第20話 風の英雄

 目の前で腕を組んだ深碧色の髪をした男。

 腰には一本の短い鞘を携帯し、肩までしか覆われていない白い布地の服からは細身ながらもガッチリとした筋肉が露呈していた。

 その並々ならぬ佇まいから、この男が只者ではない事をテネブリス達は感じ取った。


 男はテネブリス達を見やると、飄々ひょうひょうとした態度で言葉を続ける。


「おっと悪かったな、いきなり話しかけてよ。こういう時はこっちから名乗らねぇと失礼ってもんだ。俺はウェントス。ここいらでは風の英雄って呼ばれてる者だ」

「風の……英雄!? クラルス、それって……」

「えぇ、アグリコラ王国の……勇者です」

「なんだ、知ってたのか。なら話しは早い。食事中のとこ悪いが、こっちも仕事なんでね。ついて来てもらいたい所があるんだが」

「断る、と言ったら?」


 テネブリスは試すように返答した。

 席に座ったまま、風の英雄――ウェントスに向かって、微笑を浮かべている。

 その態度を見たウェントスは、余裕のある表情を崩さずに重い口調で答えた。


「本当に断るってんなら、この国から出てってもらうしかねぇが……アンタはそんな事しねぇだろ?」

「……ふん、食えぬ男だ。よかろう、話しは聞いてやる」

「ルクルース! もうっ、すみません……ちょっと諸事情でいつもの彼とは違ってて……」


 アルキュミーが軽く頭を下げ無礼を侘びると、ウェントスはそれに片手で応えた。

 そして兵士に向かって顎をしゃくる。

 短い返事をした兵士は、腰からぶら下げた巾着袋を取り出し、中なから数枚の銀貨を店主に渡した。


 その様子を見たアルキュミー達は慌てて、ウェントスに詰め寄る。


「ちょ、ちょっと困ります! 代金は私達で払いますから!」

「あぁ、そうだ。別に俺達は金には困ってねぇ。自分の飯ぐらい自分で払わせて――」


 その言葉の続きを制止するように、ウェントスが首を左右に振りながら開いた右手を前に出した。


「よせよせ。これは国王からの命令なんでな」

「こ、国王から……!?」

「おっと、しまった。国王、だった」


 わざとなのか、うっかりなのか判断しかねるが、敬称を付け忘れたウェントスはおどけた口調で言い直した。

 この国の勇者にしてはあまりにぞんざいな物言いに、テネブリスは懐疑的な視線を向ける。


「ウェントス、だったな。国王ともあろう人間が、わざわざ飯代を奢るだけの命令なんて出さんだろう? 本題は何だ?」

「さぁ? 俺も詳しく聞いてないんでね。アンタらを王宮へ連れて来い、とだけしか」


 テネブリスは、ほぅ、と指を顎先に触れながら少々考えこむ。だが、ほどなくして席をおもむろに立つ。


「飯代くらいの話しは聞いてやろう」

「助かる。じゃあ案内するから着いてきな」


 ウェントスは振り向きざまにそう言って、店を後にする。

 その後に続いてテネブリス達が店を出た。


 店の出口には、兵士が用意してきたであろう馬車が二台止めてあった。

 テネブリス達が乗ってきた行商が使うような馬車ではなく、豪華な客室が備え付けられた馬車。まるで国賓のような扱いに、アルキュミーは息をのむ。


 そして兵士が案内した客車にはテネブリス達が乗り込む。もう一台の客車にはウェントスが乗り込んだ。

 ほどなくして馬車が進みだすと、機をうかがったようにアルキュミーが小声で話しだした。


「やっぱり、一報も入れずに入国したのが不味かったのかしら……」

「どうでしょう……そこは一応、勇者一行という事で納得頂けるとは思いますが……」

「単なる挨拶だけだったりしてな、ハハハ!」

「国王がそんな事の為だけに遣いをよこすわけないでしょう」

「そ、そうか。じゃあ何だろな、一体……」



 * * *



 馬車が動き始めて数十分ほど経った頃、次第に進む速度が落ちていく。

 その速度が完全に無くなると、兵士が外から客室の扉を開いた。

