第67話 救世主

 レスティンギトゥルが消えると、アルビオン帝国に蔓延はびこっていた無数のアンデッドも塵となって消えていった。

 しかし、消えたのは帝国にいるアンデッドだけではない。死の王は全てのアンデッドと根幹で繋がっているため、世界各地で同時に発生したアンデッドも死の王消滅に合わせて跡形もなく姿を消した。


 つまり、世界を救ったのは他でもない魔王テネブリスである。

 勇者による聖なる魔力での浄化ではなく、圧倒的な力による存在そのものの消滅。おそらくテネブリスのみが体現できるであろう神業だった。




 ――――静けさだけが残る帝国の大通り。そこでテネブリスは、少しづつ明るさを取り戻していく空を、曇りなき真紅の瞳で見上げていた。

 そこへ、事態を見守っていたルクルースが駆け寄る。

 敵対する意思はない。しかし勇者として、どうしても確認しておかなければならない事があった。


「テネブリス……お前は、敵なのか?」


 その問いに、テネブリスは無言のままルクルースの方を振り向いた。

 これまで人間と敵対してきたのは、燻りつつあった種族争いの折に勇者カリタスを殺し、人間からその仇敵と見做みなされていたからだ。


 勿論、その原因はカリタスを依り代としたレスティンギトゥルの討伐の為であり、テネブリスに非はない。むしろ、人間で唯一の友であった勇者カリタスをこの手で屠らなければならなかった事に同情があってもいいぐらいだ。

 だがカリタスの仲間を筆頭に、人間はテネブリスを恨んだ。

 その恨みは次第に他国に広がり、やがては魔族全てが敵であるかのように憎悪は広がっていく。

 そして積み重なった敵意と共に、長年の種族争いが今日にまで続いている。



「その前に……ひとつ聞こう、勇者ルクルース」

「…………なんだ?」

「この世界は、敵か味方か……その二つしかいないと思うのか?」


 テネブリスの問いに、ルクルースは逡巡する。

 これまで考えもしなかった事だ。人間に牙を剥く者は全て敵……勇者とはそうあれと、幼少の頃から厳しく教え込まれている。

 だが目の前の魔王はアンデッドを倒し、人間を、国を――世界を救ったのだ。その事実が、ルクルースの言葉を詰まらせる。


「私はな、ルクルース……この世の全てが敵だとしても構わないのだ。私に向かってくる以上、それは敵として迎え討つしかない。そしてそれは、同族であってもだ」

「……!」

「しかし、種族によって敵か味方だと考えるのは浅はかで愚かな事だ。人間だから敵、魔族だから敵……くだらんと思わんか?」

「……お前の口からそんな言葉が聞けるとは思ってもみなかったよ」

「ふん……では、先の貴様の問いに答えよう。私は――――」


 テネブリスがその先を言おうとした時、突如として大地に大きな紅い魔法陣が出現した。

 テネブリスにとっては見覚えのある魔法陣。だがルクルースは聖剣を握り警戒する。まもなくして紅い粒子が弾け、魔法陣が消失すると、そこには幾人もの姿があった。


 七魔臣と思しき数体の魔族。それと同時に現れたのは、大剣バスターソードを背負った筋骨隆々な男。それに抱えられた純白のローブを着た翠緑の瞳のハーフエルフ。最後に、長い金髪をなびかせた紺碧のローブを着た女。

 彼らはルクルースの姿を見つけると、目を輝かせてすぐさま駆けつける。そして、紺碧のローブを着た女はルクルースの胸に飛び込み顔をうずめた。


「……ルクルース!! 良かった……もう会えないかと…………」

「……!! ア、アルキュミー!? どうして君が魔族と一緒に……!?」

「えっ!? あなたが言ったんじゃない……まさか記憶が……!?」


 ルクルースはちらりとテネブリスを見やる。だが、ただにやりと含み笑いを浮かべているだけだ。

 身体が入れ替わってる間に何かあったのだろう――と推察したルクルースは、ひとまずアルキュミーと口を合わせた。


「あ、あぁ……そう言えばそうだった。すまない、戦いが終わったばかりで疲れていてね。君も無事でよかったよ、アルキュミー」

「えぇ、ありがとう…………ってルクルース! あなた口調が……!?」


 アルキュミーはルクルースの口調の異変に気づく。彼らしい誠実で他者への優しさが滲む振る舞いだ。このやり取りで、ルクルースの様子がこれまでと変わっている事に気づいたのはアルキュミーだけではなかった。


