魔王が生まれた日

 薄暗い古びた一室。そこに無秩序に置かれた真っ赤なソファに、すらりとした脚を組んで優雅にくつろぐ男がいた。

 青白い手には、硝子で出来た骨董品のようなグラスを手にしている。深い緋色の瞳でグラスに注がれた血のような真紅の液体を見つめると、ぐっと飲み干す。

 そして、その男は空になったグラスを傍に備えつけてある小卓に無造作に置き、ポツリと呟いた。


「…………暇だな」


 しかし室内には男以外に誰もいない為、その呟きに返事をする者はいない。

 そもそも、この部屋の所有者以外には立ち入る権利がない為、それも当然である。


 魔族の軍勢――その拠点である、月魔殿メンシス。そこに建てられた古城の最奥部に位置するこの部屋の所有者とは、たった一人しかいない。


 数多存在する異形の魔族を統べる冷酷無残の王。

 その名を口にするだけで、誰もが恐怖におののく魔の王。

 他を凌駕する絶大なる魔力を持つ、絶対かつ唯一無二の存在。


 その男こそ、凄惨たる魔王――テネブリス=ドゥクス=グラヴィオールである。



 テネブリスはさらりとした金髪をかき上げると、おもむろにソファから立ち上がった。

 そして殺風景な自室をしばらくうろうろすると、再びソファにうなだれるように座り込んだ。


「ふん……」


 面白くない、とでも言いたげな顔でしばらく黙り込む。その態度は、いつもの魔王らしからぬ悄然としたものだ。

 だが、テネブリスがこんな様子になっているのには理由がある。


 少し前にとある国への侵攻を終え、大いなる成果と共に意気揚々とメンシスへ帰還したテネブリスだったが、帰還するやいなや配下たちから揃いも揃って自室で待機するように懇願されたのだ。

 理由を聞いても口を濁すばかりで、あやふやな返答しか返ってこない。

 業を煮やしたテネブリスは、半ば不貞腐れたように自室に閉じ込もったのである。


 だが、普段から部屋を空ける事の多いテネブリスは、自室にいても特にする事がない。

 だだっ広い部屋には真っ赤なソファと特大のベッド、それに小卓が置かれているだけだ。

 そんな部屋で何をする訳でもなく、ただ時間だけが過ぎていくのを、テネブリスは鬱屈に感じていたのだ。


(奴らめ……私をこの部屋に閉じ込めて何をするつもりだ……? 呼びに来るまで待てと言うが、既に半日は経っているではないか……!)


 不機嫌そうにテネブリスは舌を鳴らす。

 こうしている間にも、無駄な時間は過ぎていく。ソファに深く座り込みしばらく腕を組んでじっとしていたが、テネブリスはとうとうしびれを切らした。


(ふん……もうよい。よくよく考えれば、魔王たる私が律儀に待つ必要などないではないか。向こうから呼びに来ないのであれば、こちらから行くまで。それに……たまにはのんびりと城内を歩くのも悪くない)


 テネブリスは決心したように立ち上がると、部屋から出る為に扉の持ち手に手をかけた。

 だが、いつもと違う持ち手の感触に気付き、眉間にシワを寄せる。


(むっ…………動かぬ、だと?)


