第2話 乗りかかった船

 女の子が顔を真っ赤にして叫ぶ。


 上の方から、

「いまのなに?」

 という話し声が聞こえてきた。


 覗かれるとまずそうだ。

 見渡されたら今のままだったらばれる。


 見えにくいだけで見えないわけではないのだから。

 だけど見えにくいことには変わりないので、姿勢を低くして茂みに埋もれてしまえば完全に姿を消すことは可能だ。


 その代わりに快適さを犠牲にするが……仕方ない。


「ちょっとごめんよ」

「ふぇ!? きゃっ」


 女の子を押し倒して茂みに埋もれる。

 上の方から、


「どしたの?」

「なんか外から声がしたんだけど……誰もいないや。暑いから早く教室に戻ろっ」


 という会話が聞こえてくる。


 どうやら見つからなかったらしい……、

 仮に見つかっていたらかなりまずい状況ではあるんだけど。


 後輩の女の子を押し倒している上級生の絵だ。

 この子に訴えられたら絶対に勝てないだろうし……。


 一か八かの賭けだった。

 いま気付いたが、足が茂みから出ていたらしい……。

 よくばれなかったな、と今更、冷や汗が背中を流れる。


 でも、改めて考えれば、覗かれても構わなかったようにも思えるけど……、


 しかし、「野ション」発言は俺ならともかく、

 この子からすれば絶対にばれたくないだろうな。


 したかどうかは関係なく、そういう誤解をされた時点で終わりに近い。


「ふう。どうやら一難去ったみたいだな。怪我はないか?」

「うう……、葉っぱを少しかじっちゃいましたけど……」

「安心しろ、毒はない、はずだよ」


 たとえあってもかじった程度なら影響はないだろう。

 女の子の頭の上に乗る葉を取ってから、手を伸ばす。


「あ、ど、どうも……」


 小さくて細い手を掴んで引っ張り起こす。

 腕だけでなく全体的に細身だ。

 つい二ヶ月前までは小学六年生だったのだから、小柄な体型も納得だった。


 一部、他と比べて発展途上な部分があり、将来が楽しみでもある。


 漆でも塗ったような綺麗な肌をした白い足。

 リッチウェーブしているクリーム色の髪を肩まで伸ばしていた。

 お世辞でもなんでもなく、これはただの事実だが……美少女だ。


 今は体操着姿で土の汚れが多いから劣って見えるが、制服を着たら絶対に可愛い。

 汚れた体操着姿ですら隠し切れていないのだから、この可愛いは覆らないだろう。


 だから唯一とも言える欠点を挙げるとすれば、顔だろう。


 顔? 美少女だって言っているのに? 


 雰囲気が美少女だったり人との接し方で美少女だって判断する人もいるだろうけど、俺はあくまでもこの子を顔で美少女だと判断した。

 なのに顔? だと思うだろう。


 顔は顔でも、表情だ。

 だからひとまずは、荒療治。


「ふぐ!?」

 と女の子が声を漏らしたのは、俺が彼女の両頬を指でつまんだからだ。


 上下左右に引っ張って表情筋を柔らかくしてやる。


「暗いぞー。可愛い顔が台無しだ。笑え。ほらほらっ、声出してさ、全力で!」

「えへ、いひ、ふへっ、へへっ、ひへへへ」

「うわ、笑わされてるなあ」


 まあ無理か。

 諦めて頬を離す。


 赤くなった両頬を押さえた女の子が、一歩、二歩、と俺から距離を取った。


「な、なんですかっ、なんなんですかっっ!?」

「俺は二年の天条もぐら。よろしく」


「できませんよよろしくなんてっ! 

 人の頬を乱暴につまんで上下左右に引っ張り回してなにがしたいんですかっ!」


「笑った方が可愛いのに、勿体ないなって思って。でも、表情だけ笑っていても仕方ないんだよな……取り繕った笑顔はいらない。俺はお前の心の底から笑ってる笑顔が見たかったんだよ。

 なにがしたいかって言われたら、それかな、今のところ」


 言葉の詰まった女の子の赤くなった頬は未だ変わらず。

 強くつまみ過ぎたかな?


