第60話 忌まわしき怨念
死の王――レスティンギトゥル=ファーデンゴーデン。
その怨念がいつから世界に潜んでいたのかは誰も知る由もない。しかし七十年前、死の王は肉体を得た。ルクルースの祖父であり、当時のアルビオン帝国に仕える勇者カリタスの身体を依り代として。
だがその場に居合わせたテネブリスによって、カリタス諸共レスティンギトゥルは討たれた。
この一件以来、勇者を殺した魔王として、テネブリスは人間に深い敵意を向けられる。そして、魔族と人間との争いは激化していった――――。
「あぁ、懐かしき世の匂い。幾年ぶりか、テネブリスよ……」
レスティンギトゥルは口角を僅かに上げ、怨念渦巻く低い声で語る。その容姿は魔王テネブリス=ドゥクス=グラヴィオールそのものだが、内に潜んでいるモノは生者を憎む怨念の塊だ。
「七十年前……この手で確かに屠ったはずだが…………やはり聖なる力でなければ、貴様を完全に滅ぼすまではいかぬか」
「愚かな……。誰がどうやろうと、我が思念がこの世から消える事はない。この世界に生者がいる限り、必ず死は生まれる。つまり我々は未来永劫、共存していく運命なのだよ、テネブリス」
「ふん……愚かなのは貴様の方だ、レスティンギトゥル。死んだのであればそのまま黙って冥府に落ちておけばよいものを…………恨みったらしくこの世に
「……御託はよせ、テネブリス。貴様も死ねばわかる事だ。霊位魔法――
詠唱と共に天に向けて手を伸ばすと、空を覆う曇天のように暗黒が頭上に広がり渡る。レスティンギトゥルが放った魔法――それは世界に眠る無数のアンデッドたちを目覚めさせるものだった。
「目覚めろ、
レスティンギトゥルの声に呼応し、地面が次々に隆起し始める。地表を割ってそこから現れたのはアンデッドだ。だがそのほとんどは肉体は朽ち、腐臭を漂わせた骨だけの姿だ。人間だけでなく、魔族と思われる異形の姿も混在している。
――まるで地獄。それが世界各地で顕現し始めた。
世界に無数に存在する死者が生まれた場所。そこにある憎悪の残留思念を、レスティンギトゥルは利用しているのだ。
「ちっ、妙な真似を。だがようやく現れた私の身体……返してもらうぞ……!」
テネブリスは大小ひしめくアンデッドたちを
しかしアンデッドは否応なく襲いかかってくる。アンデッドたちに仲間意識などない。我先に、とテネブリスを目指して群がるのだ。
そこへ、テネブリスが両手を前方に向ける。
「霊位魔法――
放たれた灼熱の熱波が、大波のようにアンデッドたちを飲み込んだ。大通りを埋め尽くしていたアンデッドたちが押し流され、道が開かれる。
しかしテネブリスが向かうより先に、全身に暗黒を纏ったレスティンギトゥルが迫っていた。
「ふんっ!!」
「ぐっ……!?」
聖なる魔力が込められている白金の鎧は大きくへこみ、黒く変色している。たかが拳の一振りがそれほどの衝撃。魔王であるテネブリスの膂力と、怨念を伴った暗黒のベール……それらが合わさった結果、もはやレスティンギトゥルは最凶最悪の存在と言っても過言ではない。
表情を歪ませ、壁にもたれるテネブリス。
そこへ、とめどなく出現するアンデッドたちが次々と覆い被さっていく。それはみるみるうちに巨大な骨の山を築いていく。
だがその山は、奥から迸る禍々しい魔力によって瓦解した。
「まったく、忌々しい……!!」
テネブリスは首を左右に傾け、骨を鳴らす。埃を払うように両手をパンパンと叩き、蒼碧の瞳をレスティンギトゥルに向けた。
しかしレスティンギトゥルは意にも介さず全く表情を変えない。張り付いたような微笑のまま、暗黒を纏って急速に接近する。
先ほどの受けたような強力な拳の一振り――――だが、それはテネブリスの右掌によって受け止められた。しかし衝撃までは殺せない。受け止めきれなかった勢いが、テネブリスの身体を大きく仰け反らせた。
(霊位魔法――
現在、人間の身体であるテネブリスが、強靭な身体を持つレスティンギトゥルに対抗するには身体能力の面で大きな不利がある。それを驚異的な魔力によって補ってはいるが、人間の身体は得てして脆いものだ。
無茶をすれば、その反動がくる――テネブリスはボロボロに皮膚が抉れた右手を見て、顔をしかめた。
「テネブリス……実に良い身体だ、フフフ……」
「……それもそうだろう。なにせそれは、私の身体だからな……!」
「だった……の間違いだろう?」
レスティンギトゥルは嘲笑する。と同時に、身に纏う暗黒のベールを広げた。
「これは、こんな使い方も出来るのだよ。
レスティンギトゥルを中心とした暗黒のベールが、幾つもの円弧を描いて周囲に伸びていく。不規則な動きを見せる黒き輪環はまるで意思を持っているかのようにテネブリスに迫っていく。
(くっ…………回避が……!)
輪環のひとつがテネブリスの腕を掠めた。
鋭利な刃物に斬られたように、腕から鮮血が吹き出る。その傷口から、ただの黒いベールではない事を悟ったテネブリスは、腰に据えた漆黒の剣――
再び迫る黒き輪環。それを漆黒の剣刃で受け止める。
――キィィィィィィン!!
耳を突く高音と共に火花が散る。
(やはりそうか。高速で回転している……どうりで斬れ味がいいわけだ)
テネブリスは振動でガタガタと震えだす剣をしっかりと握りしめ、思案する。
離れれば黒き輪環と無数のアンデッド、近づけば驚異的な身体能力での肉弾戦が待ち構えている。このままでは一向に埒が明かないのは、テネブリス自身が一番理解していた。
「
レスティンギトゥルが諭すように語りかけながら歩み寄る。
テネブリスの後方にはアンデッドの大軍。凶悪な挟撃。どこにも逃げる術はない。
迎え撃つか、死を受け入れる。それしかない。
そしてテネブリスの前まで近づいたレスティンギトゥルは暗黒の瞳でテネブリスを見下しながら、一つに纏めた黒き輪環を解き放った。
手にしていた
「さらばだ、テネブリス」
凶悪な一撃が、テネブリスの顔面に直撃する。
吹き飛ばされた身体は、後方に控えるアンデッドの大軍に飲まれた。まるで餌を投げ込まれた魚のようにテネブリスに襲いかかっていく。
レスティンギトゥルはただ、その光景を微笑のまま眺めていた。
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