 テネブリスの腕力を以てしても微動だにしない持ち手。

 何らかの魔法によって扉が守られている、と察知したテネブリスは不敵な笑みを浮かべた。


「フッフッフ。なるほど……そうまでして閉じ込めたいか。だが私にとって、こんなもの足止めにはなり得ない。霊位魔法――圧砕クルトゥーラ


 テネブリスの放った魔法により、部屋の扉は轟音と共に破壊された。パラパラと破片が舞う中、満足げな表情で部屋を出る。


 すると、そこには驚愕した表情の魔族がおろおろと身を震わせていた。

 背中に漆黒の四枚の翼を生やし、深紫色の肌に下半身を汚れた黒い布切れで包まれた魔族――堕落の悪魔メインズデーモンだ。


「テ、テテテネブリス様っ……!?!?」

「ほう……貴様が見張りか?」

「は、はい。あっ、いえ……! なんでもございません!」


 堕落の悪魔メインズデーモンは突然の出来事に、思わず自身に与えられた役割を漏らしてしまう。

 しまった――というような顔をしたのも束の間、テネブリスが続けざまに尋ねた。


「何を企んでいるのだ?」

「あの………その…………」


 堕落の悪魔メインズデーモンは、核心を突く質問に答える事ができない。これを言ってしまえば全てが終わり、という事を理解しているからだ。

 しかし誤魔化そうにも言葉が出てこない。その場しのぎでデタラメを言っても、後でバレた時の事を考えると到底適当な事を言えるはずもない。

 故に、正直に言うほかなかった。


「しょ、詳細は七魔臣の方々に口止めされております故……ワタクシの口からは、何も言えません……」

「ほう……」


 テネブリスは身を縮こまらせる配下を見やりながら、顎先に指を当てて考え込む。


 テネブリスの直属の配下である七魔臣。そんな彼らが、今回の謎の企みの首謀者だと言う事はわかった。

 しかしわざわざ自室に見張りをつけてまで何をしようというのか――腑に落ちない事態に、テネブリスは苛立つ。


「ふん、まぁよい。私はこれより城内を散策する。それが許せぬというなら止めてみせろ――力尽くでな」

「い、いえ! そんな事がワタクシに出来るはずがございません!」


 堕落の悪魔メインズデーモンは敵対の意思がない事を示すように、即座に跪いた。俯いているためテネブリスからは見えないが、深紫色の顔は青ざめている。

 七魔臣からは見張りを指示されていたが、命を懸けてまで足止めしろとは言われていない。そもそも魔王たる御方が部屋を出る判断をされたのなら、それを尊重するのが配下たる役目だ。

 そう考えた堕落の悪魔メインズデーモンは、跪いたまま動かない。


 そんな様子をまじまじと見つめながら、テネブリスは鷹揚に声をかけた。


「ふん……気が済んだらじきに戻る。それまでにここを片付けておけ」


 そこにあるのは粉々になった扉の破片。こうなった原因がどうであれ、片付けろと命じられれば片付ける以外にない。たとえ思う所があったとしても決して嫌な顔などしてはならないのだ。


「……はっ! いってらっしゃいませ」


 堕落の悪魔メインズデーモンは跪いたままテネブリスを見送った。

 そして姿が見えなくなるのを見計らい、人位魔法――意思伝達テネキスを発動する。魔力が繋がった先は第一魔臣ベリアルだ。


「申し上げにくいのですが……テネブリス様が部屋をお出になられまし――はっ、申し訳ありま……いえ、そのような事は……はっ、はい…………いえ、それは断じて! は、はい……畏まりました……」


 魔法の効果が切れると、堕落の悪魔メインズデーモンは深い溜め息をついた。

 想定外の事態に、第一魔臣ベリアルはひどい慌てようだった。せっかくの企みが水の泡になるかもしれない、そんな焦燥が痛いほど伝わってきた。

 しかし七魔臣でもないただの上級魔族である堕落の悪魔メインズデーモンでは、魔王たるテネブリスの行動など止めれるはずもない。


「はぁ……。せめて、にだけは立ち寄る事がないように祈っておこう……」


 堕落の悪魔メインズデーモンは散らばる破片を拾い集めながら、小声で呟いた。



 * * *



 石畳の廊下には、コツコツという音だけが響いている。

 等間隔に灯された燭台がゆらめく明かりを瞬かせ、暗がりの廊下に僅かな暖かみを運んでいる。

 いつもであれば幾多の異形の者たちが忙しなく右往左往しているこの場所も、不気味な静けさに包まれていた。


(おかしい…………どうして誰もいない……?)


