消えてせんぱいが生きるのと、わたしが生きてせんぱいが死ぬのなら、わたしは自分の犠牲を選びます。バカなことだって、せんぱいは言うかもしれませんね。自己犠牲なんて、せんぱいが一番嫌うタイプみたいですし。
それでも、せんぱいに嫌われてもせんぱいに生き続けてほしいって思ったんです。未来のわたしとの会話、未来視で見させてもらいました。その……かなり好意を言葉にしてたみたいで……自分ですけど他人事のように考えて、それでも恥ずかしいですね……でも、あの好意は今も未来も変わりません。わたしも、あれくらいせんぱいのことが好きですから」
気付きませんでした?
と、イリスが頬を指でつついてくる。
「わたしを助けておいて、惚れられない、なんて考えていたんですかねー、この人は」
「……野ションしてたところに声をかけたら嫌われると思うだろ……」
「野ションじゃないって言ってるでしょ!!」
余裕を失ったイリスが両手で顔を覆い隠す。
「忘れていたのに……せんぱいのバカ。
そうだよ、わたし、好きな人の前で野ションしてる非常識な女の子って思われて……」
「俺が勘違いした時はまだ好きじゃなかっただろ。じゃあ気にすることないよ」
「そういう問題ではないですけど、そう思うことにします……」
とにかくっ、とイリスが立ち上がった。
「わたしはせんぱいが好きです。好きだからこそ、わたしは消えて、せんぱいを助けたいんです。……それにわたしの人格が消えるだけで、わたしは生き続けます。未来のわたしがこれからも先輩の隣にいますし、よければ、その、大人になっても一緒にいられたらなあって思ってもいます……だから、忘れてくださいとは言いませんけど、きっとわたしのことはもう一人のわたしと接している内に、混ざると思いますよ」
あの子だってわたしですから。
……何度も聞いたその言葉。
イリスにとってはそれが説得の材料なのかもしれない。
でも、俺にとってはその考えが、一番、腹が立つんだ。
シリアルナンバーで分けているみたいに。
大きな機械を動かす小さな部品として見て、それが欠けたから追加で製造された部品をはめ込んで問題なく作動した機械を使っている内に、一部の部品の年代が違うこともいずれ忘れていくと言われたみたいだ。
人間をそんな風には思えないし、ましてや相手はイリスだ。
思えるわけ、ないだろ……ッ。
「俺にとって、お前は妹みたいなものだったんだ。かなたとこなたよりも近い、俺よりも一つ下の妹……俺にとってお前の存在がどれだけ大切だったか、お前は分かってない」
「せんぱい、そろそろわたし、いきますね」
「ふざけんなよ、くそ! 毎日毎日、俺の教室にきて、中身のない雑談をさせやがってさあ! お前がいない日は寂しかったぞ! お前に嫌われてどんなに嬉しいことも喜べなかった! お前がいたから俺の毎日は楽しかったんだ! そんな体にしておいて……お前がいなくちゃ毎日を楽しめない体にしておいて、お前からどこかにいくなんて勝手だ!!」
イリスが微笑んだ。
ごめんなさい、と口の動きだけで言った。
「せんぱい、ありがとうございました、お世話に、なりました」
「イリス!!」
「――せんぱいを好きでいられて、わたしはすっごく、幸せでした」
そして。
まぶたを一度下ろしたイリスが再びまぶたを上げた時、
その瞳に感じられたのは、これ以上ないってくらいの好意だった。
「せんっ、ぱーいっ!」
俺の胸に飛び込んでくる、
イリスであって、イリスではない少女。
未来のイリスだ。
「あの子との最後の挨拶は済みましたか?」
「…………」
「最初はつらいと思いますけど、これから一緒に、もっと楽しい思い出を作りましょう」
俺はイリスの頭を撫でて、ベンチに座らせる。
「ああ、そうだな……少し、待っててくれるか?」
頷いておとなしく座るイリスから離れ、公園を出る。
俺の背中がイリスから見えなくなっただろうところで。
