第二章 人魔衝突

第32話 次なる旅立ち

 静まり返った町並み。

 町並み、と言ってもその多くは建物としての形を留めておらず、規則正しく並ぶ瓦礫や木製の柱等が、かろうじてその名残を感じさせている。

 昨日起きた悲劇を引きずっているかのような静寂は、まだこの国に明るさをもたらしてはいない。

 遠くに見える深い群青の奥には暁の予兆を覗かせるが、この町を見下ろす空は灰暗かった。



 アグリコラ王国のとある検問所。

 テネブリス達が入国する際にも通過したその場所は、幸いにも無傷で済んでいた。

 その検問所に、見事な装備を身に纏った数人の人間の集まりがいた。

 すぐ傍には、大量の物資と見事な馬車をあつらえている。周囲の惨状とは似つかわしくないその身なりは、とても強大な魔族の襲撃を受けたばかりとは思えない。


 その集まりの内の一人、腰まで伸びた黄金色の長髪をなびかせた女は見送りに来た門兵に労いの言葉をかけた。


「それじゃあ私達はここで……。まだまだ大変な時に、見送りまでしてもらってありがとうございました」

「いえいえアルキュミー様、我が国を救って頂いた恩人に、お礼を言う事はあっても言われる筋合いはございません。どうかこの国の事はお気になさらずに、ご自身の成すべき事に専念して下さいませ」

「……はい。ありがとうございました、シドーさん」


 シドーと呼ばれた門兵は、その場で深く一礼する。

 他国の勇者であるにも関わらず、その身を挺して魔族の襲撃からアグリコラ王国を救った恩人に対して、最大限の敬意を表した。


「じゃあ、フェルム。行きましょうか」

「おうよ」


 いつものように御者を引き受けたフェルムが、手綱を強く引く。

 鞭のしなる音と共に馬のいななきが地に響き、やがてゆっくりと馬車は進み出した。



 * * *



 アグリコラ王国を発ち、昨日通ったロサ森林を抜けた頃。馬車は順調にマグヌス平野を北上していた。

 荷車には大量の物資と共に三人の人物が乗っている。

 その内の一人、華やかな刺繍の入った純白のローブを着たハーフエルフは、まだ眠そうに大きな翠緑の目を擦っている。


「眠そうね、クラルス。昨夜はいつ寝たの?」

「えぇと、実はほとんど寝てないんです……ふぁぁあ」


 そう返答すると同時に、普段の彼女らしくもない大きな欠伸あくびをした。

 というのも、クラルスが睡眠不足になったのはある理由がある。

 多数の負傷者が出たアグリコラ王国に対して、少しでも助けになれば、という善意で負傷者の治癒を名乗り出たのである。人手不足である神官からのせっかくの好意を無下にも出来ず、国王は甘んじてそれを受け入れたのだった。


 大きな目の端に欠伸で生まれた水滴を滲ませながら、クラルスは言い返す。


「そういうアルキュミーだって……目、腫れてますよ?」

「えっ!? こ、これはその……」


 思いがけない指摘を食らい、アルキュミーはどぎまぎした様子を見せる。その視線が、ちらちらと隣に座っている銀髪の男に向けられているのをクラルスは見逃さなかった。


「ふふっ、わかってますよ。私もあの言葉を聞いた時、嬉しかったですから……」

「もうっ……」


 はにかんだような微笑みを見せながら、二人は昨日の謁見の間での出来事を思い出す。



 ――――世界を救ってやろう。



 テネブリスが発したその言葉の意味が、謁見の間にいる者達に伝わるまでそう時間はかからなかった。

 その場にいた誰もが、アルビオン帝国を守護する勇者たる男が、魔族の脅威から母国はおろか世界までも救うと高らかに宣言した、そう信じてやまなかった。


 ある者は感嘆の溜め息をつき、ある者は畏敬の眼差しで見つめ、ある者は咽び泣き、ある者は穏やかに目を瞑る。


 少しの沈黙の後、勇者を称える喝采がその場を支配した。

 勿論、その時のテネブリスの表情は言うまでもない。

 人間とは一体、何を考えているのだ――そう心に思ったテネブリスは鳴り止まぬ喝采の中、眉間にしわを寄せ、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。



「ほんと、まさかあんな事を言うとは思ってなかったわよ、ルクルース?」


 やけに近い距離で見上げるように話しかけるアルキュミーに、ルクルースと呼ばれた男――テネブリスは怪訝な表情を見せる。何度言っても伝わらない苛立ちと、もはやルクルースと呼ばれる事に段々と慣れてきた自分にも苛立っているからだ。