 その静けさの中心にいるテネブリスは、廊下を歩きながら不審に思う。

 配下たちはどこで何をしているのか――全く見当もつかないテネブリスはただアテもなく、廊下を歩くのみだった。


 そのまましばらく進んでいると、石畳の床に小さくうごめく肌色の生物がテネブリスの目に入った。小さい、と言ってもその大きさは人間の子供程度の大きさだ。

 薄明かりの中、よく目を凝らすとその生物は馴染みのある者だという事に気付いたテネブリスは、僅かに表情を明るくしながらその名を呼んだ。


「おぉ、ペペンギーヌではないか!」


 ペペンギーヌと呼ばれた魔族はテネブリスの存在に気付くと、ぬるっとした身体をくねくねと動かし拝跪したような素振りを見せる。

 ような、というのはペペンギーヌには手足がない為だ。だがテネブリスや七魔臣と顔を合わした際には、いつも同じくねくねとした動きをするため、ペペンギーヌなりのうやうやしい動作なのだろう、とテネブリスは理解している。


「いつもご苦労。貴様の働きには皆が感謝しているぞ」


 テネブリスは目線を合わせるように屈み、労いの言葉をかけた。

 目線、と言ってもペペンギーヌには目がない為、目が合う事はない。それどころか鼻も口もないために、会話すらままならない。

 しかしテネブリスは、ペペンギーヌの動きや反応でおおよその感情を読み取れる術を身に着けている。日頃からペットのような愛着をもって接してきた賜物だ。


 ペペンギーヌはテネブリスの言葉を受け、くねくねと全身を激しく動かす。

 英古の蛞蝓エルダースラグの魔族であるペペンギーヌは、このメンシスで重要な役割を担っている。それは、城内の清掃だ。

 いわゆるナメクジ――であるペペンギーヌの肉体はあらゆる細菌や埃、ゴミ等を残す事なく捕食する。それに加え、その際に吐出する特殊な粘膜がワックスのような作用をもたらす。縦横無尽に這いつくばるペペンギーヌのおかげで、城内はいつも塵ひとつない綺麗な空間に保たれているのだ。


「フフフ、そうか。今日も元気そうでなによりだ」


 テネブリスは微笑をなげかける。ペペンギーヌだけに見せる魔王らしからぬ慈愛に満ちた言葉だ。

 本来であれば抱きかかえてやりたいぐらいだが、ペペンギーヌのもつ粘膜が身体につくと中々に厄介である為、安易に触れる事はできない。これまで感情の赴くままに何度か触れてしまい、配下に無駄な心配をかけてしまったのをテネブリスは学習している。

 故に、触れたい衝動を必死に抑え、言葉と表情のみで愛情を伝えるのだ。


 ペペンギーヌは身体を左右にぶんぶんと動かし、全身で悦びを表現している。

 ペペンギーヌとの二人だけの空間。それを存分に堪能したおかげで、テネブリスが今まで感じていた苛立ちはどこかに消え去っていた。


 しかし、ふと思い出す。


(そう言えば私は何を……ん? あぁ、そうだ。七魔臣たちが何か企んでいるのだったな。しかしペペンギーヌのおかげで気も晴れた…………フフフ、可愛い奴め)


 テネブリスは名残惜しそうに立ち上がる。

 部屋に戻っても何もやる事はないが、部屋を出てもやる事もない。このままアテもなく閑散とした城内をうろつくのも、部屋にいるのと大して意味がないのかもしれない、とさえ思い始める。


