死想
横銭 正宗
第1話
女子高生が自殺。
そんなニュースが騒がれ始めたのはつい先日で、うちの近所にカメラが集まり出したのもちょうど同じくらいだ。
16歳の女の子が突然、その命を投げ捨てるようにして死んだ。
そういう、マスコミが好きそうな、インターネットもその話題で持ち切りになりそうな、そんなストーリー。
遺族や同級生もその思惑通りに、「優しかったあの子がそんな」「人気者だった彼女が何故」と口を揃えて言う。
俺はベランダでタバコを吸いながら、真下にある自殺現場を眺めた。
警察は連日聞き取り調査をしていて、ちょうどこの間聴取にも応じた。ニュース番組では、事件性はないと見られると報じていた。
黄色と黒のビニールテープが張り巡らされた、高齢者の憩いの場だった小さな公園。
飛び降りた女の子に関するものは全て取り除かれており、その公園自体は何事も無かったかのようにそこに存在していた。
映画のワンシーンみたいに死にたいんだと、あの子はよく俺に語った。
雨の中、ずっと言えないでいた想いを伝えて、そのまま力尽きるんだとか、そんなような他愛もない会話が、ぼんやりと頭に浮かんで離れなくなった。
だんだん指先が熱くなってきて、タバコを一本無駄にするほどあの子について考えることがあったんだなぁと思いながら火を消す。吸殻を真下の公園に捨てる度あの子は怒ったが、今じゃそんなことはない。…でもなんだか捨てられなくて、ここに入れてくださいねと置いていった缶の中に吸殻を詰める。
何が良くてあの子は、俺なんかの部屋に来ていたんだろうな。
母親はとっくに病気で亡くしているし、父親は家になんか帰らないし。毎月振り込まれている生活費といつの間にか支払われている学費と家賃だけが、血の繋がりを感じる瞬間だと言うのに。
なんだか部屋では落ち着けなくて、何日かぶりに外に出る。
どこからも入れないよう張り巡らされたビニールテープの向こう側だけが、この世じゃないみたいだった。
徒歩3分くらいのコンビニで、タバコを買う。…なんでか、好きでもない缶コーヒーを買った。
帰り道、さっきは気付かなかったが、公園の前には花とジュースが供えられていた。
あの優しそうなお母さんだろうか、それとも硬派そうなお父さんか?
俺は何となく、そこに缶コーヒーを供えた。プルタブを上げて。
部屋に帰ると無機質な、いつも通りの部屋があった。
寝る以外の機能性を全て疎かにしたような、そんな部屋。
ただ何となく、そんな部屋に愛着があって、部屋を便利にはできないでいた。
いつも通りベッドに寝転んで、いつも通り携帯をいじって。基本的に誰ともしないLINEをしばらく眺める。
最後の履歴は「好きです」で止まっていて、俺はいつでもその返事を考えている。
あの子が死んでからこんなことを考えるのは、意味の無いことだと思うけれど。
最後の生きていた証であるこのトークルームを、俺は削除できずにいる。
何故か全部消してしまうのは怖いから。
こんなことしても、意味は無いんだ。
もう一度頭で繰り返して、部屋の電気を消した。
寝よう。
明日になればきっと、なんて慰めにもならない希望が頭に浮かんだ。
目が覚めると、朝6時だった。
少し早すぎるが、二度寝をするほどの眠気もないので仕方なく起きる。
起きてしばらくすると、死について考える。最近は毎日こうだ。
死ぬとどうなるんだろう。輪廻転生を訴える思想もあれば、生前の行いによって六道のどれかに振り分けられるなんて考え方もあるし、さらには死後には何も無いとする宗教もある。
死という不安事が人間にとってどれだけ身近であったか、宗教を調べ始めるとすぐわかる。
ほとんどどの宗教も今ほど医学が発展していなかったり、栄養バランスという考え方自体が庶民には浸透していなかった時代に成立していることを考えれば当然とも思えるが、それにしても様々な考え方があって、その考え方について触れたのもあの子が死んだ後だ。
あの子は死んで、どうなったんだろうな。
俺は遺体も遺品も血痕も、あの子が死んだという証拠は何も見ていないけれど、でもそれは確かに現実で、ニュースでは毎日その話が流れていて、ネットでも色んな推測が飛び交っていて、いくら触れないように気を付けても触れてしまう出来事だった。
せめて安らかに眠れるように、俺は手を合わせるなんて慣れない真似をした。
この行為に意味があるのかは正直分からないけど、それでも一心に、彼女の成仏を願ってみた。
画面の中では知らないタレントが、何も知らないくせにあの子の胸中を大真面目に語っていて馬鹿らしいと思ったが、すぐに俺も何も知らないんだと思い出した。
知ったつもりになっていただけで、実際知っていることなんて何もなくて。
若い警察官の「まぁ、何も知りませんよね〜」というセリフを思い出した。
あの子がいた形跡は日に日に無くなっていって、多分一週間経てば忘れてしまった思い出の方が多くなって、もっと経てば普通に笑って普通に恋をして、初めからそんな子存在しなかったみたいに過ごせるようになるんだろうなと、なんとなく思った。
気付けばコーヒーは啜りかけた体勢のままで、一口も飲まないうちに冷めてしまっていた。
俺はそれを一気に飲み干して、食器を流し台に下げて歯を磨いた。相変わらず無愛想な顔だ。
何の予定もない日に限って早起きをしてしまう。大事な時に限って約束を忘れてしまう。やらなきゃいけない事は先延ばしにするくせに、やらなくてもいい事は率先してやる。
天邪鬼を絵に描いた様な性格だなぁとしみじみ思う。…今際の際に話をしてあげられない、とか。
笑えない。
昨日は風呂に入らずに寝たので、シャワーを浴びることにする。残暑の厳しい9月といえども、服を脱げば朝は涼しい。
シャカシャカとシャンプーを泡立てて、俺はまた考え事をする。洗い物の時、トイレに入った時、シャワーを浴びている時と、水回りは何かと人に物を考えさせる。
当然、あの子が飛び降り自殺を行った現場の9階の角部屋は捜査が入っており、あの子の死ぬ間際に見たであろう映像を追想することはできない。出来ないが、その真下に位置している6階の俺の部屋でも充分に死ねる高さだし、勿論のこと恐怖の方が勝ってしまって、死ぬに至る心理はわからないままでいる。
それは間違いなく彼女が最後に出した勇気だと思うし、そんな勇気を出さなくてはいけないほど追い詰められていたという証明なのだとも思う。
外ではカラスが鳴いていて、いつの間にか日は高くなっていた。起きた頃とは違う街みたいな風景が窓ガラス2枚分広がっていた。
薄い壁越しに良くない声が聞こえてきて、近くの工場からは煙が立ち上っていて、木々は相変わらずまっすぐ立っている。
変わるもの変わらないもの、何年後かに無くなってしまうもの、それを見えないようにしている人々。
自浄作用とでも言うべきか、事件当日に比べたら世界はいつも通りで、まるであの子のことを気にしている人達だけが取り残されてしまったみたいだ。
別に気にしてもらわなくても困らないのに、なんで今俺はそんなことを思ったんだろう。
むしろ気にしているのは、俺とご家族だけで充分なのに。
あの子の死んだ公園は野良猫が我が物顔で闊歩している。立ち入り禁止のビニールテープの外では普通の生活が広がっていて、あの子の死に場所だけが違う世界のように見える。
それはまるで俺が、悲しみに暮れるご家族が、世間とズレているみたいだった。
違う。
あの子のことを想う気持ちに、間違いはない。
俺はおかしくなんかない。
世の中のほうが、どうかしているのだ。
何に怯えているんだろう。
俺は、何に否定されたくないのだろう。
世の中に?
あの子の親御さんに?
—それとも、肯定してもらえないと正解だと思えない、自分自身に?
いつまでも、もう戻らない人に想いを募らせたところで、何も残らないとわかっている。
それでも、残してしまった想いが、懺悔が、俺にはあるのだ。
たとえ正解ではなくても、俺はこの気持ちに、決着をつけなければならない。今が間違っていても、いつか正解のほうに向かうために。
わからないことだらけの未来を、自信をもって生きられるだけの今日にしないといけない。
そのために、この想いは捨てていかなくちゃいけないんだ。
自分の人生は当たり前に有限で、終わるまでに何かを成せるほどの人間でないのは理解している。それは今更どうにもならないことで、どうにかしようという気もなくて、とっくに諦めてしまっているが、生きるのを諦めるのにはまだ早いと、そう思って生きている。
せめて笑って息絶えたい。せめて満足して終わりたいという成功への執着が、今の俺を作り上げている。
頭をよぎるのはいつも彼女のことで、前を向いて歩けるほど強くない自分が嫌になる。
でもこれもいつか、捨てなければならない空虚の一つ。
そう、頭では理解しているのに。
捨てきれない想いが重なっては、俺の気分は沈んでいく。
あの日からもう三日だ。
それでも忘れられないのは、俺が弱くて、気持ち悪い未練の塊だからなのだろう。
なぜなら彼女は、もう存在しないのだから。俺が何を思っても、いつかの言葉をどう理解しても、答えをくれる人はもういないのだから。
俺が今何を思ったところで、彼女には伝わらない。
俺が何を伝えようとしても、もう意味なんかないのだから。
いつの間にか日は高くなっていて、気が付いたら腹が減っていた。
時計を見れば10時過ぎで、今から飯を作ると朝食とも昼食ともつかない中途半端な飯になる。
よくよく考えれば誰に咎められる訳でもないので、俺は飯を作ることにする。
一人暮らしをし始めて…というより、一人暮らしになり始めて覚えたのは、卵料理の類。野菜や海鮮に比べて、季節による値段の変動が少なく買い求めやすいのが理由だった。もやしや肉もその類に入る。
最初に作れるようになったのは、朝食の定番目玉焼き。次にお弁当の定番である卵焼きを作るようになって、炒め物やオムレツなど、今では多種多様な卵料理を作れるようになった。
…そういえば、あの子に初めて振舞った料理はスペイン風オムレツだった。
色んな用事があって夜食に野菜の採れる料理を食べようと思っていたら、あの子がコンビニの前にいたのが出会いだった。
多分、寂しそうな雰囲気にどこか似たものを感じて、俺から話しかけたような気がする。
あの時彼女は、何をしにコンビニに行っていたんだろう。
何も買わず、駐車場前の車止めにもたれ掛かる女子高生は、今の俺が見てもちょっと異質だ。
それからあの子はほぼ毎日家に来るようになって、ほぼ毎日夜まで相手をして、そして泊まりたがる彼女の意見を無視して家に送るまでが日常になっていった。
思い返してみれば新緑の季節から夏の終わりまでの、たった5ヶ月程度の付き合いだった。
…回想に浸っていたら、腹の虫が鳴いた。
そうだ。久しぶりにスペイン風オムレツを食べよう。
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