エピローグ

 アンデッドとの戦いが終わり、数日が経った頃。アルビオン帝国が受けた被害の全貌が、ようやく明らかになりつつあった。


 帝国の中央に位置する都市カルディア。帝国にいる人間の半数以上が住むこの都市が、一番被害の大きかった街だ。

 大通りに面した住居や施設はその大半が壊され、見る影もない。また、それと同じく甚大な被害を受けたのが皇帝が住まうマグニフィカト宮殿だ。

 尊厳のある真っ白な外壁は跡形もなく瓦解し、残っていたのは中に居た使用人や役人たちの死体の数々と瓦礫の山だった。


 それに反して、街には死体がほとんど残されていなかった。

 というのも、都市に住む住人のほとんどがアンデッドに殺されていた為、死後まもなくしてアンデッドとなっていたのだ。つまり、死の王消滅と同時に、元は住人だったアンデッドたちも消えてしまったという訳である。


 そんな、もぬけの殻と言っていいほど人の気配がなくなった都市に、ルクルースたちは簡素ではあるが平屋建ての拠点を急造した。

 そして、生き残りの住人を探し始めて半日が経った頃、思わぬ所で生存者を発見する。

 それは、都市の各地にある聖殿だ。その場に常駐していた神官と聖殿が持つ聖なる魔力によって、アンデッドからの襲撃を免れていたのである。

 生き残りは約五百名。多大な人口を誇っていた帝国から考えると、その数は僅かだと言わざるを得ない。

 それほどまでに、アンデッドの侵攻は凄まじいものだったと言える。



 死が死を生み、憎しみが憎しみを生む。そこが、闇の勢力ゼノザーレの恐ろしさだ。生きている限り、決して逃れる事が出来ない難敵。

 しかし、生き残った彼らの希望の灯火は消えない。

 なぜなら、聖なる白輝の剣を振りかざし先陣に立って混沌の闇を切り拓く勇者が、平和な未来へと導いてくれると信じているからだ。



 * * *



「これで、怪我人の処置はある程度目処がついたな……」

「えぇ、そうね。ありがとう、クラルス」

「い、いえいえ……これも、神官の役目ですから」


 クラルスは手を小さく振って謙遜する。が、その表情には疲れの色が見える。それもそのはず、聖殿でほぼ丸一日、怪我人の治癒に従事していたのだから当然だろう。

 戦いが終わって、僅かばかりの休息を取った後からほぼ休み無しだ。


「ルクルースこそ、あれから一度も休んでませんよね? そろそろ休んだ方が……」

「いいや、それには及ばない。まだやるべき事がたくさん残っているのに、勇者である俺が呑気に休んでいる訳にはいかないだろう?」

「それはそうだけど……勇者と言っても、あなたも人間なんだから休息は必要よ?」


 アルキュミーは頬に手を当て、働き者の婚約者に対して困惑の色を浮かべた。

 だがそんな事はお構いなし、と言わんばかりに、ルクルースは次の準備に取り掛かる。すると、拠点を出ようとしたルクルースに、野太く低い大声が届く。


「おーい、ルクルース!」


 外へ出ると、そこには額に汗をかいたフェルムの姿があった。

 彼にはある事を頼んでいた。おそらくその報告だろう、とルクルースは鷹揚に応える。


「ご苦労さま、フェルム。で、どうだった?」

「一通り探してはみたが……やっぱり見つかんねぇな」

「そうか……。せめて遺体だけでも、と思ったんだが……」


 ルクルースは肩を落とす。

 崩壊したマグニフィカト宮殿。おそらくそこにいるであろう皇帝陛下の捜索をフェルムに頼んでいた。


「宮殿があんな状態で生きているとは思ってなかったが、死体すら無ぇとはな……もしかして、アンデッドに腰を抜かしてどこかに逃亡でもしたんじゃねぇのか?」

「まさか……」

「……ま、なんにせよ皇帝がこの国にいないのは確かだ」


 フェルムは淡々と語る。その口調に敬意が感じられない事に気付くが、ルクルースはあえて指摘しない。


「サール皇子もお亡くなりになった今、俺がこの国を立て直すしかないだろうな…………それにあたってフェルム、少し相談があるんだが――」

「――そいつを聞く前に、まずは俺の話を聞いてくれ」


 フェルムは覚悟を決めた顔つきで、ルクルースの言葉を遮る。