「……その、嬉しい、ですけど、ダメなんです。可愛くちゃ……」

「どうして?」

「……いじめられるから」


 ぼそっと呟かれた。

 その答えは想定内と言えば、その通り。


 だって全学年合同でスポーツテストと健康診断をおこなっているのに、そこからはずれて茂みの中で塞ぎ込んでいるとなれば、十中八九がいじめだろう。

 単にサボりたいだけなら教室でいい。


 ……そもそも健康診断もスポーツテストもサボるようなものじゃない。

 記録が伸びないだけなのだからいくら手を抜こうが咎められることはない。


 わざわざ暑い日の、日陰とは言え茂みの中で身を隠すように縮こまる理由なんて、限られてくるだろう。


 ……いじめ。

 いじめ、ね。


 入学したばかりの一年生にしては早い、とは思わない。

 ほとんどが小学校から変わらないメンバーだろうし、いじめが続いていた場合は単純に舞台が変わっただけだ。

 小学六年も中学一年も変わらない、子供だ。


 可愛いからいじめられる。

 理由としては充分。

 であれば、相手は女子か。


 男子が好きな子にちょっかいをかけたにしては、この土の量はあんまりだろう。


「なるほどな。正直に言うと、解決はできそうにないなあ。

 上級生が出ていってもお前が……ごめん、名前なんだっけ?」


「……神酒下みきした、イリスです……」


「じゃあ、イリス。そう、イリスがさらに悪者になっちゃうと思う。『上級生を味方につけてあの女、むかつくーっ』って感じで、同級生がハンカチを食い千切っちゃうんじゃないか?」


「ふふっ、なんですかそのイメージ」

「大衆的に共通のイメージだと思ったけど……これがジェネレーションギャップ?」


「いっこしか違うじゃないですか、せんぱい……あははっ、なんだか、元気でました」


 彼女が素で笑ってくれた。


「そうか。じゃあ、戻るのか?」

「……まだ受けてないスポーツテストがあるので。たぶん、上級生と混ざってやることになりますけど……そこなら邪魔されないと思いますから」


「じゃあ俺と一緒に回るか?」

「え?」


「乗りかかった船だ。とは言っても俺じゃ解決できないと思うし、かえって悪化させちまうから手を出さないだけだからな? 見捨てたわけじゃない。いじめの解決策ってのは結局、本人の意思で嫌だって言えるかどうかなんだよ。大人に頼ってもたぶん無理。大人の世界に子供が口を出せないように、その逆もそうだからな。どうせいくら言ったって子供は聞きやしないんだ。規制すればするほど裏でこそこそやるだけだ。俺みたいに」


 たとえば年齢制限とかな。


「せんぱいみたいに?」

「そう俺みたいに――って、言わないからな? 抜け道をばらすほどバカじゃない」


 危なかった……誘導尋問に引っかかるところだった。

 イリスの純粋な目を汚すわけにはいかないからな。


「……。でも、わたし、嫌って言ってます……なのに、みんな聞いてくれなくて……」


「やり返したらいいと思うけど。無理なら、放っておけばいい。どうせすぐに飽きていくと思うぞ。それでも続くなら、疲れたら俺のところにこい。俺はお前を絶対に嫌ったりしないし、ずっと味方だ。思う存分に甘やかしてやる。だから……お前には味方がいるんだと分かっていれば、誰にいじめられて、嫌われたって、へっちゃらだろ?」


 解決することはできないけど、帰る場所を用意することはできる。


「相手も同じ人間だ、どうにもできない相手なんていないんだよ」

「…………はいっ」


「そんじゃまあ、とりあえず一緒にテストを回るか」

「うんっ」


 茂みから出て、室外機の隙間を通って体育館を目指す。

 すると、俺の後ろをついてくるイリスが、気付けば俺の服をつまんでいた。


 妙に歩きにくいと思ったら……


「おい」

「あ……、ごめん、なさい……」


「それ、歩きづらいからさ、手でいいか?」


 手を出すと、イリスの指先が恐る恐ると言った様子で俺の手の平に触れた。

 そこから寝ている猫を起こさないように優しく撫でてくるのでまどろっこしい。


 イリスの手をガッと握った。

 彼女を引っ張って歩き出す。


 なにも言わずにちらりと背後を見ると、緩みまくった彼女の笑顔。

 ……やっぱり。


 笑うと土だらけの体操着とか関係なく、可愛いじゃないか。

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