第9話 表? 裏?
校門を抜けたところですぐにイリスを見つけたが、反射的に踏みとどまる。
昨日の夜に会ったイリスは裏のイリスだ。
表のイリスとは別。
表裏一体なので別ってわけではないのだが、果たして裏の出来事を今のイリスが把握しているのか……、そこまでは聞いていなかったため、不安だ。
面と向かって嫌いだと言われた相手に、いつも通りにおはようとは声をかけづらい。
無視されたり他人行儀に返されても、どちらにせよ傷つく……。
それでも、もしも魔法少女のことを覚えているなら、聞いておきたいことだ。
今後に影響するイリスの事情と、今だけで終わる俺の傷心を天秤にかけた場合、どちらを取るかなんて明白だった。
悩むまでもない。
「……イリス」
後ろから声をかけると、彼女が振り向いた。
良かった、反応はしてくれた。
しかし、無視されなかっただけで、昨日みたいに拒絶されたら正直きつい――。
それでも、引き下がるわけにはいかなかった。
「なあ、イリスはさ――」
しっ、とイリスが口元で人差し指を立てた。
……黙れ、と?
「せんぱい。………………えいっ」
俺よりも頭一つ分小さいイリスが、両腕を俺の首の後ろに回して顔を近づけてきた。
急にぴょんと跳ねたものだから短いスカートがふわりと舞う。
咄嗟にイリスのスカートを押さえたことで両手が塞がってしまい、抗うことができなかった。
口が塞がれた。
柔らかい感触が脳汁をどばっと溢れさせる。
やがて、べったりと密着していた唇が離れた。
……数秒のことなのに、一分以上もくっつけたようにも感じる。
それにしても……なんだろう……キスを、し慣れているような気がする……。
「…………、っ! って、いきなり、なんだよッ、なにすんだ!?」
「えへへ、サプライズですっ」
「サプライズって、お前な……体を張り過ぎなんだよ……ッ」
「別に嫌々でやってるわけではないですよ? 誰に脅されて命令されたわけでも罰ゲームでもないです。わたしが、せんぱいとしたいから、したんです」
「だとしてもだ、こんなところで――」
周囲を見回すと、奇跡的に誰にも見られていなかったようだ。
俺が長く感じていただけで実際は数秒のこと。
それに顔と顔が接近していたからと言ってキスをしていたとは限らない。
それに、仮にキスを見ていた生徒がいたとして、その場で叫ぶようなことはしないだろう。
まず自分の目を疑うんじゃないだろうか。
こんな往来が多い場所でキスするやつなんかいるわけないし……(ここにいるけど)。
その後で、俺たちの関係を注視するようになってから、答え合わせをしていく、とか。
分からないけど、そうやって見た光景をゆっくりと咀嚼してくれると助かる。
「あの……こんなところじゃ、ダメでしたか?」
「ダメってことはないが……それよりも、イリス。なんでキスをした?」
「言わせます……? 言わなくても分かると思いますけど……」
「いいや、分からないんだ。昨日のことがあったから尚更、な」
「仕方ないですねー、一度しか言いませんからしっかり聞いていてくださいよ、もー」
こほんと咳払いをしてから、イリスは照れもせずに言った。
「せんぱいのことが好きだからです。っ、きゃっ、また言っちゃった!」
紅潮する頬を両手で押さえてその場でじたばたするイリスは、見たことがある。
そりゃまあ、イリスを見たことはもちろんあるんだけど、こんな風に好意を向けてくれるのは、対極と呼ばれる片割れだけだ。
「お前……、裏のイリス……?」
でも、世界は表のままだ。
それとも俺が気付いていないだけで、いつの間にか裏面に迷い込んでしまっていた、とか……?
確かに裏面に自分の意思で入る方法は知らない。
必ずステイシアの許可が必要になる。
だから昨日、俺とせいはがなぜ裏面に入ってしまったのかは、未だ分からないままだ。
解明できていないから、昨日と同様のことが起こっていても不思議ではない。
「ここは表面の世界ですよ、安心してください」
と、イリス。
それなら良かった……。
また赤魔人に襲われでもしたら、今度こそ焼死体になってしまいそうだ……。
となると、目の前のイリスはやっぱり表のイリス?
