第21話 予測不能

(天条もぐら)


「っっ!!」


 かなたが包丁を手放して生徒会室から出ていく。

 包丁を捨て、後を追いかけた。


 逃がすかっ!


「せ、せんぱ――」

「後で説明する!」


 イリスにそう言い残して廊下に出たが、かなたの姿がもう見えない。

 くそっ、さすが化け物並の運動神経を持つ妹だ!


 あのかなたが裏のかなただとすれば。

 元々持っている運動神経に、魔法少女としての経験を活かした行動力が加われば、この逃げ足にも納得だ。


 まさか飛び降りたわけじゃないよな?


 近くの窓から外を見る。


 さすがにそれはなかったようで、

 昇降口から出ていくかなたの背中を見つけた。


「今から追っても……っ、あれは……?」


 昼休み。

 学校の周りを外周している部活がある。


 野球部やサッカー部などのメジャーな運動部に混じっているのが、ボクシング部だ。


 参加人数は少ないが、こういう時は必ず出席しているのが、あいつが強い理由だろう。


 すぅ、と息を吸い――、


!!」


 校庭に響く俺の声が、聞こえたかどうかは分からない。

 だが、聞こえていると信じて一方的に言うしかなかった。


「かなたを、捕まえろォっっ!!」



 外周をしている集団の中から一人が外れ、立ち止まった。

 せいはだと信じて、俺も校庭に向かおう。


「あいつ、どんな耳してんだよ」



(天条かなた)

 

 なんであんなところに兄さんが……?

 もしかして兄さんは、あたしがイリスを始末することを見抜いていた……?


 ……あり得る。

 兄さんの洞察力なら、少ない情報から推測してもおかしくはない。


「っ、失敗、した……っ、でも、逃げるのは早計だったかも……。

 あの場で兄さんを気絶させて、イリスを始末することもできた……。

 そうしておくべきだった!!

 後のことはどうなってもいいって決めたなら、少なくとも、元凶だけでも取り除いておくべきだったっっ!!」


 兄さんから詰問されるのが怖くて逃げてしまったけど、それこそが失敗だ。

 先延ばしにすればするほどチャンスは失われていく。

 今を逃したら、イリスは今後、兄さんの手で匿われてしまうだろう。

 そうなったらイリスのやりたい放題だ。


 ……兄さんは奪わせない。


 急ブレーキをかけたが足がもつれて転んでしまう。


 あーもうっ、体が重いし動きにくいし……、

 魔力を遠慮なく上げ続けた結果、こうして足を引っ張るとは思っていなかった……っ。


 未来を引っ張って魔法に変換する……、

 つまりあらゆる可能性を奪うことになる……。


 未来がなくなれば、次は現在と過去にまで手を出すってことだった……?


 ステイシアめ……、

 知っていて黙っていたのか……っ!


