第3話 避けられてる?
それから。
イリスはなにもなくとも毎日毎日、俺の教室に顔を出した。
実はイリスを苦しめていたいじめに関しては、あれから意外と早く解決したのだが、それでもイリスは俺の教室に顔を見せ続けた。
「友達はいないのかよ。暇なのか?」
と、聞いたことがある。
「せんぱい時間を作って充電しにきてるんですうー」
俺の前の席の椅子に座って、俺の机にぐでーと突っ伏すイリス。
いつもこんな感じだ。
クラスメイトの愚痴を聞かされる毎日……、
ある時からそれがなくなったので関係は良好なのだろうけど……。
イリスがくるのは決まって昼休みだった。
「この時間こそ仲を深める時間だろうに。俺のところにきてお前はさあ……」
「深めてますよ。だって、わたしの最優先はせんぱいですから」
「あ、そう……」
「えー、なんですかそのリアクション」
すると周りからガヤの声。
「それ、照れてるだけだな」
「天条が話す話題はいつも弟のことかイリスちゃんのことだから大切に思われてるよ」
「こいつ、人望はあってもイリスちゃんみたいに特別仲が良いやついないから、見離さないでやってくれよ。こいつは本当に良いやつだからさ」
と代わる代わる俺の頭の上に同級生が手を乗っけてくる。
鬱陶しく乗せられた頭の上の腕を手で払い、
「お前らっ、散れ、しっしっ!」
「せんぱいが良い人だって知ってますよ。だからわたしは――」
すると、イリスが誤魔化すように壁の時計を見て、
「も、もう時間なんで戻りますねっ、じゃあせんぱい、また放課後!」
「放課後も会いにくるつもりなのか……?」
帰り道は毎日とはいかなかったが、慌てて追いかけてきたイリスと合流して途中まで帰路を共にすることがよくあった。
そんな毎日の繰り返し。
進展もなく、後退もなく、
顔を合わせてどうでもいいことをただ駄弁るだけの関係が心地良かった。
学年が違うからずっと一緒ってわけではないから、ちょうど良かったのだろう。
この距離感が一番、相手の嫌なところを見つけないで済む。
そして。
いなくなるとそれはそれで物足りないくらいには、イリスに依存していた時だった。
イリスと出会ってから丸一年。
お互いに進級し、後輩が入ってきた年だ。
停滞し続けた俺たちの関係に、遂に変化があった。
一年の後半頃から、イリスは生徒会に入っていた。
その時はまだ役員ですらなく、先輩(俺の同級生)の手伝いという立場だったが、二年になって一気に副会長にまで登り詰めた。
庶務以下からの大躍進だ……すげえ。
だから多忙なようで、俺と会う頻度も次第に減っていっている。
……生徒会の仕事なら仕方ないから、いいんだけどさ……――ただ。
「なーんか、最近、避けられてる気がするんだよなあ……」
校内でイリスの姿を見かけて声をかけようとすると、こっちを見たわけではないが、あいつはなにかを察知したように方向を変え、歩く速度を速めている気がする。
ばったりと出会った時も、最低限の挨拶だけで、なんだか素っ気ない。
イリスにもイリスの人間関係ができてきて、そっちに本腰を入れているなら、いじめられていたイリスを見てきた俺としては嬉しいことのはずなのに……。
なんだか気持ち悪い。
なにをしても集中できないと言うか。
……昼飯が、いつから美味くなくなった?
「それお前、寂しいだけじゃん」
俺に言われたわけではない教室内でされていた会話の一部分を拾って頷く。
まったく、その通りだ。
というわけで、イリスに直接聞いてみることにした。
生徒会室の戸を叩くと、
「はいはーいっ」
という聞き慣れた声が聞こえてきた。
戸が開けられ、顔を出したのは上の妹である、かなただ。
今年、入学した一年生の中で生徒会に入ったのはこいつだけらしい。
生徒会も、よくもまあ受け入れたものだと感心してしまう。
昔からムードメーカーだけど、同時にトラブルメーカーでもあるのだ。
そんな妹が、俺に気付いて、にぱっと笑った。
「兄ちゃんっ!」
犬の尻尾のように揺れる黒いポニーテールが見えた気がした。
もちろん、実際はそんなわけないが、
喜んでいるのは表情だけでなく、全身がそわそわしているようでよく分かる。
若干、小麦色に焼けた肌。
生徒会に入っていなければ運動部に入っていただろう。
今よりももっと焼けていた可能性がある。
去年なんか真っ黒だったからな。
そんな妹がスカートを履いているのも驚きだが、
なによりも、デスクワークをしているなんて考えられない。
授業の大半を椅子に座っていられないあいつがだぞ?