「ルクルース……お前には悪いが、俺は帝国の復興には興味ねぇんだ。もともと俺は流れ者の剣士。縁あってこれまでお前たちと一緒にいたが、そろそろ潮時かと思ってな……」

「……!? どういう……意味だ……?」


 予想だにしないフェルムの言葉に、ルクルースは驚愕を隠せない。何年も共にいた仲間が遠くにいるように感じる。

 そんな動揺した様子のルクルースに対して、フェルムは頭をぼりぼりと掻きながら丁寧に――そして仲間を傷つけないように言葉を絞り出した。


「まぁ、そうだな……。大雑把に言うと……のんびり旅でもしようと思っててな。で、ゆくゆくは身分や種族に関係なく暮らせる国で過ごしてみてぇんだ。つっても……果たしてそんな国があるのかわからねぇが」

「……そうか…………フェルムがそんな事を考えてたとは思ってもみなかった…………」

「心境の変化ってやつだ。お前もそれぐらい経験した事あるだろ?」


 確かに、言われてみればそうだ、とルクルースは納得する。

 ルクルース自身もついこの間、魔王に対して認識を改めたばかりだ。自分の事を棚に上げて、仲間の決意をないがしろにする事なんて彼には出来ない。


「ふふっ、その通りだな。フェルム、今までありがとう。良い旅になる事を祈ってるよ」

「あぁ、こっちこそ世話になったな。これから大変だとは思うが、お前も頑張れよ」


 ルクルースとフェルム、二人は固い握手を交わす。

 場所は離れても、道をたがえども、仲間であった時間が失われる訳ではない。二人にはこれ以上、言葉は必要なかった。


「……フェルム」

「おぅ、クラルス……」


 クラルスは翠緑の瞳を震わせ、フェルムを見つめている。彼の決意を尊重するべきか、それとも――――と言葉に出す事はなく、黙って俯いた。


「急で悪いんだが、俺は旅に出る事にした」

「そう……ですか…………」

「だがよ……あいにく俺は一人でメシも作れねぇし、愛想もよくない。それに不器用で、おまけに声も大きいらしい」

「――えっ…………」

「そんな俺について来てくれる物好きがいてくれりゃあ、ちっとは心強いんだが――――クラルス、一緒に来てくれるか?」


 フェルムははにかみながらも、唖然とするクラルスに手を差し伸べる。男らしいゴツゴツとした、傷だらけの大きい手だ。

 今までどれだけこの手に守られてきたのだろう――と、クラルスは大きな瞳に涙を浮かべる。そして、差し出された手をぎゅっと握り、満面の笑みでフェルムに応えた。


「もちろんです! 私がいないと一人じゃ何も出来ないでしょうし……それに私も、フェルムがいないと何も、出来ない、ので……」

「クラルス……」


 二人の新たな門出を祝うように、ルクルースとアルキュミーは彼らの背中を押す。


「よかったな、フェルム」

「……うっせぇ」

「気をつけてね、二人とも」

「えぇ……これから大変な時だというのに、ごめんなさい」

「ううん、気にしないで。何かあったらいつでも助けになるから。だって私たちは――仲間でしょ?」


 アルキュミーの言葉に、クラルスは満面の笑みで応える。その頬には、一筋の雫が伝っていた。


「フェルム……身分や種族に関係なく暮らせる国、と言ったな? その事なら俺に任せてくれないか」

「……ん? あてがあるのか?」

「いや、そうじゃない。俺がこの国を……アルビオン帝国を変えてみせる。身分も種族も分け隔てなく、誰もが平和に暮らせる国にな」


 ルクルースは自信に満ち溢れた表情で、そう口にした。

 決してフェルムに言われたからではない。彼自身が望む帝国の在り方だ。それを体現する為にどれほどの困難と年月がかかるのかはわからない。

 しかし彼は必ずややり遂げるだろう。それが勇者――ルクルースという男だからだ。



 * * *



 皇天こうてんの間――メンシスにある古城の最奥に位置する、人間で言うところの謁見室と同義の部屋。

 そこには七彩の刺繍が施された艶のある黒毛の絨毯が、奥にそびえる玉座までしわひとつなく敷かれている。そんな、足を踏み入れる事も躊躇してしまいそうな高貴な地に、五体の異形が跪いていた。


