第59話 死の王

「…………これはこれは


 ビフロンスは全身に宿す無数の眼を、テネブリスの方へとぎょろっと向ける。その視線には、紛れもない敵意が込められている。


(ふん、やはりか――)


 腕を組み、鼻で嘲笑うテネブリス。

 メンシスにてベリアルとの会話の際に達した結論――勇者の姿である今のテネブリスを見て「テネブリス」だと言った事で、その結論は確実なものとなった。


「貴様には聞きたい事が山程あるが……まずはこの身体の事を――」


 テネブリスが話し始めると、背後から頭部のない黒装束のアンデッドが襲いかかる。その手には刺突剣レイピアが握られていた。

 振り回される刺突剣レイピアを、テネブリスは寸前のところで半身になって回避しながら、右手をかざす。


「亡霊め……霊位魔法――災厄メルム


 右手からおぞましい魔力が一直線に放たれた。あらゆるものを瓦壊させる火炎と雷撃が混ざり合った暗黒の魔力の奔流だ。

 それを正面から受けた黒装束のアンデッドは、塵一つ残さず消滅する。死という概念のないアンデッドといえど、動く肉体がなければ死んだも同然だ。


 だがテネブリスが屠ったアンデッドは、この場にいるほんの一握りに過ぎない。

 生者――それもとびきりの強者がいる事を察知したアンデッドたちは、テネブリスに向かって群がっていく。悲惨な街並みから次々と現れるその姿に、テネブリスは眉をひそめた。


(アンデッド……それにこの数。自然に湧いて出たものではないな。という事はもしや…………ビフロンスは闇の勢力ゼノザーレの……!?)



 闇の勢力ゼノザーレは、その殆どがアンデッドによって構成されている。しかし稀に、生きた肉体を伴ったまま闇へと堕ちる個体が存在する。これまで確認されたその個体は合計十体。『十戒』と呼ばれたそれらは、いずれも圧倒的な魔力と強大な憎悪を持ち、人間や魔族に対して幾度となく牙を剥いてきた。


 そして過去、十戒に立ち向かったのはアルビオン帝国に仕える先代の勇者やテネブリスを筆頭にした魔族たち。長い年月をかけ、人間対魔族対闇の勢力ゼノザーレという三竦みの争いは、十戒の殲滅という結果により収まったかに思われていた。


(仮にビフロンスが闇の勢力ゼノザーレだったとして…………いや、十戒は滅ぼしたはずだ。ちっ、どうなっている……!?)


 テネブリスは小さく舌打ちをし、向かってくるアンデッドたちを迎撃する構えを見せる。だが、並の魔法では死という概念のないアンデッドを滅ぼす事はできない。アンデッドを滅するには勇者や神官がもつ聖なる魔力が必要だ。

 しかしテネブリスは姿は勇者であっても、聖なる力は持ち合わせていない。先ほど見せたように、圧倒的な魔力による一撃で跡形もなく屠る以外に方法はない。

 ――しかし、動きを止める事は可能だ。


「霊位魔法――凍結境界エル・アルゲオ


 テネブリスを中心に、凍てつく波動が拡散していく。瞬間的に冷やされた空気は、霞がかったもやを撒き散らしながら大通りを白銀の世界へと変貌させた。

 抗う術のない冷気に触れたアンデッドたちは、周囲の建物もろとも瞬時に凍りついていく。やがてこの場に集うアンデッドたちのほとんどは、溶けることのない氷像へと生まれ変わった。


 邪魔者は消えた――と、ばかりにテネブリスはビフロンスの元へゆっくりと歩みを進める。対するビフロンスは、無数にある眼を細くして、逃げる事も抵抗する事もなく静かに待っているばかりだった。


「ビフロンス……全ては貴様の企み、という訳か」

「キシシ……全てが全て、という訳ではありませんがねぇ」

「……? どういう事だ」


 テネブリスは怪訝な表情で問い詰める。

 ビフロンスが今回の首謀者である事は確実だ。だがまだ何か――そんな含みをもたせる言動に、テネブリスは苛立ちを隠せない。


「キシシ…………では簡潔にお答えしましょう。わたしの願いはただ一つ、あの御方――死の王の復活……それだけです」

「……ほう、何かと思えば…………だが、解せぬな。奴を復活させるのと、私のこの姿……無関係のように思えるが?」

「それこそ、わたしの企みなどではなく奇跡のような偶然なのですよ、キシシ……」


 ビフロンスは尾で絡め取った聖剣を眺めながら、淡々と告げる。

 偶然、そんな言葉で済むはずのない出来事。その真実を、ビフロンスは語り出した。



「わたしの意識の淵に存在する死の王は、この世に顕現する為に新しい肉体を所望しておられたのです。そこでわたしは、ある者の存在に目をつけました。この世界で唯一無二の強者、強靭な身体を持ち、あらゆる魔を統べる王。それは――」

