2章 魔法少女vs赤魔人(安定こそ否定材料)
第5話 裏面の世界
「あつっ、つう、熱っ!?」
実際に尻に火が点いた状況だった。
猛スピードで炎から離れていっているが、炎が追いついてくる速度も早い。
手の形をした炎の指先が俺の体を引っかける瞬間、
「せんぱいに――触るなッッ!!」
俺を抱えて屋根から屋根へ飛んでいる彼女が、握っている槍を振り回して、伸びていた指を切断する。
炎なのでぼとりと落ちたりはしないが、切断された部分が空気中に散っていく。
すぐに炎が補充されて指が復活するが、その僅かな時間だけでも、第一関節部分のリーチがなくなったのは助かった。
炎の発生源である人間から離れること八百メートルほど……、
五階建てのビルの屋上に着地した。
空中を使って逃げていた俺たちとは逆に、せいはの方は地面を走って逃げていたようで――せいはを抱えた小柄な少女がビルの壁を走って俺たちの隣に着地する。
上と下で相手の意識を分散させる狙いがあったのだろう……片方に集中されていたら、一人にかかる負担は大きかったはずだ。
その場合は狙われていなかったもう片方が援護をすることで対応もできるから、あの状況では最善だと言えるだろう。
こうして今になって考えれば分かるが、あの場で咄嗟に思いつくことはできない。
よほど頭の回転が早いか、状況に慣れているか。
対応をパターン化させているのかもしれない。
「って、熱、制服っ、まだ燃えて――」
袖の端で揺らめいている炎を消そうと、ばたばたと太ももに叩きつける。
中々消えない炎に焦っていた頭が――次の瞬間、まばたき一つで一気に冷えた。
毛先から滴る水滴。
がくんと重たくなる制服。
頭の上からバケツ一杯分の水が落ちてきたからだ。
「はい。火、消えましたよ」
「……ここまでやれば、そりゃな――」
落ち着きを取り戻すと、意識しなくとも腰が地面に落ちた。
はぁ、と一息吐く。
しかし、他にやり方はなかったものか……。
袖に移っていた一センチにも満たない小さな炎だったのに。
「体のどこに火種があるか分かりませんから。消したつもりでも、残っていた一ミリの小さな火種から大きな火事になるのが、タバコの不始末から広がる火災ですよ?」
火だるまかずぶ濡れか、考えるまでもなく後者の方がマシだ。
「それもそうか……ありがとう、イリス」
「いえいえどういたしまして、せんぱいっ」
学校で見る青いセーラー服ではなく、似ているが、今のイリスの方が華やかだ。
スカートがさらに短く肩が露出していることを除けば、学校の制服とそう変わらない。
制服よりも明るい青で、白と青の二色だけでないところも違いと言えばそうか。
そして、身の丈以上の長さの槍を持っている。
先が三つに割れた、三つ叉の槍だ。
「…………」
「どうしました、せんぱい?」
イリス、だよな?
……イリスだろう、間違いなく。
話し方、表情……やっぱりこの一年間、一緒に過ごしてきたイリスに間違いない。
なのにどうしてだ?
最近まったく向けられなくなった彼女の笑顔が、今になって向けられているのは。
嫌いになった。
あいつはそう言っていたはずなのに――。
「さっきのこと、なんだけどさ……」
「せーんぱいっ。ちゃんと好きですから、そんな不安な顔をしないでください。
きゃっ、言っちゃった!」
「…………お前、そんなキャラじゃないだろ」
「そりゃ表面のわたしはこんなこと言わないと思いますよー。だって恥ずかしがり屋ですからね。比べてわたしは裏面です。あの子が抑え込んでる感情こそ、わたしですから」
表面? 裏面……?
なるほど――いや分からん。
分かりそうで分からない。
イリスだけを見れば言いたいことも汲めるが、しかし炎に包まれた人間……、
あれはどう説明する?
その格好も、三つ叉の槍も、一言じゃ説明がつかないだろう。
『ここは裏面だから』
なんかで納得はできない。
「せんぱいは細かいことを気にしますね」
「命に関係なければスルーしてたかもしれないけど、そうもいかない。
実際、お前らに助けてもらわなければ俺もせいはも、炎に飲み込まれて灰になるまで燃やし尽くされていたかもしれないんだろ?」
「そうはならないな」
と、せいはを救ってくれた小柄な少女が見た目通りの幼い声で言った。
イリスと違って派手な衣装ではなく、もしかしたらそうかもしれないが、それを隠す黒い外套を羽織っている。
フードも深々と被っているので、顔も分からなかった。
「……と言いたいところだが、どうやらおまえら二人は例外みたいなんだよな」
「例外? 嬉しくない例外だな……」
全員が当たるはずのくじ引きではずれを引いたみたいな運の良さ(悪さ)だ。
「右足、けがしてるだろ」
少女が指差した通りに、俺の足に小さな切り傷があった。
意外と炎に追われていても火傷はしなかったようだ。
すぐにイリスが対処してくれたおかげもあるだろう。
ただ切り傷は、移動中に破片だったり地面に擦ったりしてついたものだろう……、
本当に小さな傷だ、言われるまで俺も気付かないくらい痛みもなかった。
「え、これまずいのか?」
「傷の大きさは関係ない。ついたことが問題なんだよ」
「……その口ぶりからすると、普通は怪我をしないってことか?」
「そういうこと。この世界に入れるのは本来なら精神体だけなんだけど、おまえらはなにをどう間違ったのか、肉体のまま入ってきたんだ」
ということは、この少女もイリスも、精神体……?
「精神体がけがをしても心が傷を負うだけ。虚無感、トラウマ、そういうものがつきまとうと考えればいい。だからこの世界でたとえ首をはねられても死ぬことはないんだ」
でも、俺たちは違うのだと言う。
「精神体でなく本来の肉体でこの世界にいるおまえらは、首をはねられたら即死だ。
それが分かったら、いまの状況がどれだけまずいのか理解できただろ?」
「ひとまずは。あの炎に焼かれたらあっという間に焼死体のできあがりってわけか」
「……うん……そうなるな」
こうして話している間にも逃げて稼いだ距離は着実に詰められている。
分かりやすく真っ赤に目立つ炎に包まれた人間が、俺たちがいるビルを目指していた。
「あれは、どうして俺たちを狙ってる?」
「別におまえらを狙ってるわけじゃない。ふくしゅうを終えて、気分が高揚しているせいで手当たりしだいに動くものを襲っているだけだと思う」
「あれは理性がなくなった化け物か?」
「ううん……あれは、元々は、人間だよ。表面で生活している誰かの精神体。他者の悪感情の標的になってこうげきされた結果、体が燃えて、赤魔人になっただけ……」
「元々は人間、か……」
それだけ分かれば充分だ。
「なら」
すると、今まで黙って聞いていたせいはが立ち上がった。
『助ける方法はあるんだな?』
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