 漆黒のコートを肩にかけた、真紅の髪をなびかせる恰幅の良い悪魔――ベリアル。

 深紺のローブを纏った、牡牛の頭蓋を持つ老父――ハーゲンティ。

 腰元から二本の尾を生やした、胸元が大胆にはだけた魔女――ベルフェゴール。

 鍛え抜かれた体躯に、黄金色の体毛に覆われた獣人――マルバス。

 薄汚れた布きれで、か細い四肢を隠す華奢な小悪魔――アスタロト。


 彼らこそが、魔族の軍勢における七魔臣と呼ばれる最高戦力だ。そして、ここにいる皆が一様に跪く先には、一人の男が堂々たる威厳を放って玉座に座していた。

 天から吊り下げられた燭台の光を映す肩までかかった金色の髪。自信に満ち溢れた凛々しい表情に、真紅の瞳を宿した鋭い目。一切の光を反射する事のない暗澹あんたんたるマントが、彼の強靭な身体を覆い尽くすように被さっている。

 醸し出す強者としての圧と、他を寄せ付けぬ絶対的な格を見せつけるその男こそが、彼らの主人であり、魔族を統べる王――テネブリス=ドゥクス=グラヴィオールである。


「……こうして、ここで貴様らと顔を合わすのも久方ぶりだな」


 テネブリスはすらりと伸びた脚を組み、玉座に備えている肘掛けに頬杖をつきながら、配下たちに声をかけた。その姿はまさに、魔王に相応しい凛然としたものだ。


「はっ。こうして再び御方と相見えた事に、皆が深く感激しております」


 頭を下げたまま、ベリアルが代表して応える。声に出してはいないが、他の者も同じ気持ちである事は確かだ。


「ふん、よく言う……が、その言葉……今はそのまま受け取っておこう。ところでベリアルよ、我々が受けた被害の状況はどうなっている?」

「はっ……メンシスにおける物的被害はほとんどありません――が、そこに棲まう魔族の約半数ほどがアンデッドによって犠牲に……」

「……ほう、それはなかなか手痛いな」


 テネブリスはやや顔をしかめる。万を超えるほどいた魔族の軍勢、その半数が犠牲になったとあれば、これからの世界における勢力図にも多少なりとも影響を与える事は必至。


「――しかし、それは人間も同じ事でしょうかの」

「確かに……あのお嬢ちゃんがいた国なんて、ほとんど壊滅状態だったものね。ねぇ、マルバス」

「うむ、むしろ被害の大きさで言えば、奴らの方が大きいだろうな」


 あらゆる生者に対して牙を剥くアンデッド。それは人間であろうが、魔族であろうが関係ない事だ。しかし今回の一件はアルビオン帝国が事態の中心となった為に、人間側の被害が目立つ。


「じゃあ、この隙に帝国を攻めちゃおうよ」

「あぁら……どの口が言ってるのかしら? 怠け者のア、ス、タ、ロ、ト、ちゃん?」


 ベルフェゴールは蔑むような目でアスタロトを睨む。だがそんな事ではアスタロトも怯まない。


「あーあー、困るんだよね、年増はうるさくて」

「あぁ!? なんですって!?」

「聞こえない? じゃあもう一回言って――」

「あぁら、ワタシに対してそんな態度でいいのかしら!? あの時の事……テネブリス様にチクるわよ……!?」

「うっ……」


 アスタロトは言葉に詰まり、苦い顔を見せる。まるでいたずらがバレた少年――アスタロトは女性だが――のような表情だ。


「……それぐらいにしろ、二人とも。テネブリス様の御前だぞ」

「別に構わん、ベリアル。こんなやり取りもまた懐かしい。……で、詳しく聞こうか、アスタロトよ」


 テネブリスは頬杖をついたまま微笑する。だが、真紅の瞳の奥は笑っていない事を悟ったアスタロトは、恐怖に身を震わせる。


「あの……その…………」

「どうした? 遠慮せず話すといい」

「い、いえ…………えぇと…………」

「では代わりにワタシが!」


 ベルフェゴールは目を輝かせ、勢いよく挙手する。年増と言われた事に対する絶好の報復の機会だ。

 そんな彼女に対して、テネブリスは小さなため息をついた後、顎をしゃくり続きを促す。


「マルバスと魔境で戦闘していた時に、豪快に吹き飛ばされたフリしてそのまま安全な所でサボってましたー!」

「……ほう」

「えっ、いや、あの……違うんです! マルバスから受けたダメージが思ったより酷くて! 少し横になって休もうと思ったら寝ちゃってて――」


 アスタロトは手をバタバタさせながら必死に取り繕う。

 だが、あるじからこれ以上追求されれば、もう言い逃れはできない。七魔臣たる者、戦闘において逃げも怠慢も恥ずべき行いだからだ。

 覚悟を決め、叱責を覚悟したアスタロトだったが、テネブリスから告げられた思わぬ言葉に呆然とした。


「フッ、フフフ……くだらん、そんな事か。マルバスに一撃食らって生きていただけでも僥倖ぎょうこうだろう。よって、それをもって貴様の失態は不問とする。異論はないな?」

