幕間

 夕陽が差し込む執務室に、一人の白髪の初老が玉案に座している。

 何やら気難しい表情でペンを走らせているが、その手付きは慣れたものだ。

 右手で書類にサインをし、書き終われば左手で次の書類を用意する。そんな作業を、かれこれ数十回は繰り返している。

 それを証明するように、机上に積み重ねられた分厚い書類の山が、時間の経過を表していた。


 そして、最後の書類に目を通し、サインをしたためる。

 今日の執務はこれで終わりだ。一仕事終えた達成感から、ふぅ、と小さく溜め息が出る。


 すると時を見計らったかのように、壁際にいた若い女の侍従が机の前まで近づき、深く一礼をした。


「失礼致します、皇帝陛下」


 若い女の侍従は、皇帝陛下と呼んだ初老から積み重なった書類を受け取る。喫緊の財政状況や新たな法律、人事配置等、これからのアルビオン帝国における極めて重要な書類だ。

 自らの命よりも大事な書類を預かり、女は顔を強張らせる。


 緊張した足取りで執務室から出ていく侍従を見送ると、皇帝陛下と呼ばれた初老は机上のグラスに口をつけた。

 カラン、と氷とガラスが触れる音が鳴り、冷えた水が乾いた喉を通り過ぎる。

 あっという間に空になったグラスを机の隅に置いて、夕陽が差し込む窓を眺めた。


(やれやれ……)


 勇者がこの国を出立してから、もうじき一週間が過ぎる。

 幸い、マグヌス平野にオーガが突如出現した一件以来、国の周辺で魔族が現れたとの報告はなかった。

 だが、油断はできない。

 魔王という大いなる脅威がいなくなったとしても、未だ人間に対して牙を剥く魔族――とりわけ七魔臣の存在には警戒しなければならない。


 それに加え、国内の情勢も決して安定しているとは言い難い。

 勇者ルクルースの活躍もあり今まで表立っていなかったものの、現在の内政は現皇帝フェイエン=ファン=ラドノーアと、皇子サール=ファウルン=ラドノーアの派閥で二分されている。


 主に周辺国に対する外交のやり口と、国を守る勇者に対する扱いが派閥間争いの火種だ。

 フェイエンがこれまで行ってきた、道具のような勇者に対する扱い、そして周辺国に対する打算的な外交戦略は、結果的に国の繁栄こそもたらしたものの、勇者を慕う下級兵士や一般市民からは少なからず反感を買っている。

 だが、昨今のアルビオン帝国の威光はフェイエンの手腕によるところが大きい。それがフェイエン派閥の強みでもあった。


 一方、皇子サールは勇者に関しての処遇改善や周辺国との関係改善を主張している。融和政策と目されるそれは、最前線にいる兵士や一般市民などからは一定の支持を集めていた。

 しかし、そんなサールがいつまでも現皇帝から実権を握れないのは、親子間で相反するが原因だった。


 ――多種族共存主義。


 種族争いの真っ只中である魔族と人間との間で停戦協定を結び、共存を目指す。


 フェイエン、ひいてはアルビオン帝国が掲げる帝国第一、人間至上主義とは真逆の主義をサールは唱えている。

 そのような背景もあり、実の息子と言えどもここ数年は真っ向から対立している。



 ――愚かな息子め。私が死ねば、この国は一体どうなるのか。



 そんな自国の将来を憂慮する初老の人物――フェイエン=ファン=ラドノーアは、小さく溜め息をついて、革張りの椅子に深くもたれかかった。


(そろそろイドラから例の報告があってもよい頃だが……)