 しかし堕落の悪魔メインズデーモンに偉そうに啖呵を切った手前、すぐに戻るのも気恥ずかしい。

 ペペンギーヌに会えた事で気が済んだのは済んだのだが、もうしばらく時間を潰す必要がある。

 そう考えたテネブリスは小さく溜め息をつき、ゆっくりと歩き出した。


「ではペペンギーヌ、また会おう」


 テネブリスは片手をゆっくりと上げ、別れを告げる。その言葉に応え、ペペンギーヌも深い一礼をするようにぐねっと身体を曲げた。



 * * *



 石畳の廊下を抜けた場所。そこには七つの扉が等間隔に並んでいる広間がある。

 扉には一から七までの数字が書かれている。それが示すもの――それは七魔臣に与えられた自室だ。


 七魔臣とそのあるじのみが入る事が許されたその広間に、漆黒のマントをなびかせる人物が現れた。

 その人物こそ、七魔臣の主である凄惨たる魔王――テネブリス=ドゥクス=グラヴィオールである。


「ここに来るのも久しぶりだな……」


 テネブリスは広間を眺めながら呟く。

 直属の配下である七魔臣の自室に、その王であるテネブリスが訪れる事などほとんどない。七魔臣と顔を合わすのは決まって城内の中央に存在する大広間だ。


(確か、第七魔臣ビフロンスが来た時以来か……)


 テネブリスは腕を組み、そう遠くない記憶を蘇らせる。

 出自や経歴は謎が多いビフロンスだが、その実力は確かなものだ。七魔臣の中では新参ではあるが、これからの活躍に期待できる配下だと評価している。


 そんな思いを馳せていると突然、七つある扉の一つが勢いよく開かれた。

 開かれたのは二と書かれた扉の隣、三の扉だ。


 そこから現れたのは、艶めく黒髪に深碧が混ざった長髪の女。

 ぜぇぜぇ、とやや息を荒くしながら飛び出してきた女は白美の頬を少し紅潮させている。

 そしてテネブリスと目が合った彼女は、驚愕の表情で身を仰け反らせた。


「テっ、テテテ、テテネブブリス様!?」

「……ブが一つ多いぞ」

「……! しっ、失礼いたしました! テ、テテネブリス様っ!」

「…………もうよい」


 テネブリスは呆れたような表情で肩を竦ませる。

 そして、三の扉から出てきた女――第三魔臣である彼女の変化に気が付く。魔女のような黒に染められたいつもの服装ではない事に。


「――で、ベルフェゴール。何だ? その格好は?」

「……そ、その…………」


 ベルフェゴールはもじもじと身体をよがらせる。黄金色の瞳は揺らぎ、その視線は主ではなく地面に向けられている。まるで恥じらう乙女のような仕草だ。

 妖艶な身体をふんだんに露出した格好は鳴りを潜め、その肌は純白のドレスで覆われていた。

 腰から裾にかけて大きくふわっと広がったスカート。逆に腰から上は、ぎゅっと引き締められ豊かな胸がはみ出しそうになっている。光を反射するほどの煌めく生地で作られたそのドレスは、彼女の持つイメージとはまるで真逆だ。

 そんなベルフェゴールは、紅い唇を震わせながら静かに口を開いた。


「似合って……ますか……?」

「……………………は?」


 テネブリスは口を開いたまま唖然とする。

 似合っているかいないかで言えば、間違いなく似合っているだろう。ベルフェゴールが元々持っている艶めく美貌と相まって、清楚、純潔、潔白――そんな言葉が出るほどに美しい。

 しかしそんな事をうっかり口に出してしまえば、ベルフェゴールが暴走してしまうのが容易に予想がつくため絶対に口にしない。かと言って、配下が着飾った姿を見て何も言わないのもおかしな話だ。

 故にテネブリスは困惑しながらも、当たり障りない感じで言葉を濁す。


「ま、まぁ…………良いのではないか?」

「テネブリス様っ…………!! で、では……ようやくワタシを妻にしてくれると、そういう事ですね!?!?!?!?」


 ベルフェゴールは目を大きく見開き鼻息を荒げ興奮を隠そうともしない。

 ベールに包まれた手をテネブリスに向け、はぁはぁ、と恍惚の息を漏らしながらゆっくりと近づいてくる。

 そんな配下の姿に身の危険の感じたテネブリスは諭すように弁明する。


「お、落ち着け、ベルフェゴール!! 私はそんな事、一言も言っておらぬだろう!」

「良い、と仰って下さったではありませんか!」

「そ、そういう意味ではない!!」

「では、どういう意味なのですか!?!?」

「……ま、まずは落ち着け!」


 ベルフェゴールはしゅん、として黄金色の瞳をテネブリスに向けた。

 ぷくっと膨らんだ口元は赤く艶めいている。


「テネブリス様の為を思ってワタシは………………」

「私の為に……? どういう事だ?」


 そう尋ねられたベルフェゴールは、はっとして口を両手で塞いだ。

 天より高く海より深い愛を込めたとびっきりの衣装を褒められたせいで、うっかり口を滑らしてしまうところだった。この事は合図が来るまで内密にしておかないといけない。それを忘れるところだった。