「……はっ、寛大な処置に、か、感謝いたします」


 アスタロトは跪いたまま、地面につく勢いで大きく頭を下げる。そんな彼女の胸の内には、テネブリスに対して心からの尊敬と感謝の念が止めどなく溢れ出ていた。


「で、これからのことだが――」

「――やはり人間どもに対し、侵攻を……?」


 ベリアルがテネブリスの思案を察するかのように口を挟む。しかし当の本人から出たのは、それとは真逆の言葉だった。


「いや、しばらくは人間どもと事を構えるつもりはない。と言っても、向こうから仕掛けてくれば別の話だがな」

「つまり、しばらく泳がせておく……と?」

「そう思っていい。だが、こんな状況で私たちに攻め入る愚か者など…………いや、愚か者はいるか……」


 テネブリスは、にやりと口角を上げる。その表情は恐ろしく冷たい。

 ルクルースのような聖人もいれば、一方でアルビオン帝国皇帝フェイエンや、その部下のような下劣で非道な輩もいる。勇者ルクルースの姿として人間の傍に身を置いた事で、テネブリスは改めて人間の愚かさを思い知ったのだ。


「テネブリス様のご命令とあらば、ワタシが全身全霊をもってその愚か者を駆逐して参ります!」

「わ、儂も同じく!!」


 高々と宣言したベルフェゴールに続かんとばかりに、マルバスも声を上げる。だがその意気を、テネブリスは片手で受け止める。


「そう急くな。は近い内に必ずや行われる。私の手によってな」

「救済……ですか……?」

「あぁ。愚かな国、王、民……その全てを殺し、生き残った善良な者を王たる私が統べる。これを救済と言わずして、何と言う?」


 問われた七魔臣たちは、一拍おいて反応する。その誰もが目を輝かせ、興奮した様相。まるで歓喜に湧いているかのようだった。


「いえ!! これ以上ない慈悲に満ち溢れた弱者への救済かと!!」

「同じく! テネブリス様以外では決して成し得ない偉業になることでしょう!」

「あぁ……流石でございます、テネブリス様ぁ……!」

「テネブリス様、万歳!!」

「……テネブリス様、凄い……です……!!」


 口々に称賛する配下に対し、テネブリスは不敵な笑顔のまま鷹揚に手を掲げ、制止する。

 その身振りですぐさま静まり返った皇天の間。するとテネブリスは、ゆっくりと玉座から立ち上がった。そのまま全身を覆っていたマントを左手でばっと振り払い、高らかに宣言する。


「救済を終えた時、世界は次の段階に進む。そして統治されるのだ。民族、人種、種族、国……そんなくだらぬ括り全てを壊し、分け隔てなく世界全てを統べる王……そう――――真なる王、テネブリス=ドゥクス=グラヴィオールによって!!」



 ――皇天の間に、喝采がこだました。


 ベリアルは悦びを爆発させながら賛辞を贈り、ハーゲンティは頭を垂れて平れ伏せ、ベルフェゴールは絶頂のあまり嗚咽し、マルバスは雄叫びをあげ歓喜し、アスタロトは放心状態のまま手を合わせた。


 なんという慈悲深き主に恵まれたのか。絶対的な力を持ちながら、それを世界の為に正しく振るう神の如き存在。そんな御方に仕えているという幸福感に包まれながら、七魔臣たちは仁王立ちするテネブリスを見上げた。


 そしてこの宣言は、ほどなくしてメンシスにいる魔族全てに伝わる。

 その反応は言わずもがな、歓喜に満ちたものだった。魔族だけでなく、世界を手中に収めんとするテネブリスに対して心酔しない者はいなかった。



 ――――――

 ――――

 ――


 世界は誰に救いを求めているのか。


 力なき弱者は声を上げる事も叶わず、力ある愚者に全てを搾取される。なんたる不幸な事だろうか。しかしそんな不条理な世界には、ある強者が存在した。

 そしてその強者は、与えられし強大な力によって、世界を不条理から救わんと動き出す。


 そう――――凄惨たる魔王は、斯くして世界を救うのだ。


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