エピローグ

 王宮内の広場には、看護兵や衛兵達が職務を果たすべく、慌ただしく列を作っている。襲撃を受けた居住区に多数いるであろう、負傷者の救援の為だ。

 その中でも看護兵の数は、全滅してしまった王国兵士団の五倍にも相当する大所帯である。


 本来なら、負傷者の手当は神官等が使用する治癒魔法で行うのが世の常だが、この国――アグリコラ王国ではそうもいかない。

 というのも、アグリコラ王国に仕えている神官の数は、その国土に似合わず僅か数名しか存在しないからだ。

 そのような背景もあり、今回のような甚大な被害においては数少ない神官をあてがうよりも、看護兵と衛兵による人海戦術の方がよっぽど効率が良い。

 それに加え、神官が治癒魔法を使う事を許された神殿が、広大な国内に一つしかない事も考慮すべき点だろう。


 古くからアグリコラ王国では、生まれながらに魔力を持たない人間が大多数を占める。

 稀に、魔力を持つ者が生まれる事もあるが、その身に宿す魔力は往々にして微力。しかし、他国と積極的な交流をしてこなかった王国にとって、たとえ微力だとしても魔力を持つ者は大変貴重な存在である。


 故に、資質や人格に難があったとしても、限られた才を持つ者には畏敬の眼差しが向けられる。

 アグリコラ王国の勇者である風の英雄――ウェントスが、その最たる例だ。



 それにしても悲惨な光景である。

 ウルグスのような惨劇――とまではいかないが、受けた被害は甚大だ。


 倒壊した建築物の数々、立ちのぼる煙、荒れた大地。広場の奥にはグラシャラボラスによって全滅となった王国兵士団の死体と思しき肉片が、生々しい血の臭いと共に散乱している。

 目を覆いたくなるほどの激しい戦闘の痕跡。それを視界の隅に入れ、看護兵や衛兵達は黙々と職務を全うするのだった。

 そんな中、国王の居住する王宮の被害が無かったのは、アグリコラ王国にとっては不幸中の幸いだと言える。


 だが被害の規模を鑑みると、復興への道のりは険しい。同盟国はおろか、まともに国交すら結んでいない辺境の国に、周辺国から援助の手が差し伸べられるはずもない。アグリコラ王国が行なってきた、鎖国的外交戦略が完全に仇となったのだ。



 国の復興はまだ遠い。


 しかし、傷だらけの国を見つめる国民達の目はまだ死んでいない。

 絶望に抗いながら、必死に今を生きる目だ。

 諦める事は死ぬ事――それが、アグリコラ王国に生きる人間の誇り高き生き様なのだ。


 例え裕福でなくとも、魔力がなくとも、敬愛する国王と風の英雄がいるこの国に生きる事を国民達は望んでいる。


 そして、いつか来る安寧の日を夢見て、国民達は汗と涙を流した。



 * * *



 所々抉れた地面が目立つ広場の奥に、今朝見た時と同じ状態の白い威容を放つ建物が目に入った。

 アグリコラ王国、その元首が居住まう王宮だ。


 純白の外壁に嵌め込まれた鉄製の扉。その重厚な入口には、数人の衛兵が待機している。

 そわそわしていた衛兵達はテネブリス達の姿を確認すると、その顔に緊張した表情を浮かべる。

 テネブリス達が扉の前まで来ると、歩幅に合わせた絶妙なタイミングで衛兵が扉を開く。頼りない外見からは予想できない、驚くほど訓練された動きだ。

 

