テネブリスのお見合い体験記 前編
「――で、これは何だ?」
長椅子に優雅に脚を組んで座していたテネブリスは、怪訝な表情で円卓の上を指差した。
そこにあるのは山積みになった羊皮紙。向こう側が見えないほど積み重ねられている。
その羊皮紙の壁の横からひょいと顔を覗かせたベリアルは、朗らかにテネブリスの問いに答えた。
「魔王の
「…………ん? 待て、何を言っているのかわからんが」
「ですから、テネブリス様の妃になりたいと――」
「いや、待て」
テネブリスはおもむろに立ち上がる。
七魔臣との会議で使用する大広間。その中心に置いてある大理石製の大きな円卓。それを埋め尽くすほどの羊皮紙の山を見て呆然とする。
(これほどの量……一体どれだけの者が…………)
しかしそれよりも、全く身に覚えのない事を言い出すベリアルに対してテネブリスは呆れ果てた。
「そもそも……私の妃とは何事だ? そんな事を頼んだ覚えはないが」
「テネブリス様が魔王の座についてから、もうすぐ百年が経とうとしております。そこで失礼ながら、そろそろ世継ぎが必要かと思った次第で……」
「世継ぎ、だと……!?」
ベリアルの口から出た思いもよらぬ理由に、テネブリスは頭を抱える。
確かに魔王として、後釜の事を全く考えていない訳ではない。だがテネブリスの身に何かがあった時に、次なる魔王に相応しいのはベリアルだと以前から公言している。
その度にベリアルは凄まじい勢いで謙遜するが、次期魔王に相応しいその実力を誰も疑う者はいないだろう。
「ふん……私の世継ぎより、貴様が後継になればよいだろう?」
「そんな、滅相もございません。魔王とは力だけではなれぬもの。格、威厳、容姿、雰囲気、信頼……そのどれが欠けても、テネブリス様のような偉大な魔王には到底及びません」
「……私からすれば、そのどれもを貴様は持ち合わせていると思っているが……?」
テネブリスのその言葉に、ベリアルは飛び跳ねて悦びを表現したい気持ちを必死に堪え、その場で身を震わせながら感銘した。金色の四つの瞳が映す景色は、何故かぼやけて見える。
身に余る最大級の賛辞。それを不意に食らった彼の心は今、溢れんばかりの至福の感情で埋め尽くされている。
だが敬愛する御方を差し置いて、自身が次期魔王などという戯言を口にするほどベリアルは驕っていない。誰が何と言おうと、ベリアルはテネブリスの直属の配下、その筆頭である第一魔臣なのだ。
「身に余るお言葉……誠に感謝いたします。ですが、それとこれとは話が別です」
「…………ん?」
「テネブリス様が身を固められる、そして世継ぎがお産まれになられる――これは我らの総意なのです。真に守るべき者が出来た時、テネブリス様の御力はより一層強大なものとなるでしょう――――御方をお守りになられた、先代のように」
テネブリスは口を
ふと、頭の片隅に追いやっていたいつかの遠い記憶が蘇る。だがそれはテネブリスにとって忌まわしき記憶であり悲惨な過去だ。
そんなテネブリスの胸中を察したように、ベリアルは頭を下げ謝罪する。
「申し訳ありません、テネブリス様……私とした事が出過ぎた真似を――」
「よい、気にするな。貴様でなければ吹き飛ばしていたところだったが」
テネブリスは冷笑を浮かべる。
ベリアルの真意はどうあれ、悪意あって事ではないのは明らかだ。それに、長い時を共に過ごした配下の気持ちを少しは汲んでやらねば、魔王としての器量が問われるだろう。
そう考えていたテネブリスとは裏腹に、ベリアルは頭を下げたまま冷や汗を流す。
たとえ長い付き合いであっても天と地のような主従関係は存在する。少しでも気が触れるような事をすれば、命を取られる事はないとしても、相応の罰は必至。
それを覚悟していたというのに――。
(テネブリス様……やはり真の魔王とは、御方以外におりません……)
そうして心の中で人知れずテネブリスへの畏怖の念を抱いたベリアルは、恐る恐る顔を上げる。
金色に輝く四つの瞳が映したのは、円卓に山積みとなった書物の一枚を手に取るテネブリスの姿だ。
「ベリアルよ……何やら、名前や種族、特技などが書いてあるが……こんな薄っぺらい紙ごときで私の妃を決めるというのか?」
問われたベリアルは、顎先に手を添えて書物に目を通すテネブリスへと駆け寄る。
今思えば、書物について――そして妃を決める方法について全く説明ができていない事に気づく。ベリアルとした事がとんでもない失態だ。
その失態を取り返すべく、ベリアルは鼻息を荒げつつテネブリスに説明を行う。
「伝え忘れておりましたが、この書物はいわば第一審査……とでも言いましょうか」
「ほう……それにしても膨大な数だが」
「それに関しては私は何とも……これだけの数が集まったのは、全てテネブリスが持つ魅力や御力の賜物でございます」
ベリアルは両手を高く掲げて称賛する。その先にあるのは山積みとなった羊皮紙。