「お? 言われてみれば確かに……チュウニビョウは治ったみてぇだな」

「フェルム…………なんだ? その、チュウニ……ってやつは?」

「チュウニビョウは治ったのに……記憶はまだ曖昧なままなんでしょうか……一度ゆっくり静養した方が……」


 クラルスはフェルムに抱き抱えられながら呟く。魔境で魔力を使い切ってしまった為、しばらく立つ事もままならないのだ。

 しかしルクルースはそんな事を露知らず、いつの間にか二人の仲が進展していた事に驚いた。


「……ふふっ、どうやら俺がいない間に色々あったみたいだ。後でゆっくり話でも聞こう」

「えぇ、そうね。まずはゆっくり休みましょう……と言いたいところだけど――」


 アルキュミーは変わり果てた帝国の街並みを視界に捉え、表情を暗くする。

 幾つも崩れた建物の数々に、辺りから漂う血の匂い。それだけで、ここで惨劇があったという事を物語っていた。


「あぁ、救えなかった命が沢山ある。おそらく、皇帝陛下も――」


 ルクルースは崩れ落ちたマグニフィカト宮殿を見て、自身のやるせなさを口にする。

 繁栄を誇っていた以前のアルビオン帝国は既にない。目の前に広がる惨状と街の崩壊という現実が、彼らの前途を遠く長いものにさせる。

 だが、そんな暗く沈んだ面持ちのルクルースたちに、意外な者が声をかけた。


「ルクルースよ、胸を張れ。貴様はこの国を救ったのだ」

「テネブリス…………!」

「確かに、幾多の人間が死に、栄えた街並みも壊され、今や面影もない。だが……それでも、全てが消え去った訳ではあるまい」

「……あぁ、だが――」

「失ったものより、残っているものを数えるんだな――――私が貴様に言える事は、それだけだ」


 テネブリスの言葉に、ルクルースは目を見開く。

 そして、気づかされる。魔王とは――テネブリスとは、なんという器量の持ち主なのか、と。

 人間を救い、国を救い、世界を救い、そして――待ち受ける困難と前途に迷ったルクルース自身を救った。そんな彼が敵であるはずがない――――と、ルクルースはテネブリスに対して、尊敬のような信頼にも似た感情を心に抱いた。


「……というか、なんでここに魔王テネブリスがいるんだよ……!」

「た、確かに…………どういう事? ルクルース?」

「それは…………」


 返答に困ったルクルースは、ちらりと横目でテネブリスの様子を窺う。

 だが助け舟はない。それどころか、妖艶な魔女のような魔族の女にしつこく絡みつかれ、それどころではなさそうだった。

 その様子を見て、仕方がない、とばかりにルクルースは言葉を濁す。上手く説明する自信もなければ、解決した事を今更説明しても特に意味はないと考えたからだ。


「――いいや、別に何もないさ」

「そう。なら、いいんだけど……」


 少し口を尖らせるアルキュミー。彼の言葉を信じるしかない。故に、僅かに感じた違和感をアルキュミーは気づかないふりをした。

 そこへ、テネブリスが不敵な笑みを浮かべながら近寄る。傍らには、妖艶な魔族――ベルフェゴールをはべらしていた。


「お嬢ちゃん……いいえ、アルキュミー。よかったわね、愛しのダーリンに会えて」

「……? どういう意味かしら?」

「あら? 貴方もしかして――」

「――ベルフェゴール……少し黙れ」


 テネブリスの真紅の瞳で睨まれたベルフェゴールは、久方ぶりに間近に感じた畏怖と快感を噛み締めながら、即座に口をつぐんだ。


「アルキュミー、此奴の言葉は気にしなくていい。で、貴様はこれからどうするつもりだ?」

「……私、というよりも、まずは国の復興が何より最優先ね。自分の事はそれが落ち着いてから考えるわ。それより――」

「……?」

「面識のないあなたに、私の名前を呼ばれる筋合いはないんだけど……魔王って意外と馴れ馴れしいのね」


 アルキュミーは不快感を露わにする。

 彼女のその態度に、テネブリスは一瞬目を丸くするが、しばらくして自嘲するように鼻で笑った。


「ふん…………それもそうだ。人間の女、気を悪くしたな」

「……いいえ、別に」


 するとテネブリスは、物寂しそうにフェルムとクラルスの方をちらりと窺う。だが彼らもまた、いぶかしい表情でテネブリスを見るばかりだ。


 彼らとはたった数十日、一緒に過ごしただけの仲だ。なんて事はない。ましてや相手は人間であり、勇者の仲間だ。これ以上の深入りは――――テネブリスは自分にそう言い聞かせる。


 そして無言で振り向くと、マントをはためかせながらベリアルたちが待つ方へと向かった。

 颯爽と去りゆく後ろ姿に向かって、ルクルースは慌てて声をかける。


「テネブリス! いつかまた会おう! 次に会う時は―――」

「――帰るぞ、ベリアル」

「はっ。霊位魔法――転移フギオー


 ルクルースの言葉を最後まで聞く事もなく、テネブリスたちは紅い魔法陣に包まれ、転移した。

 彼らの魔力の残滓を僅かに感じながら、ルクルースはその場に立ち尽くす。


(次に会う時は…………俺たちは友になれるだろうか、テネブリス……)




 テネブリスたちが居なくなり、アルキュミーは心の中で小さく安堵する。

 アンデッドとの戦いを終えたばかりの疲弊した状態で、魔王と戦う事など想像もしたくない。ひとまずその危機が去った事に、胸を撫で下ろした。


「ルクルース……ありがとう」

「……何がだ?」

「国を守ってくれて…………そして、無事でいてくれて」


 アルキュミーはルクルースの身体をぎゅっと抱き寄せ、心の底から感謝を口にした。

 しかしルクルースは、彼女の華奢な肩に優しく手を置き、そっと引き離す。そして、いつもの微笑みを彼女に向けた。


「……君こそ、無事でいてくれて嬉しいよ。でも、これだけは言わせてほしい。俺はこの国を救ってなんかいないんだ…………。本当にこの国を……いや、世界を救ったのは俺じゃなく――」


 とまで言ったところで、ルクルースは言葉に詰まる。

 だがその迷いは一瞬だった。仲間の、そして彼女の気持ちを考えると、それをわざわざここで口にする必要はない。


「――みんなのお陰だ」

「ルクルース……」


 アルキュミーは再び、ルクルースに身を寄せる。紺碧の瞳は揺らぎ、降り注ぐ陽を反射するように輝いていた。


(――そう、世界を救ったのはみんなのお陰だ。テネブリス…………お前も含めて、な)



 ルクルースは、白金の鎧に顔を埋める彼女に優しく手を添え、青く澄み始めた空を見上げる。

 そして胸に抱く。この場を去った救世主に向けた、届く事のないであろう感謝を。

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