 鷹揚にして内部へ入ると、すぐに近衛兵が出迎えた。近衛兵は仰々しく一礼をし、こちらです、と案内する。

 今朝、同じ場所に案内されている為に案内など別に必要はないが、それがこの兵士の仕事なのだから特に言及はしない。

 そうやって人間というものは、くだらない事の為だけに人員を使うのだ、と魔王であるテネブリスは理解している。


 綺羅びやかな応接間を抜け、廊下に差し掛かろうとした時、見覚えのある男の姿が待ち構えていた。その男は腕を組み、壁にもたれかかっている。


「……よう」


 テネブリス達に向け、言葉少なに声を掛けた深碧の髪をした男。

 心做しか、以前のような明朗さは鳴りを潜めているようだ。


「ほう、てっきり死んだと思っていたが」

「お? 心配してくれてたのかい?」

「ふん、冗談はよせ。で、何か用かね?」


 壁にもたれかかっていた男――ウェントスは突如、テネブリスの前まで来て深々と頭を下げた。風の英雄の予想外の行動に、テネブリス達は目を丸くする。


「……何の真似だ?」

「ウェ、ウェントスさん……どうか頭を上げてください!」


 おろおろとしたアルキュミーが頭を上げるよう促すが、その頭は深い位置を保ったまま動かない。そしてそのまま、ウェントスは口を開いた。


「勇者ルクルース。それにその仲間達…………この国を守ってくれた事に、感謝する……!」


 ウェントスが口にした心からの感謝の言葉。

 風の英雄として、一端いっぱしの矜持もあるだろう。だがそれを上回ってなお感謝の言葉を口にした人間の言葉に、テネブリスは僅かに頬を緩ませる。


「ふん、そんな事を言う暇があるならもっと鍛錬を積んだらどうだ? 断言してやろう。今の貴様では、すぐに死ぬ」

「ちょ、ちょっと、ルクルース!」

「いいや……アンタの言う通りだ。俺は弱い。それを、痛いほど思い知った。でも俺は諦めねぇ……生きてる限り俺は戦う。そのために、強くなるさ」


 そう告げたウェントスはどこか清々しい表情で顔を上げた。

 敗北を、弱さを認めた者は強い。それを知っているテネブリスは、ウェントスの横を通り過ぎる時、呟くように声を掛けた。


「次に会った時を楽しみにしておく」


 廊下を進んでいく勇者たちの背中を見ながら、ウェントスは握った拳を見つめ力を込めた。



 * * *



 近衛兵の先導で、絢爛な装飾が施された扉の前までやって来る。

 ちょうどテネブリス達を待ちわびていたかのように、まだ記憶に新しいその扉がゆっくりと開かれた。


 見覚えのある一直線に続く豪奢な絨毯。テネブリスはその上を昂然たる態度で歩いていく。

 外の悲惨な状態とはかけ離れた落ち着いた王宮の様子に、アルキュミー達の表情は曇る。しかしその心情を決して悟られないよう、すぐに表情を引き締めた。


 そして玉座の前まで辿り着くと、アルキュミー達は玉座に座する華やかな刺繍があしらわれた白いガウンを着た人物を見上げる。

 立派な白髭を蓄え、どこか神妙な面持ちの人物――国王ナクリム三世は開口一番、感謝の言葉を口にした。


「他国の勇者でありながら、この国を救って頂いた事。国を代表して、感謝を申し上げる」


 年季の入った枯れた声には、紛れもなく感謝の意が込められている。一国の王として、この国に生きる一人の人間として、ただ実直に思いの丈を言葉にしていた。


 だが、感謝の言葉を告げられたテネブリスは、腕を組んだまま儼乎げんこたる態度で仁王立ちしている。

 そしてしばらくの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。


「私は、この国を救った覚えはないが?」

「……謙遜せずともよい。誇るべき行いだとも」

「ふん、謙遜などするものか。私は、私の為に成すべき事を成しただけに過ぎん」

「それが、結果的にこの国を救ったのだよ」

「数多の人間が死に、町は壊され、それでも貴様はこの国が救われたと言えるのか?」


 テネブリスの言葉に、ナクリム三世は言葉を詰まらせた。しかしその表情は困惑したものではなく、むしろその逆だった。

 久方に出会う、真に民を思う者の考え。ナクリム三世はテネブリスの言葉にそれを感じ取った。

 そして顔中のしわを更に深いものにし、国王としてテネブリスの問いに答える。


「救われたとも。幾人もの人が死のうが、いくら建物が壊されようが、この国に一人でも命が残されておれば、この国は救われたと私は思う。例えその命が、私でなくともだ。命あっての人、人あっての国。そうあるべきだと、私は思っておるよ。だから改めて言おう。この国を救ってくれて、ありがとう」


 ナクリム三世の言葉にテネブリスは蒼い目を見開いた。

 遠い昔、唯一の友と言えた人間。その最期の言葉が脳裏に過ったからだ。



 ――救ってくれて、ありがとう……。



 テネブリスは思惟しいする。

 この王が、あの時のあの国の王だったら、今の状況は生まれていなかっただろうか。


「ふん……」


 人間というのは、全く愚かな生き物だ。

 王の数だけ国がある。

 国の数だけ愚かな人間が生まれる。

 つまり、国や種族という無駄な括りがあるから愚か者同士の争いが生まれるのだ。


 ではこうしよう。

 無駄な国は滅ぼし、愚民共は鏖殺し、無能な王を殺す。

 言うなれば、これはだ。

 真っ当に生きる者をくだらぬ争いから救い、愚かな者を死で救う。


 その為には絶対的な力と、唯一無二の王が必要だ。

 民族、人種、種族、国、分け隔てなくその全てを統べる王。

 まさしく、


 その王にこそ、テネブリスが相応しい。




 やがて、沈黙を続けていたテネブリスは、湧き上がる決意を胸に誓った。

 蒼い瞳を宿す目を細め、邪悪な笑みを浮かべる。

 そして、威風辺りを払うように手をかざすと、高らかに宣言した。



「聞け、皆の者よ。私が愚かな人間を、いや――――世界を救ってやろう」

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