天井まで届きそうなほど屹立した書物の山が、魔族たちがテネブリスを慕う表れとも言える。
「……何かよからぬ事を言いふらしたのではないだろうな?」
「いえ、決してそんな事は。ただ、テネブリス様の妃になりたい者を募集する、とだけ声掛けをした次第です……が、こんなに集まるとは。流石テネブリス様」
「ふん、世辞はよせ。で、これから私にどうしろと?」
テネブリスは手にしていた書物を無造作に円卓に置くと、再び長椅子へと腰をかけた。
(審査、というのだから決して
テネブリスは書物の山を眺めながら、密かにやる気を湧き上がらせる。
しかしそんな気持ちに水を差すように、ベリアルは質問を投げかけた。
「ではまず、好みの女性の外見をお聞かせ下さい」
「…………は?」
何を言ってるんだコイツは――と、テネブリスは眉をひそめる。しかしベリアルの表情はいたって本気だ。
「例えば……人型の種族がいいとか、異形の種族でもいいとか、背が大きいとか小さいとか――――」
「ま、待て、それは何の質問だ? 何か関係あるのか……!?」
「大いに関係ありますとも! すでに第一審査は始まっております!!」
「そ、そうか……」
何やら興奮気味なベリアルの勢いに押され、テネブリスは腕を組んでしぶしぶ納得の態度を見せる。
「では改めてお聞きしますが、好みの外見は?」
「そうだな……………………強いて言うなら、私と同じくらいの背格好の種族が好ましい……が」
テネブリスが捻り出すように答えると、それに呼応するように円卓の上に積み上げられた書物の約半数がふっと消失した。
目の前で起きたその光景に、テネブリスは「ほう……」と小さく感嘆の声をあげる。
「
「ご明察。テネブリス様の返答によって、自動で書物が選別されていくよう魔法効果を付与してあります」
円卓に山積みになっている書物は全て
だが、テネブリスが感心したのはそこではない。これだけの膨大な数の
(ベリアル……貴様、どうしてそこまで…………!)
そんな配下の真剣さを見せられては、これから適当に答えるわけにはいかない。テネブリスは覚悟を決め、顎をしゃくり続きを促した。
「では次です。子供か大人、どちらが好みでしょう?」
「……大人」
「細いか、太いか」
「……細い」
「可愛いか、綺麗」
「……綺麗」
「巨乳か、貧乳」
「……巨、待て」
何やらニヤニヤしているベリアルが横目に入り、テネブリスは思わず返答を止める。
本当にこんな質問が必要なのか? と、ふと疑問が浮かぶ。だが返答するたびに山のように積まれていた書物が消え去っていくのだから、審査としての意味はあるのだと信じるしかない。
「まだあるのか? いくら容姿が優れていようが、私はそれだけでは見初めることはないぞ?」
「そう言うと思いまして、次が最後の質問でございます」
「ほう、では聞こう」
「テネブリス様が
これまでとは趣向を変えた問い。しかしそれこそ、テネブリスにとっては唯一無二の核心に迫る問いだ。
テネブリスは腕を組んだまま瞼を閉じる。答えを待つように、大広間には静かな時間が流れていく。
やがて長くない沈黙の後、テネブリスはゆっくりと瞼を開き、真紅の瞳をベリアルに向けた。そして組んでいた腕を解き、右手で力強く握り拳を作りながら、短く答えた。
「強さだ」
その問いに呼応し、書物が次々と消失していく。あれだけあった膨大な量の書物。最後まで円卓に残ったのは、たったの三枚だけだった。
「ほう……三枚か。で、この書物に載っている者が次の候補者、という事か?」
「仰る通りで。しかし、その前に一つご確認を」
「ふん、何だ?」
「お見合い、というのはご存知でしょうか?」
「いや、知らぬな」
テネブリスは首を傾げる。魔族にとっては耳慣れぬ言葉である為、当然とも言える。
「お見合いとは、人間が婚姻する前に行う見初めの儀式。そこで、
「ほう、それは一興だな。で、具体的には何をするのだ?」
「それは明日までのお楽しみ、という事で……」
「えらく勿体ぶるではないか。まぁよい、では明日……そのお見合いとやらを楽しみにしておこう」
用は済んだ、とばかりにテネブリスは長椅子から立ち上がり大広間を後にする。
だだっ広い空間にぽつんと残ったベリアルは、円卓の上に残った三枚の書物を手に取った。
「どれどれ……一体どこの誰が残ったのか――――ん!?」
ベリアルは険しい表情で手にした書物を見つめる。
最後まで残った魔王の妃候補者。しかし真の審査は明日行われる”お見合い”だ。
その結果次第では、今後の魔族の将来が左右されるかもしれない。
「全く、困ったものだ……」
ベリアルは書物を丸めると、明日の事で頭をいっぱいにしながら大広間を後にした。
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