第64話 死に抗う者たち
死の王――レスティンギトゥル=ファーデンゴーデンは、指で顎先を触りながら地獄へと堕ちていくアルビオン帝国を中空から
背中から生やした黒き八枚の翼。テネブリスの魔王たる象徴であるそれを、レスティンギトゥルは巧みに操り浮遊している。
見下ろす先には逃げ惑う人間と動かぬ遺体の数々。そして――大量のアンデッド。その三種類が存在している。
アンデッドの恐ろしさは、死が死を呼ぶ所だ。負の連鎖――そう揶揄される事も多い。人間はアンデッドに殺されると、その後まもなくして高い確率でアンデッドへと堕ちる。つまり人口の多いこの都市では、ほどなくして大量のアンデッドが自然発生する事になる。
「くっくっくっ……絶景、絶景…………」
アルビオン帝国の中央に位置する都市、カルディア。活気と賑わいを絶やす事のなかった町並みの面影は見る影もなく失われ、阿鼻叫喚する凄惨な地獄の縮図と化していた。
「それにしても……」
レスティンギトゥルは鬱屈に思う。
歴代最強と名高い勇者ルクルース。そして、凄惨たる魔王と畏怖されるテネブリス。実力が匹敵するであろう両者と、正面からぶつかる事が出来なかった事に対してだ。
勿論この世界にはまだ数人の勇者が存在しているし、テネブリス直属の配下もまだ生きている。しかし、
「もう、我が侵攻を止める者はどこにも存在しない…………くっくっく、はっはっはっはっ!!」
レスティンギトゥルは両手を盛大に掲げ、高笑いする。世界をアンデッドで蹂躙し、死で埋め尽くす。この帝国で起きた混沌は、ただの始まりに過ぎない――――はずだった。
「……うぐぅ!?」
突如としてレスティンギトゥルの視界が眩む。
まるで世界そのものが歪んだような感覚に陥る。平衡感覚を失い態勢を崩したレスティンギトゥルは、中空から真っ逆さまに落下した。
そして地面への激突の衝撃で、レスティンギトゥルは身体に起こっている異変を感じ取る。
(な……なんだ…………身体が……)
全身が震え、言う事をきかない。その震えはやがて残像が見えるほど大きくなっていく。ふと見ると、自身の右腕がテネブリスのモノではなくなっている事に気付く。
(う、腕が……!? どうなっている…………!?)
そこにあったのは、どろどろとした黒血がへばりつく骨が剥き出しになった腕。いつしかそれは、右腕だけでなく左腕も同様に変貌を遂げていた。
焦燥したレスティンギトゥルは、確かめるように自身の頬を触る。だがそこには既に肌は存在しなかった。あるのは腐った薄皮がかろうじてくっついた頬骨。骨と骨が触れる硬い感覚だけが、身体を伝う。
(なぜだ!? 我が肉体が……!?)
全身の震えが止まり、身体が軽くなる感覚を得たレスティンギトゥルは、ゆっくりとその場に立ち上がった。突如とした起きた肉体の異変。もはや確かめるまでもない。
依り代となったテネブリスの強靭な肉体はどこかに消え失せ、代わりに残ったのは全身が朽ちた骨だけの姿。所々に腐った薄皮がへばりつき、黒い血のような粘液が絶え間なく骨の表面を伝っている。
骸骨だけの頭部には
(一体なぜ…………いや、それより――――)
テネブリスという依り代を失ったレスティンギトゥルは焦燥する。
死の王と銘打った存在であっても、悠久の時を経てば肉体は滅び、朽ちていく。肉体無きものに魂は宿らず、やがては完全に滅びる。
しかし、レスティンギトゥルのただならぬ生者への憎悪によって辛うじて彼の魂を現世に繋ぎ止めているのだ。故に、レスティンギトゥルは依り代となる強靭な肉体を求める。未来永劫、この世に死を超越して君臨し続ける為に。
そして、レスティンギトゥルは無数の死体とアンデッドが占める大通りを徘徊し始める。
目的はただ一つ。早急に依り代となる強靭な肉体を手にしなければならない。骨だけとなった肉体が完全に朽ちるまで、もはや
しばらく歩くと、幾重にも積み重なった物体が視界に入る。
それらはもぞもぞと動きまわり、肉と肉、骨と骨が密着する音を鳴らしていた。腐敗臭漂うその物体――アンデッドたちは、奥に埋もれているであろうテネブリスを未だに執拗に狙っているのだ。
そんなアンデッドたちの様子を見やると、レスティンギトゥルは本能的に胸騒ぎを覚える。
――――そして、それは起こった。
群がるアンデッドたちの隙間を縫うように、真っ白な閃光が
すると、その光に触れていたアンデッドたちは次々に塵となり消失していった。それはまるで聖なる光。レスティンギトゥルは驚愕と同時に強い警戒を抱く。
(なっ…………馬鹿な!? そんな筈……いやしかし、確かにこれは……この魔力は…………!!)
浄化されるように消え去ったアンデッドたち。その奥から、見覚えのある二つの影が現れる。
闇を写したかのような漆黒のマントを羽織るスラリとした体躯の男。金色に揺れる髪を片手でかき上げると、鮮血のように赤く輝く瞳を僅かに細め、不敵な笑みを浮かべた。
そんな男の隣にいるのは、凛々しく精悍な顔つきの青年。煌めく銀髪に蒼碧の瞳を宿している。
白金に輝く
レスティンギトゥルに向かって、次第に近づいてくる二つの存在。片方は悠然と闊歩し、片方は揺るぎない足取りで歩を進めている。
しばらくして足を止めた彼らの名を、レスティンギトゥルは思わず呟く。その存在を確かめるかのように。
「テネブリス…………ルクルース…………!!」
名を呼ばれた彼らはお互いに顔を見合った後、微笑を浮かべた。彼らもまた、お互いの存在を確かめるようだった。
「貴様が……ルクルースで間違いないな?」
「あぁ、そうだ。そういうお前は……テネブリス、だろ?」
「勿論だ。私が……私こそがテネブリス=ドゥクス=グラヴィオール…………魔族を統べる魔王である!!」
魔王たる威厳を振りまくように、テネブリスは名乗りと共にマントをばさっと払う。どこか満足げな表情を浮かべた魔王は、真紅の瞳に力を込めて言い放った。
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