 なんとか落ち着きを取り戻したベルフェゴールは時間を稼ぐ使命を思い出す。第一魔臣ベリアルから連絡がくるまで。


「い、いえ……なんでもございません!」

「ほう……私に隠し事か?」


 ベルフェゴールはテネブリスから向けられた視線に心が痛む。

 敬愛するこの御方に、本来隠し事などあってはならない。だが今だけは隠さねばならない。全ては愛するこの御方の為に。

 ベルフェゴールはそんな身を切る思いで、返答した。


「め、滅相もございません。テネブリス様に対してワタシは何も隠す事などいたしません。テネブリス様が脱げと仰るなら、すぐにでもこのドレスを脱ぐ準備は出来ております」

「いや……そういう事ではないのだが――」

「では、隠し事をしてもよいと!?」

「いや、それはだめだ」

「では…………」


 そう言ってベルフェゴールは純白のドレスを脱ごうとする。

 何をしているのだコイツは、と焦ったテネブリスは急いで止めに入る。こんなところを他の配下にでも見られてしまえば魔王としての尊厳に関わる。こういう事は広場でするものじゃない。いや、そういう問題ではない。

 と内心、激しく動揺したテネブリスはベルフェゴールの両肩を掴んだ。


「ベルフェゴール、貴様らが何かを企んでいるのは知っている。だが私とて、それをいつまでも問い詰めるほど器量の狭い男ではない。貴様らが何も言わぬというのなら、私もこれ以上何も言う事はない」

「……テネブリス、様…………!」


 これほどまでに強情に口を割らないのは何か意図があっての事に違いない。

 例えそれが良い事だろうが、悪い事だろうが、魔王であるテネブリスにとっては些細な事に過ぎないのだ。何が起こっても微動だにせず、ただいつものように凛と構えていればいい。

 その事に改めて気付かされたテネブリスは、ベルフェゴールの肩を掴んでいた手を離す。マントをさっと振り払い、ベルフェゴールから離れていく。

 そして二、三歩ほど歩いたところで振り向いた。


「そのドレス。似合っているぞ」


 そう言って、広場を後にしようと歩き出した。


 その後姿を見送るベルフェゴールは崩れ落ちるように腰を落とし感涙した。

 歓喜、幸福、絶頂、あらゆる至福の感情がとめどなく胸に溢れていく。


(あぁぁ……あの御方こそ神だわ。まさしく神。いや、テネブリス様は魔王だから魔王神ね。はぁん…………ワタシ、もうおかしくなりそう)