近くにあった電柱に向かって、
ゴッッ!! と、拳を叩きつけた。
何度も何度も、気が済むまで――しかしこのままだと拳の方がもたない。
痛みなんて感じないが、握った拳が開けなくなったところで、呟く。
この苛立ちは、今ここでなにをしても発散されることはないだろう。
「――ステイシア」
「くると思ってた」
俺の隣にすぐに舞い降りたステイシアは、ずっと見ていてくれたのだろうか。
「用件は?」
「消えたイリスを取り戻したい」
「無理だ、未来の人格に塗りつぶされたなら、もう取りもどせないよ」
「方法は、ないわけじゃないんだろ」
ステイシアが黙る。
ないわけじゃない。
しかし現実的ではない、と言った顔だ。
「全てをリセットすることもできるはずだ。時間を元に戻すとか地球を新しく作り直すとかそういうスケールのことを言っているわけじゃない。簡単に、さ。この半年で世界が変わったならそれを一に戻すくらいなら、お前でもできるだろ、ステイシア」
お前だからこそできる。
なぜならステイシアが変えたのだから。
原因というのならそれが全ての発端とも言える。
魔法少女も、未来の人格も、表も裏も赤魔人も。
全てがそうとは言わないまでも、
リセットしてしまえば今のイリスが消えることはなかったのだ。
俺だって、死ぬこともない。
ステイシアだって、神の座から下りれば、
表の世界で意識を取り戻し、こなたとやり直すことができる。
ステイシアが神をやめると言えばそれで済む。
「そんなことできるもんかっ! もしも世界を元にもどせば、世界中でまた戦争がはじまる。大きな戦争だけじゃなく、小さな争いごとまで毎日毎日……、この世界だったら死ぬはずのなかった人たちも、元に戻った世界で死ぬことになる。
いじめから殺人事件まで! 人の悪意が世界中に、またひろがることになるんだぞ!!」
世界という器が天秤に乗る。
イリスという一人の女の子には絶対に釣り合わない、大きな器だ。
普通なら。
でも、ここにいるのが、誰だと思ってる。
「おまえ……イリスのために、世界中の人間を犠牲にするつもりか!?」
「分かってる。そんなことは百も承知なんだよ」
「分かっていてもイリスを取るのか――おまえは!?」
「そうだよ。そもそも今までがおかしかったんだ。世界平和? 結局、表の汚い部分を裏に追いやっただけで、誰も処理しない悪感情をイリスとかなたとステイシアで処理していただけじゃないか。三人の女の子が日中問わず働いて、未来を犠牲にして、それを知りもせず、感謝さえもしないで、平和な世界をのうのうと生き続ける大勢の人間――。
いいのかよ、それで!! 人から奪ったお金で美味しいものを食べても美味しく感じないように、そんな犠牲の上で成り立っている世界平和は、本当に世界平和なのか!?
――ふざけんなっっ!」
俺は認めない、絶対に。
「犠牲者が増える? 自分の身を自分で守れないなら仕方ないだろ。何千年って今までそうやって世界は回ってきたんだ。俺たち子供が変えていいものじゃない。表も裏も持ちながらそれでも周りの空気や互いの顔を見てどっちの顔を出すか人は考えていたんだよ。だからこそ仲良くなることもあれば、逆に対立することもあった――いいじゃないか、それでさ。
悪感情を引っこ抜いて無理やり仲良くさせても結局、上っ面の付き合いで終わる。全員が一律に仲良くなってもただ連絡先を多く知っているだけの形だけの関係だ。
いらねえだろそんなの。
それよりも本音をぶつけ合った、たった一人でもいい、そんな理解者がいた方が、人の人生ってのは潤うと思うね」
だから、言う。
俺は。
俺はずっと前から――これこそが解決策だと、思っていたのだから。
「よこせよステイシア、その位置を」
俺の方が上手くやれる。
「――俺が、次の神になってやる」
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