 フェイエンの腹心である内の一人、帝国誅殺部隊隊長イドラ。

 ルクルースが出立する際に、彼にある任務を与えていた。

 その報告をもう一人の腹心を介し、二日に一度の定時連絡にて受ける手筈となっている。


 ――コン、コン。


 執務室の扉を叩く乾いた音が、フェイエンの意識を現実に戻した。

 この時間、この部屋にいるフェイエンに用がある人物は限られている。

 頭の中にその人物を思い浮かべるが、念の為に確認しておく。


「何だ?」

「失礼致します。シーベン=ノワイヤ、報告に参りました」


 扉の向こうから聞こえる低い男の声。

 シーベンと名乗る人物こそが、帝国兵士団長を務めるもう一人の腹心である。


「入るがよい」

「はっ!」


 入室の許可を得たシーベンは静かに扉を開け、主人が座する玉案まで金属が擦れる音を鳴らしながら近づいていく。

 その音の原因は、全てが真っ白に染められた全身鎧フルプレート。傷一つなく丁寧に手入れされた鎧は、真珠のような輝きを放っている。

 そして、近すぎず遠すぎずの所までやってくると、主人に対し跪いた。


「フェイエン皇帝陛下、定時連絡に参りました」

「うむ。楽にするといい。して、何か異変はあったか?」


 シーベンは跪いていた姿勢から直立し、返答した。その声は全身鎧フルプレートを隔てている為に、ややこもっている。


「はっ。今朝、アグリコラ王国に到着後、風の英雄と交戦し――」

「何だとっ!?」


 フェイエンは思わず報告の途中で声を荒げる。

 帝国が定めた勇者への戒律。これまで破られた事のない、禁忌とも言われたそれが破られたとあれば、このような反応をしてしまうのは致し方ない。

 しかしフェイエンはすぐに冷静を取り戻し、シーベンに続きを促す。


「すまぬ、続けろ」

「はっ。風の英雄と交戦したのち、突如現れた魔族二体と交戦し、これを討伐。内一体は七魔臣と見られる、との事でございます」

「……さすがは勇者ルクルース、というべきか。だが……」


 フェイエンの腹の底に激しい怒りがこみ上げる。

 この報告の限りでは、単なるルクルースの武勲に聞こえる。しかしそれは、フェイエンにとってはどれも愚かな過ちでしかない。

 さながら、アルビオン帝国が築き上げた繁栄と威光が崩れ去るかもしれぬ蛮行。


(勇者め……勝手な真似を……!!)


 アグリコラ王国。

 アルビオン帝国から見ると辺境に位置するその国は、帝国だけでなく他国と積極的に交流をしない、いわば鎖国的外交を貫いている珍しい国だ。

 フェイエンもかつて、王国が持つ雄大な国土を狙って国交を結ぼうと試みたが、王国側に一蹴された過去がある。

 他国に干渉せず、干渉されるのを嫌う国。フェイエンにはそんな印象が強く残っていた。


 そんな国に皇帝の許可なく入国し、そして戒律を破り勇者と剣を交え、あげく魔族を討伐。

 フェイエンにとっては、そのどれもが帝国への裏切り行為としか思えない。


 感情の赴くまま、フェイエンは机を両手で強く叩き、直立する全身鎧フルプレートの配下に向かって、怒気に満ちた表情で厳命を下した。


「すぐにルクルースを連れてこい!!」

「……拒否した場合は?」

「力づくでも構わん。場合によってはクラシュタインの遺児を人質にでも使え」

「あの魔法使いの女、でございますか」

「あぁ。さすがに婚約者ともあれば素直に言う事を聞くだろう。それと、他の仲間は抵抗するなら殺しても構わん。帝国に必要なのは勇者だけだ。イドラにもそう伝えておけ」

「……御意。では早速、出立の準備に取り掛かります。一つ、確認しておきますが…

 …兵士団は連れて行っても宜しいので?」

「うむ。適当に選抜して連れて行くといい」

「はっ。それでは失礼致します」


 シーベンは仰々しく一礼をし、金属の擦れる音を鳴らながら執務室を去っていった。

 室内に再び静けさが戻ると、フェイエンは革張りの椅子から立ち上がり、おもむろに白い格子に囲われた窓際へ向かった。

 窓から差し込む光によって、身に纏った純白のガウンが夕陽色に染まる。

 そして蓄えた髭を指先でなぞりながら、ポツリと呟いた。


「全ては帝国の為……勇者とて、たかが駒の一つにしか過ぎんのだ」


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