じゃあ裏面の知識か記憶か、共有していると見ていいのか?
でも、俺を嫌いだと言った昨日のイリスと真逆の言動をしている。
……このイリスは、どっちだ……?
「さて、どっちだと思いますう?」
「……裏だろ」
「ありゃ、正解です」
つまんなーいと言いたげに、唇を尖らせる。
唇……に、視線が向く。
意識し出すとそればかりに目がいってしまうが、割り切ってしまおう。
妹がじゃれてきたと思えば、邪念なんかすぐに消せる。
「よく分かりましたね。って、そりゃそうですよね。昨日あれだけ嫌っていれば表のわたしとは思いもしませんか」
「もしも表のイリスが俺を好きになったら、裏のイリスは俺を嫌いになるのか?」
「そうなりますね。同じ人格なら、表と裏で分かれませんから。わたしが隠したい感情が裏に押し込まれるんです」
「そうなると、あいつは好意を隠したがってるってことになるんだけど……なんでだ?」
「さあ? きっぱり分かれた人格なので、そこまでは分かりません。ちなみにせんぱいが気にしてる表と裏で記憶は共有しているかどうかについてですけど、裏は表の状況を把握していますけど、表は裏の状況どころか存在すら知りません。
なので表のわたしに裏のことを聞いてもぽかんとされるだけだと思いますよー」
さらっと心の中を読まれていることに驚いた。
それとも、現在進行形で読んだのではなく、これまでから推測しただけかもしれない。
裏面のイリスがこっちにいるとなると、つまり、魔法少女がここにいるってわけだ。
魔法少女の魔法が、もしも、表面でも使えるとしたら……、
イリスを疑うわけではないけど、せっかくなくした争いごとが再び起こる火種になってしまいそうだ。
「大丈夫です、魔法は持ってこれません。あくまでも、人格だけです」
「そりゃそうか。ステイシアがそんな脇の甘いことするわけないもんな」
いくらなんでも魔法少女になった者に、表面で使える不思議な力を与えるわけが……。
「――そうだ、忘れてた! イリスに聞きたいことがあったんだ!」
「わたしの方ですか?」
「ああ、裏のイリスじゃないと分からないことだ」
表のイリスに聞いてもぽかんとされるだけだろうし、最悪、可哀想な子を見る目で見られてしまうことになる。
無視よりはマシなので最悪ではないとも言えるが……、
しかし、心の痛みの度合いで言うと同列だろう。
ただイリスなら、無視したとしてもそれは聞かなかったことにしてくれた優しさって場合もあるから、一概に無視を無視と受け取るのもどうかと思う。
イリスが言ってくれなければそんなの判断のしようもないのだが……。
「それで、聞きたいことなんだが――」
「あ、じゃあせんぱい。交換条件があります。教えてあげるので、放課後、わたしとデートしてくれませんか?」
それは交換条件ではないだろう。
どっちも俺が得をしてる。
「わたしも、損なんかしませんよ?」
つまりは建前として、交換条件を出しただけのようだ。
「でも生徒会は? 忙しいんじゃないのか?」
「あ、別にそうでもないですよ。表のわたしはわざと仕事を多く引き受けて、忙しくしていたみたいですけど」
…………それは、俺と会わないために?
露骨に避けられてるなあ……。
「たぶん、放課後までに途中で裏と表が入れ替わってると思いますけど、予定はちゃんと伝えておくので、せんぱいは嫌われていても気にせず連れていってくださいねっ」
それでは! と言い残して、裏のイリスの雰囲気が消えた。
そして、スイッチが切り替わるように、びくんっ、と肩を跳ねさせたイリスが、閉じたまぶたを開けて目の色を変えた。
彼女の目に映っているのは、動揺と恐怖だった。
「よう、イリス……って待て!
無言で防犯ブザーを鳴らそうとするなっ。
俺はなんにもしてないからな!?」
なにもしていないことはないが、それでも、したのはお前からだ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます