幽霊探知機
yuri makoto
第1話
クーラーが効いている快適な車内を降りて日陰になっている改札を抜けるとやはり真夏。日差しがじりじりと両腕を照り付け、その瞬間からじりじりと日焼けが始まっているのが肌で感じ取れるようだ。長い階段を下りてようやく駅前に出ると、そこにはひときわ大きなカエデの木が道路の真ん中から飛び出しており、今もなおアスファルトを破きながら根を伸ばしている。そのカエデの向こう側には石畳と、その奥に鳥居、さらに奥にはまた長い階段がある。立って居るだけで汗が噴き出してくるような天気の中、鳥居を中心とした一帯だけが陰鬱としている。
目的地の建物は駅からすぐのところにあった。木造で瓦の屋根の家や商店が並ぶ一帯の端にある。それぞれの建物は年季が入っているがきちんとした手入れがされてあった。行政が古の街並みを残そうと金を使っているのだろう。その家には知り合いの女(Aliceとする)の姉(Bettyとする)が住んでいる。Aliceは大学を卒業したばかりで、定職に就くわけでもなく、何か目的があるでもなく、ただ毎日ぶらぶらとしているだらしない女だった。こういう目的意識も無ければ向上心も無い人間は私は一番嫌いだ。そしてBettyはAliceの姉だ。私よりは年下だったと思うが、詳細は知らない。会ったことも無い。
先日、Bettyから私は「Aliceに大事な用がある。しかしAliceは電車に乗れない。しかるに、大変手間をかけて申し訳ないが、Aliceを家まで連れてきてほしい」とのことであった。Aliceが電車に乗れないと言うのは私にとっては特に驚くことでもなく、というのは、Aliceは病的なまでの方向音痴であったからだ。高校3年生になっても、自宅から高校に至るまでの道に迷い授業に遅れることがままあった。
Bettyの家にたどり着いた私は呼び鈴を押した。しかし一向に返事が無い。Aliceは一寸目を合わせたのち、おもむろに玄関をガラガラと開け、無遠慮に家の中に入っていった。玄関を開けた瞬間、一気に冷気が流れ出てきた。
家の中は薄暗く、冷房の低いうなり声だけがかすかに聞こえる。あらゆる窓には黒いビニールのようなもので目張りされており、唯一の明かりは小さな裸電球であった。ずかずかと進んでいくAliceを必死になって追うが、いたるところに分厚い本や布、こけし、熊の木彫り、エッフェル塔を模した置物、2x4材などの雑多なものがほこりをかぶって山積みにされており、行く道は困難を極めた。
私はBettyと会うのは初めてであったが、正直に言えば関わり合いになりたくなかった。Bettyは新興宗教に熱中しているという噂を聞いていたからだ。家の中の様子はそれを裏付けているかのよう。
きしむ階段を上った廊下の一番奥に壁が大きく窪んだ一角があり、そこにBettyは座っていた。ランプを吊り下げ、机の上に山ほど本を広げており、ぶ厚いコートを着込んでいる。読みかけの本を手に持ったまま、ゆっくりとこちらを見上げた。
その顔は明らかに日本人以外の血が混じっている。彫が深く、目は灰色がかっていた。それで、例の新興宗教の話もあったため「どうもすみません、お手数をおかけしてしまって」と尋常の調子でしゃべり始めるのBettyを見て私は拍子抜けした。
はたして、Bettyの重要な用事とは「幽霊探知機」なるものを渡すことであった。その外観は古めかしい銅めっきの箱に緑色のディスプレイと、いくつかのボタンやスイッチが付いたような、掌に何とか収まるくらいの大きさの代物だった。
「道中、きっとこれが必要になることがあるから、大事に持っていてね」、Bettyはそう言った。Aliceは分かっているのか分かっていないのか、ぼやんとした顔をしたままうなづいたのち、幽霊探知機を見て唇をとがらせていた。
ここからが面倒であった。道中とは何を指しているのか。
AliceとBettyの二人に親族はおらず、二人だけだった。Bettyは高校を卒業してすぐ、地元を離れて働き始めた。実家に一人残ったAliceはBettyからの仕送りを受けて高校を卒業した後、立派な私立大学にまで進学した。その恩義を分かっているのか分かっていないのか、いつもBettyはぼやんとしていて、大学にも友達はおらず、またあるときには構内で道に迷い出席日数が足りなくなったりもした。
Aliceの母(Cherylとする)と父(Davidとする)が姿を消したのはBettyが高校を卒業する直前であった。行方はBettyも把握していない。しかしながら、そのころから例の新興宗教の噂はあったので、何か関連があるのだろうと思う。
CherylとDavidはここに越してくる以前、別の場所で二人で小さな事業を営んでいたらしい。それが何であるかはBettyにもわからないとのことであった。しかしながらBettyはやっとのことでその会社の所在地を調べ上げることができた。その場所が今も残っているのであれば、CherylとDavidの居場所にもなにか手がかりがあるかもしれない。だから、行ってきて。「道中」とは、それを指している。
しかし私がそれに反対をしたのはもちろん、Aliceの方向音痴であった。「それはもちろん承知しているのですが、それでもAliceに行っていただきたいのです」飲み込んだ言葉を腹の底からひねり出すような言い方だった。ぶるるっ、と体が震えた。あんなに熱を持っていた体はもはや冷え切っている。冷たい汗がしたたり落ちて冷水を被ったかのようだ。
Aliceに行けというのはつまり私に行けということを意味する。現にBettyはAliceにではなく私に話している。嫌であった。心底嫌であった。「もし、何かあって、私と連絡ができなくなったときは、よろしくお願いします」そう神妙な面持ちで私を責めるような目で見つめる。こういう目に私は弱い。
その場所とは東北であった。温泉街で、硫黄の匂いがあたりに立ち込めていた。観光以外の産業がないような地域で、一体なんの会社を経営していたのだろうか。
その会社を聞いて回ったが誰も知らなかった。
一帯はむやみに広く、土産物屋や蕎麦屋、温泉宿といった一軒一軒に対して私は聞いて回った。真ん中に谷が通っており、その両側を取り囲むかのようにそれらは乱立していた。その谷を越える赤い弧を描く橋が幾重にも幾重にも続いている。
結局我々の調査(と言ってもAliceは後を付いてくるだけで仕事をしているのは私だ)でも何も収穫は無かった。その間もAliceはぼやんとしたままで、何かの感情の類は感じ取れなかった。あたりは暗くなり始めていて、私は帰りたかった。なので、Aliceに帰るか、と問うとうなづき、意外なことを口にした。
「最後に、あそこ見たい」
馬鹿なりになにか思うところがあったのかと私は驚いて言葉に詰まった。指差した先には鳥居があって、その奥に長い階段が続いていた。そう、いつかどこかで見た風景に似ていた。
その階段は長かった。もはやあたりは暗くなり、先が見えないので永遠に続くのかと思った。階段をようやく登りきると、立派な神社が建っていて、何か祭事でもあったのだろうか、通路に沿ってろうそくの火が灯されていた。しかし、人の気配は無かった。
Aliceは無言で賽銭を投げ入れ、手を合わせて頭を垂れた。ろうそくの影がAliceの頬で揺れていて、その表情は読み取れない。
両親の事を考えているのだろうか、熱心に手を合わせていたAliceは何分もそのままだった。私は石の階段に腰かけそれを待っていた。Aliceはゆっくりと顔を上げると暗い表情で私に近寄り、「なぜ私はいつも一人だったのか」と問うた。それはお前が極度の方向音痴だったしいつもぼやんとしているから友達が少なかったからでは、と思ったが、言えなかった。
私は真面目な話が出来なかった。いつからか、友達とは素面で会えなくなった。それを恥ずかしいと思うようになった。いつもいつも酒が入った状態で現れ、消えていく友達。喉が渇くのを我慢しながら、長い夜道を歩いて帰る私もAliceと同じで一人であった。
「飲んで帰るか」と私は答えた。何も言えねえと思ったのだ。
酒はうまくなかった。それは当然で、せっかく地方にきたのにその土地の旨いもの、旨い酒を調べるなどの行為をせず、すぐに見つけた全国展開のチェーン店に入ったからである。しかしながら下調べするほど私は浮かれていたわけでもないし、どちらにせよ、終始陰鬱な顔をした顔をした人間の前で何を飲み食いしようと旨いものではない。
Aliceは声を押し殺して泣き始めた。「お父さんやお母さんにもう一度会いたい」と情けないことを言い、泣き始めた。情けないことを言わないでほしい、と、情けない私が思った。人が見ているのでやめてほしいとも思った。
その時、かすかな電子音を耳にした。初めは厨房かどこかから聞こえているのかと思ったが、それはどうも私のバッグから聞こえているようで、心当たりのない私は首をかしげながらバッグを手で探ると慣れない感触の物体がある。
幽霊探知機であった。見るとディスプレイの中央に緑の光点がかすかに揺れていて、それにはAliceと書いていた。その左右に二つの光点がある。
左にCheryl, 右にDavidと書かれていた。
私ははっと目の前を見たが、そこには焼き鳥に前髪を覆いかぶせて震えている女がいるだけであった。探知機の表示はどう解釈すれば良いのだろうか。この事実をAliceに伝えたほうが良いのだろうか。いま、この瞬間は一人でないと?それは慰めになるのだろうか?というか、この探知機なるものは信用して良いのだろうか。
すると。さらにその上方に初めはごく薄く、しかし徐々にはっきりとした表示で文字が現れた。Bettyと記されている。
私はAliceの後ろ側、通路を確認したがそこでは店員があくせくと串カツを運んでいるだけであった。Aliceはそうとは気づかなかったが、もう一人ではなかった。
私も小学生のころ、幽霊探知機を作ったことがある。何のことは無い。電池に豆電球を付けただけだ。ポイントは豆電球をソケットの奥まではねじ込まないことだ。それを持って歩くと、振動によって時たま豆電球に明かりがともる。それが幽霊を探知した証拠なのだ。そんなおもちゃを作って私は友達と走り回っていた。あのころは酒が飲めなかった。今は飲める。それだけの違いしか無いのではないか。そしてその違いは私が思っているよりずっと重要なことではなかったのか。
結局、私は幽霊探知機の表示を見なかったこととした。私はあいまいなまま店を後にし、Aliceを家まで送った。そのあと、電車が無いのでタクシーを呼ぶか、歩いて帰るかを迷った後、歩くこととした。喉が渇いていた。そして次の日には善人面しながらいつもの日常に足から頭の先まで浸かる。徐々に幽霊探知機のことは忘れてしまったが、家の物置を探せばまだあるはずだ。AliceともBettyとも連絡を取っていない。
幽霊探知機 yuri makoto @withpop
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