 幸福感に浸っていると、それを邪魔するように魔力の繋がりを感じた。

 第一魔臣ベリアルからの連絡だ。ほどなくして脳内に声が届く。


「――準備が出来たぞ」

「……! わかったわ」


 ベルフェゴールは震える脚に力を込め、よろめきながら立ち上がる。

 もう我慢しなくていい。あと少しの辛抱で、この胸に抱いた感情を全て打ち明ける事ができる。そう思うと、自然に身体が動き出していた。


「テネブリス様!!!!」


 ベルフェゴールは凄まじいスピードでテネブリスに追いつくと、後ろから抱きついた。このまま例の場所まで連れて行く使命があるため、テネブリスから離れる訳にはいかない。

 というていで、これでもかというぐらいに執拗にくっつく。


「な、なんだ!?」

「テネブリス様……実は、これからワタシと一緒に向かって頂きたい場所がございまして」

「……ん? ようやく企みの種明かしか?」

「ふふっ、そういう事です」

「ふん……では、案内しろ」

「畏まりました!」


 魔王らしく余裕を漂わせた微笑を浮かべるテネブリス。その腕に絡みつくように、ベルフェゴールは隣で歩を進める。

 二人並んで歩くその姿は、人間でいうところの婚姻の儀。そんな風に見えるのかもしれない。



 * * *



 テネブリスは大扉の前で立っていた。

 隣には満面の笑みを浮かべながら腕に絡みつくベルフェゴールがいる。広間からここまで歩いてくるまでずっとだ。


「――ここか?」

「はいっ……!」


 大扉の向こうにあるのは大広間だ。

 城内の中央に位置するかなり広い空間。メンシスに居住する魔族を集めて演説をする時や、七魔臣との会議、たまに開かれる食事会などで使用される事が多い。

 言い換えると、普段は使用される事のない珍しい場所とも言える。

 そんな場所に案内されたという事は――と、テネブリスは勘繰る。が、中に入れば全て分かる事だ、とすぐに考えるのをやめた。


「では、入るとしよう」


 ベルフェゴールに抱きつかれていない方の腕で扉を押すと、ぎぎ、という音と共に扉が開かれる。

 だが目に入ったのは暗闇だった。外光すらも閉ざされた光の無い空間。それが大広間に広がっている。


(魔法によるものか? 用意周到だな……)


 テネブリスの目をもってしても何も視えない場所。そこをただ進んでいく。隣にいるベルフェゴールが先導するように歩くおかげで、どこかに向かっている事だけはわかる。

 だがしばらく歩いたところで、急に立ち止まった。


「どうした?」

「テネブリス様……それでは、ここでしばらくお待ち下さい」


 そう言ってベルフェゴールは名残惜しそうに腕から離れていった。

 ただ一人、暗闇に残されたテネブリスは警戒心を抱く。


 このような無防備な状態で攻撃でも受ければ致命傷になりかねない。視覚を奪うというのは戦闘において非常に有効な手段だ。テネブリスがよく使う魔法にも相手の感覚を奪うものはある。その有用性を知っているテネブリスは、自身が置かれている状況の危うさを感じ取っているのだ。


(視覚を奪うとは……ふん、小賢しい。奴らが企んでいたのは私に対する謀反か……?)


 テネブリスが魔王として君臨してから、もうすぐ百年が経つ。

 その歴史の中で、テネブリスに反旗を翻した者は誰一人としていない。

 仮にそのような者がいたとしても、テネブリスの元に刃が届く前に七魔臣が処理する事だろう。


 では、その七魔臣が反旗を翻したとしたら――その刃はテネブリスの元へと容易に辿り着く事だろう。

 絶対たる魔力を持つテネブリスだとしても、七魔臣全てを一度に相手にする事になれば苦戦は必至だ。負ける事はない、とは言えないが必ず勝てるとも言い切れない。

 それほど七魔臣の実力は魔族の中でも群を抜いているのだ。


 特に第一魔臣であるベリアルは、テネブリスが魔王となった時から存命している最古の配下だ。魔族の間では次期魔王としても名高い存在でもある。

 テネブリス自身も、後継にはベリアルの名を挙げるほど、その実力は認められている。


(ふん……私にもついにこの時が来たか。謀反というのは…………魔王の宿命、かもしれんな)


 テネブリスは暗闇の中、不敵に笑う。

 これから訪れるであろう、その瞬間を待ち望んでいるかのように。


 そして――――


 大広間にまばゆい光が灯された。


「……………………え?」


 目に入ったのは、テネブリスを囲うように埋め尽くされた異形の配下たち。

 悍ましい姿とは裏腹に、そのどれもが歓喜の表情に満ちている。


(七魔臣だけ、ではないのか……!?)