「なにやってんだ、かなた」

「……兄さん」


 坊主頭の、小さい方の兄さんが立っていた。


 暑い中、ランニングをしていたのだろう、体操着を汗で濡らしている。


「兄さんだって? おいおい、暑さで頭がやられたか? お前はおれのことを兄さんとは呼ばないし、いっこも尊敬しないで生意気に名前で呼んでただろうに」


「そんなことない。尊敬してたよ、一応ね」


 立ち上がって、制服についた砂をはたき落とす。

 兄さんの理想主義は、あたしにとっての昔から今まで、変わっていない。


 その一貫性は、尊敬できる頑固さだ。


「……お前、?」


「……なに言ってるの? れっきとした妹だけど」


「ああ、まあそうなんだけど、なんて言ったらいいのかな……直感だけど……そうだな、あれだあれ……えっと、そう、今のかなたじゃなくて……」


 もぐら兄さんが情報を集めた上で推測し答えを出すなら、せいは兄さんは真逆。

 たまにだけど、推測を何段も飛ばして一発で答えに辿り着く天性の閃きを持つ。


 言葉を探していた兄さんが、しっくりとした言葉を見つけたようで手を打った。


「そっか。そういうことか」



「せいはっ、かなたを捕まえてくれっ!」


 背後にもぐら兄さんが追いついてきた。

 ……こんなところで……もたもたし過ぎたっ。


「兄さん、そこを通してもらうよっ!」

「なにをしたか知らないけど、兄ちゃんが言うなら無理だ。お前を捕まえる」


 兄さんの視線が、一瞬、わたしのスカートに落ちた。


「血……お前、本当になにしたんだ?」

「ッッ」


 動きづらいけど、元々持っている運動神経のおかげで、魔法によって引かれていてもまだ一般人並の運動神経は持っている。

 兄さんを避けて逃げるくらいは簡単――。


「いつものプロレスごっこならお前の癖は分かってる」


 兄さんが拳を構える。

 しかしわたしと衝突する直前で気付いたらしい。


 眉をひそめ、


「そっか、今のお前は、癖を知っていても意味がないのか……」


 兄さんが知る天条かなたは、この場にはいないから。

 さすがにあたしでも、中学生の頃の癖は抜けている。


 兄さんが、全盛期には及ばないまだ中学生の拳をあたしに向け――、


 加減をして拳を突き出した。


 多分だけど、衝突点をずらしているはず。

 兄さんのことだから、急所に限らず、怪我や痣になるような場所も狙っていない。


 すれ違うあたしのバランスを、ちょこっとずらすような、

 威力のないパンチを繰り出したつもりだと思う。


 そういう甘さがあるのは、一貫性があると変わらないもの。

 世界中の全員を救いたい兄さんは、逆に言えば誰も傷つけたくない。


 妹のことはもちろん、たとえば敵のことも。


 だからこそ、



 兄さんがずらした衝突点にあたしがわざと顔を持っていけば、

 なにもしなくとも兄さんの方からずらしてくれる。



「なっ!?」


 咄嗟にずらされた拳に頬を掠めたものの、兄さんの脇下を通り抜けることに成功した。


 すれ違う。

 もつれる足に転びそうになるも、両手を地面についてなんとか持ちこたえる。


 校門はもう目の前だ。


「捕まるくらいなら、一旦体勢を立て直すためにも逃げ――」



 ごいんっっ! と、視界が揺れる。


 気付いたら、あたしは倒れていた。



 ……なにが起きたの……?


 手を伸ばすと、そこには、

 ボロボロになった片方だけの靴が横になっていた。


 これ、あたしとせいは兄さんで、

 昔、もぐら兄さんにプレゼントした……?


 そのもぐら兄さんの声が後ろから聞こえてくる。



「一か八かで投げてみたら、意外と当たるもんだな」



(天条もぐら)


 手の平に深々と食い込んだ刃による傷口を、保健室で処置してもらう。


「……包帯、わたしに任せてもらえませんか?」


「イリス? ……この傷に責任を感じてるのか知らないけど、これくらい平気だ。

 包帯だって大げさだしさ、いらないくらいだよ」


 そう強がってみたが、治療のために包帯はしないといけないらしい。

 保健の先生にたしなめられた。


 実を言うと、傷口が剥き出しというだけで痛む……。

 気持ちの問題だろうけど。


「お願いします、やらせてください」


 泣きそうな顔を見せられたら、嫌だとは言えなかった。

 手の平を差し出す。

 イリスが俺の腕を取り、包帯を巻き始めた。


 保健の先生が、職員室に用事があると出ていった。


 ……気を遣った、わけではないんだろう。


「……ごめんなさい……」

「ん? あー、そっか、そっちが先か……」


 俺はイリスに、自分を責めてほしかったわけじゃない。


 これで言葉や好意を求めたわけではなく、下心も打算もなかった。

 単純に目の前であれを目撃したら、助けない方が難しいだろう。


 それにしも運が良かった。


 もしも今日の昼休みに生徒会室に忍び込んでいなければ、

 イリスは今頃、この世にはいなかったのだから。


 一つでも狂っていれば助けられなかった。

 複数の糸が束ねられた中から生存の可能性を引き当てたことを考えると、その可能性の低さにゾッとする。

 イリスを奪われていたかもしれないのもそうだが……かなたの方も。


 イリスを殺していたら、かなたの心の方もまともではなくなるだろう。


 行動が裏のかなたなら、責任を取るのはこっちの世界にいる表のかなたなのだから。


「俺は謝ってほしいわけじゃないんだよ」

「……でも」


「別に言葉なんかいらないけど、どうしても言いたいなら、どうせだったら感謝の言葉の方が聞きたい。表情も、暗いよりも明るい方がいいだろ」


 イリスが包帯を巻き終え、リボンのように結んでくれた。


「ありがとうございました、せんぱいっ」


 無理やりでも泣き笑いでも、

 笑ってくれる方がイリスには似合ってる。



「どうしてせんぱいは生徒会室のロッカーに隠れていたんですか……?」

「ぎくっ」


「責めてるわけではないです。結果論ですけど、わたしの命を救ってくれましたから……。

 これくらいは目を瞑ります。

 たとえ着替えを見られていたとしても、今回は怒ったりしませんでしたよ」


「後からそれを言うのはずるいだろ。

 怒られないなら見たかったな……」


「下心はないのでは?」


 ふふっ、とイリスが自然に笑った。


 重苦しかった空気がやっと元の軽さを取り戻した気がする。


 俺が生徒会室に潜んでいたのは、昨日のことがあったのだ……、

 たとえ片方の兄でなくとも、イリスとかなたの仲が気になるのはおかしなことじゃない。


 あくまでもあれは裏の人格同士が喧嘩しているだけだった。

 悪感情が押し込まれたゆえの対立なら、表の人格は表向きであってもなくても、仲良くしているはずだ。

 だが、裏の人格が表に出ている前例を知っていると、安心もしていられない。


 互いに裏の人格ならまだ警戒のしようはあるが、もしも片方だけが裏の人格になっていたなら……なんて、冗談半分で考えていたら、俺が危惧した通りのことが起きた。


 杞憂にはならなかったわけだ。


「イリス、一緒にきてくれるか?」

「はい。どこまでも」


 なんだか返事が重たい気もするが、

 構わず俺はイリスを連れて保健室を後にする。

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