 慣れというのは恐ろしい、そうテネブリスは痛感する。


「ふん、貴様はただ泣き喚いておっただけだろう」

「なっ!! ちょっとその言い方は酷いわよ!」

「まぁまぁ、アルキュミー。ルクルースも照れてるんですよ、ふふっ」

「……そんな訳ないだろう」


 そんな和やかな雰囲気が漂う中、テネブリスが口火を切る。

 これからの目的地に関しての事だ。昨日言うつもりだったが、謁見の間での一件で伝える機会を失った為に今に至る。


「ところでこれから向かう場所についてだが――」

「大丈夫よ、ルクルース。あなたとならどこへでも一緒に行くわ」


 婚約者でなければ到底言う事の出来ない台詞を、アルキュミーは平然とした顔で口にする。しかしその直後、遅れて羞恥がやってきたのか視線を下げて頬を赤らめた。

 テネブリスはその様子を見て見ぬ振りをし、言葉を続ける。


「いや、貴様らはアルビオン帝国へ帰るといい」

「え……?」

「それって、どういう……?」


 アルキュミーは恥じた表情を一変させ、漠然とした不安に駆られた顔つきになる。

 クラルスも同様に、言ってる意味がわからない、と言った表情だ。

 そこでテネブリスは、ようやく自身が向かうべき目的地を告げる。


「私はメンシスへ向かう」

「それって……!?」

「魔族の拠点、ですよね……? でもメンシスの場所は謎に包まれてると……」

「場所なら知っている」


 テネブリスの発言に、彼女らは大きく目を見開いて言葉を失った。


 魔王であったテネブリスが統べていた魔族の拠点であるメンシス。別名――月魔殿。魔王が居する古びた古城を中心としたその没落都市は、これまで誰もその在処を突き止めた者はいない。謎に包まれた都市の名だけが独り歩きし、やがて本当に実在するのかと疑われるほど、一種の伝承の類とまで言われている。


 そんな月魔殿メンシスに向かう。

 テネブリスのその言動に、アルキュミー達は驚愕と共に感銘と無念さを感じた。


 あの時と同じように、私達の身を案じて一人で敵の本拠地に乗り込むつもりなのだと。

 あの時と同じように、また私達の力を借りないつもりなのかと。

 そんな思いが、アルキュミー達の胸の中を複雑なものにさせた。


 危険な場所だと言う事は重々承知だ。あの凄惨たる魔王が統べていた都市。そこには未だ数多くの魔族が潜んでいる事は明らかだ。死地とも言える場所に仲間を――婚約者を見送る事など、もう二度としたくない。

 その思いがアルキュミーの言葉に現れる。


「……私も行くわ、ルクルース」

「私達、でしょう? ですよね? フェルム?」

「ん? お、おぉ! 俺はお前らとならどこへでも行くぜ!」


 外で馬車の手綱を引いているフェルムが、ついさっきアルキュミーが告げたような恥ずかしい台詞を大声で口にする。勿論、誰とも婚約している訳ではない為、ただ単に気持ち悪い発言にしかならない――ただ、一人を除いては。


 一様いちように同行すると宣言され、テネブリスは苦慮する。

 当初はグラシャラボラスを供回りにしてメンシスに向かう算段だったが、第七魔臣ビフロンスによって殺害された為にそれも叶わない。

 では、アルキュミー達コイツらならどうか。

 現在のテネブリスは勇者ルクルースの姿を身に映している。それが仲間を引き連れメンシスに訪れたとなると、もはや討ち入りだと捉えられるのは必至だ。この状態チュウニビョウの解明はおろか、七魔臣との接触すらままならない可能性もある。


 となると残された手段は一つ。単身でメンシスに向かうしかない。


 魔力もそこそこに取り戻した現在、既にアルキュミー達の力を借りる必要もないのだ。そう考えた結果、せめてもの慈悲で帝国に帰れと告げた訳だが――アルキュミー達はやる気を漲らせた瞳でテネブリスを見つめ続ける。


「やれやれ…………ん?」


 テネブリスが肩を竦ませた時、突如として馬車の動きが止まった。

 アルキュミー達もその異変を感じ取り、御者をしているフェルムへ声をかける。


「フェルム! 何かあったの?」

「いやぁ、一体どういうつもりなんだ、ありゃあ……」


 フェルムは馬車の進む先に見える存在に困惑の表情を浮かべ、手綱を握る手を離した。何かあったかと、テネブリスは荷車から顔を出し、フェルムが向ける視線と同じ方向を見据える。


 すると乾いた地面の続く地平に、十名程の全身鎧フルプレートを纏った騎兵団が馬車の進行を妨げるように進軍していた。その中央には、真っ白に輝く全身鎧フルプレートの騎兵が指揮するように闊歩している。

 そしてフェルムはその騎兵団の正体を、一つ息を呑んだあとにゆっくりと口にした。


「帝国、兵士団…………!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る