「どしたの兄ちゃん。一緒に帰りたいなら少し待ってて。もうすぐで終わるっぽいから」
「いや、そうじゃなくて……イリスはいるか?」
「副会長なら――って、なにしてるんですか、ふーくかーいちょー」
かなたの頭の上から部屋を覗くと、避難訓練のように机の下に身を隠していたイリスがこほんと咳払いし、机の下から四つん這いで抜け出してきた。
女子は共通の水色のセーラー服を着ている。
ところどころに白いアクセントがついていて、他の生徒と同じはずなのに、イリスが着ると違って見えるのだから不思議だ。
スカートが短くないか? と心配になってしまう。
「消しゴムがね、落ちちゃって……。あ、かなたさん、おつかいをお願いしてもいい?」
「おつかいですか?」
「休憩にするから、近くのコンビニでお菓子をいくつか。はいお金」
「はーいっ。じゃあいってきます! じゃね、兄ちゃんっ」
おう、と手を振って、すれ違う妹を見送る。
……生徒会室には俺とイリスだけだ。
他の役員はいない。
今日は休み……ではなさそうだ。
他の机の脇にカバンが下げられているし、作業途中らしく、プリントとペンが机の上に乗っている。
「お菓子の持ち込みなんていいのか?」
「授業中はもちろんダメですけど、運動部は部活中にスポーツドリンクとか持ち込んでいますから、生徒会だっていいんですよ。これも部活ですから」
「それもそうか」
「それで、なんの用ですか? 会長に用でも?」
「違う、お前だよお前。会長に用ならスマホで連絡取れるじゃないか」
生徒会長は同級生なんだから。
「だったらわたしにも連絡取れるでしょうに」
「お前が拒否していなければな!」
あ、と声こそ漏らさなかったものの、イリスの口がその形を作っている。
忘れてた、みたいな反応だ。
……このやろう。
「で、だ。……俺、なにかしたか? ここ最近……時間がなくて会えないのは分かる、けどな……無視したり素っ気ないのはなんでなんだ……? 理由が分からないと直しようがない。分かってないことが、もっとムカつくのかもしれないけど……ごめん、教えてくれ――じゃないと、このままお前との関係が自然に切れて終わるのは嫌なんだよ」
「わたしは嫌じゃありませんよ。終わらせたいくらいですから」
…………は?
「きちんと言わなかったのが逆効果でしたね。自然と切れてくれるのが一番ダメージがなさそうだなと配慮したんですけど……せんぱいは離れていく関係を追いかけてくる人でしたもんね。……分かりました、はっきり言います。嫌いなんです、せんぱいのことが」
「嫌いって……いやだから、それはいいんだよ、ただ、その理由が知りたいんだって!」
「それはいいんですね……じゃあ、まあ、そういうとこですよ」
「……?」
「言わなきゃ分からないところも、大っ嫌いです」
「おい――」
ぱんっ、と胸の前で両手を叩いたイリスが、
「では、お引き取りください。そして二度とわたしの前には現れないようにご注意を」
「いや納得してないからな!? 急にお前、そんなこと言われても――」
「せんぱい」
イリスが取り出したのは防犯ブザーだった。
……そんなものをまだ持っていたのか。
「いま、生徒会室で二人きりです。ここでわたしが被害者面して嘘を言っても全員が信じてくれると思います。少なくとも、会長は信じてくれますね。会長の言葉には力があります。せんぱいを加害者にすることはとても簡単なんですよ?」
イリスの指が防犯ブザーの紐をつまんだ。
はあ……、と思わず溜息が出た。
下級生の女子を襲ったという悪評を流され、学校、クラスでの今の自分の立場を失うという脅しに俺が屈するのだと、まだ思われていたことが悲しい。
いいよ、別に。
俺はお前に言ったはずだけどな。
たとえ全世界を敵に回そうとも、
たった一人でも味方がいてくれるならそれでいいだろうって。
少なくとも俺には絶対の味方である家族がいるし、代償を払ってイリスに嫌われた理由を知ることができるなら安いものだ。
理由が分かれば繋げることも切ることもできる。
だから、
「引っ張れよ」
「……やっぱり」
「そんなもんが本当に脅しになると思っているなら、やってみればいい!!」
「せんぱい……」
「手を引くくらいならもうどうにでもなれ! お前が答えるまではんぐう!?」
その時、言葉が詰まった、というか息が詰まった。
喉が絞まって呼吸ができなくなる。
「う、お……こ、の、感覚は……っ!?」
「副会長になにしてんだ兄ちゃんは!!」
かなたが俺の背中に張り付いて首を絞めていた。
いつもするプロレスごっこのようだが、しかしこれはまずい。
かなたの腕が完全に首に入っている。
「…………っ、……! …………!?!?」
タップしてるのに、かなたの力が全然、弱くならない!?
というかおつかいから帰ってくるのが早いよ!
「男の獣の部分を見せた兄ちゃんから副会長を守るんだーっ!」
「まってまってかなたさん!? せんぱい、本当にまずいって泡吹いてるからーっ!?」
そこから先はまったく覚えていなかった。
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