「――私か」

「キシシ……ご名答。死の王の依り代として、テネブリス……あなたの身体を頂こうとしたのです。ですが、それには一つの問題があった。それは……あなたの魂が強すぎる、という事です」


 テネブリスは、眉間に寄せていたシワをより一層深くする。次第に明らかになっていく真実。それはテネブリスにとって吉報か否か。あるいは――


「ただの人間や魔族であれば、その魂ごと死の王の依り代にできるのですが、やはり魔王ともなると話が違う。だからわたしは勇者を利用して、テネブリス……あなたの魂を切り離そうとしたのです」

「それが……あの平野での一騎打ち、という訳か」

「えぇ。勇者と魔王、二人の強大な魔力を利用して発動させた神位魔法――魂の天秤アルスマグナによって、あなたの魂は聖剣へ……そして肉体は死の王の依り代となる――――はずだった」


 ビフロンスは尾に絡めた聖剣を地面に突き刺し、無数の眼をテネブリスに向けて睨みをきかせた。


「ふん、失敗した……という事か」

「失敗……と言うと少し違いますねぇ。きちんと魔法は効果を発揮したのです。ですが、その対象が正しく認識されなかった」

「――つまり、ルクルースの身体に私の魂が入った、と?」

「えぇ。おそらく、相打ちにでもなったのでしょうねぇ。神位魔法を発動させていなかったら憎き強敵二人を一度に消し去る事ができたのに……と、今思えば残念でなりませんがねぇ、キシシ……」


 ビフロンスは冷たく嘲笑う。

 実際もし、ルクルースとテネブリスが相打ちとなっていたら、二大強者を亡くしたこの世界は瞬く間に闇の勢力ゼノザーレによって蹂躙されていただろう。

 しかしビフロンスが発動した神位魔法によって、その危機は救われたのはなんとも皮肉なものだ。


「待て、では私の身体は一体……?」

「それは……ここ、ですよ。キシシ……」


 そう言ってビフロンスがテネブリスの前に見せつけたのは、聖剣エーテルナエ・ヴィテだった。純白の鞘が放つ輝きは、邪悪な存在が手にしていても決して穢れる事はない。


「……なるほど。聖剣そこに私の身体…………そして、ルクルースの魂がいるのだな?」

「仰るとおり。という事はつまり、あなたの魂と身体を切り離す事も出来ている……という訳です!!!!」


 ビフロンスは全身に宿している無数の眼をカッと見開いた。

 聖剣を絡めた黒い尾を振り回し、どす黒い魔力を暗澹あんたんたる粘液で包まれた全身に帯びていく。


「わたしの肉体と魂を犠牲に、ようやくあの御方を…………神位魔法――天秤の魂アルスマグナ!!」


 ――眩い閃光が視界を覆った。

 それはいつかの平野で起きた、あの煌めきを彷彿とさせるものだった。



 肉体と魂を操作できる神の魔法――魂の天秤アルスマグナを発動するには強大な魔力、もしくは効果に見合った対価や代償を払わなければならない。

 一度目の発動は、マグヌス平野で一騎打ちをしたルクルースとテネブリスの強大な魔力を引き金に発動した。

 そして二度目である今回。ビフロンスが払った代償は、暗黒の粘液魔物カオス・ウーズである肉体――そして魂だ。


 我が身を犠牲にして発動した神の魔法は、聖剣エーテルナエ・ヴィテに内包されているテネブリスの身体を呼び戻し、ビフロンスの内に潜んでいる死の王の残留思念とを結びつける。

 それと同時に断末魔のような高笑いと、黒い飛沫が辺りに飛び散りながら、ビフロンスという存在はこの世界から完全に消滅した。


 そして辺りを覆っていた閃光がゆっくりと消失した時、は生まれ出た。


 黄金のような輝きを宿す整然と伸びた髪。透けるような青白い肌。肩から下げた漆黒のマントから見える、無駄なく引き締まった体躯。

 麗姿と言える顔立ちに不敵な笑みを浮かべつつ、凍てつくような双眸には暗黒の瞳が鎮座している。その瞳の奥に秘めた生者への絶対的な悪意は、まるで闇から這い出る憎悪をそのまま世に写したかのようだ。


 テネブリスは目の前に現れた自身の姿を見つめ、かすかに表情を暗くする。余裕のある微笑を崩すことはないが、苦笑にも見える表情のままテネブリスは口を開いた。


「久しいな、死の王…………いや、レスティンギトゥル=ファーデンゴーデン……!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る