 テネブリスはきょろきょろと辺りを窺う。もちろん逃げ場などない。

 大広間を埋め尽くす魔族の数々。

 それを従えるように最前に立つ、周囲の魔族とは一線を画す七体の魔族。


 悪魔の将軍ジェネラルデーモン英知の悪魔グレーターデーモン妖艶な女悪魔サキュバス狂狼獣バーサークウルフ獅子獣人ビーストマン醜悪の小悪魔デス・インプ暗黒の粘液魔物カオス・ウーズ


 自らが従えていた異形の配下たち。それらを全て視界に入れたテネブリスは、覚悟を決めたように鼻で笑った。

 しかし直後、彼らが取った行動にテネブリスは目を丸くする。



 七魔臣たちを含めた魔族たちが、一斉に跪いたのだ。



「な、何だ…………? どういう…………!?」


 狼狽うろたえるテネブリス。

 そしてこの大広間に響き渡るように、魔族たちは見事に声を揃えた。


「テネブリス様!! 魔王御即位、百年! 誠におめでとうございます!!」


 その後、うおぉぉ、ぐおぉぉぉ、がぁぁぁぁ、というような魔族の唸り声が鳴り響く。歓声のように大広間を埋め尽くす盛大な祝福だ。

 手のある者は盛大に拍手し、そうでない者は全身で悦びを表現し、歓喜の雄叫びや、中には涙を流す者もいる。


 思いもよらない光景に、テネブリスは黙って立ち尽くした。

 そして、ほどなくして理解する。気付けば自然と笑みが溢れていた。


(そうか……もう、そんな時間が経っていたのか。フフフ…………奴らめ、全く……)


 そこへ、純白のドレスを着た配下が近寄ってきた。その手には大きく鮮やかな花束を抱えている。

 その花束を恭しくテネブリスに差し出すと、その配下は跪きながら心からの祝辞を述べた。白皙の頬には歓喜の涙が伝っている。


「テネブリス様……この度は誠におめでとうざいます。そして……隠すような真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。テネブリス様に驚いて頂きたい一心で――」

「よい。なかなか粋な事をするものだ。礼を言う、ベルフェゴール」

「あぁ、勿体なきお言葉…………テネブリス様、最後にもう一つ宜しいでしょうか?」

「何だ?」

「ここにいる者たちに、何か一声かけて頂ければと存じます」

「ふん、よかろう」


 テネブリスは魔王たる荘厳な所作でさっとマントを手で払う。ひとたび見せたその行動だけで、歓喜が渦巻く騒々しい大広間はぴたっと静まり返った。

 この場にいる魔族全ての視線が、テネブリスに集まっている。



 魔王になって百年。その長い年月の多くは、戦いによって紡がれてきた。

 多くの血を流し、流させた歴史。だがその歴史もまもなく終わる。いや、この手で終わらせる。それが魔王たる責任であり、使命なのだ。

 テネブリスはその決意をゆっくりと、そして力強く言葉にする。


「皆の者、まずは感謝する。こうして私が王の座についてこられたのも、貴様たちが私に命を懸けてくれたおかげだ」


 大広間にどよめきが走る。あちらこちらで咽び泣く声、鼻をすする音が聞こえる。

 そんな声をよそに、テネブリスは言葉を続ける。


「だから私も……貴様らに命を懸けよう。そして、魔王としての誇りを懸けよう。私は――――いや、我々は、宿敵である勇者ルクルース、それを庇護するアルビオン帝国へ侵攻を開始する! 長年続いてきた人間との争い、それを終わらせるのだ! 我々の勝利によって!!」



 テネブリスの宣言に、この場にいる魔族たちは大いに鼓舞された。

 爆発したような雄叫びと歓喜に包まれる大広間。

 その中心に立つ凄惨たる魔王は鷹揚に両手を広げ、周囲から浴びせられる祝福と歓声を全身で感じ取るのだった。





 * * *

  



「テネブリス様、遅いな…………」


 堕落の悪魔メインズデーモンは、綺麗に片付けたその場所を見て呟く。

 遠くで歓声のような声が聞こえるのは気のせいだろう、とその場であるじの帰りをただ待っていた。

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