 降車を促す仕草を確認し、テネブリス達は大地に降り立つ。


 そこで初めにテネブリス達の目に入ったのは、広大な土地にポツンとそびえ立つ真っ白なレンガ造りの建築物。

 居住地区にある建物とは一線を画す豪華な造りは、一目で中に住む人間がそれ相応の地位にある者という事を予感させた。

 目の前の立派な建物に目を奪われていると、後ろから意気揚々とウェントスが近づいてきた。


「どうだ? でけぇだろ? まぁ、アンタらに言ってもそんなに驚きはねぇか」


 鼻で笑いながら自慢げに語るウェントス。

 だがアルキュミー達には皮肉のように聞こえ、無言でただ苦い表情のみで返す。

 しかしテネブリスは意に介さず、いたって冷静だった。


「どうでも良い。さっさと案内しろ」

「……はいはい」


 テネブリスに急かされ、ウェントスは頭をボリボリと掻きながら歩きだす。

 大きな広場を横目に、整然と敷き詰められた石畳の通路を抜ける。

 着いたのは、入口だと思われる鋼鉄製の二枚扉。

 そこまで来ると、タイミングを見計らったかのように重い扉がギギッという金属音と共に開いていく。


 やがて扉が完全に開くと、室内の煌びやかな光景が目に飛び込んだ。

 金銀に輝く骨董品に、華やかな刺繍が散りばめられたタペストリー。シワ一つない真っ赤な絨毯は、アルビオン帝国の王宮と遜色ない絢爛けんらんさを放っていた。


 華美な広間を抜け、幅の広い階段を昇ると、近衛兵が警護する一室まで辿り着く。

 近衛兵はウェントスとテネブリス達の姿を見やると、事態を把握したのかすぐさま扉を開け、警護していた一室にウェントスらを迎え入れた。


 ウェントスを先頭に、その一室に足を踏み入れる。

 足元には豪奢ごうしゃな絨毯が一直線に敷き詰められていた。

 そして最奥には、検問所で見たような国旗が掲揚されている。

 その下には、玉座に鎮座する一人の男の姿があった。


 その男こそが、この国――アグリコラ王国国王、ナクリム三世である。

 金色の刺繍がふんだんにあしらわれた真っ白なガウンを身に纏い、年季の入った顔には立派な白髭を蓄えている。


 ウェントスらが玉座の下まで近づくと、片膝を着いて国王に対して敬意を示す――ただ、一人を除いて。


 いつかのようにテネブリスは仁王立ちする。

 目線こそ見上げているが、その表情は見下しているのと同等だ。


 まただ、とアルキュミーは顔を引きつらせ、無理矢理にでも頭を下げさせようとする。だがテネブリスは頑なにその姿勢を崩さない。

 国王を前にして、前代未聞の態度を見せるテネブリスに対し、ナクリム三世は口を丸く開け絶句した。


「国王陛下! 本当に申し訳ありません! この人は……いえ、勇者ルクルースは現在記憶を亡くしてまして……どうかこの度の不遜な態度、お見逃し下さい……!」


 アルキュミーは懸命に謝った。

 自国の王ならまだしも、相手は他国の王。それに初見の場だ。

 ここで不敬があれば、今後の外交問題にも関わるしれない。


 必死な様子のアルキュミーに対して、ナクリム三世は動揺しつつも右手をあげて場を落ち着かせる。


「よい。何か事情あるのはわかった。残りの者も楽にするがよい」

「はっ」

「まずは、ようこそ我が国へおいでなさった。歓迎しよう、アルビオン帝国の勇者達よ。ウェントスも、急な依頼に見事に応えてくれた。感謝する」

「いえ、とんでも御座いません」


 先程、料理屋で出会った時の飄々とした態度から一転。真面目で誠実な身の振る舞いを見せるウェントスに、アルキュミーらは怪訝な視線を向ける。

 だが、身内にはそれとは真逆の振る舞いを見せる男がいた。

 テネブリスは揚々と、ナクリム三世に話しかける。


「御託はいい、要件は何かね?」


 おおよそ国王に対する物言いではないテネブリスに、ナクリム三世は再び唖然とする。

 しかし、すぐに国王たる威厳を取り直し、仰々しく言葉を返す。


「ごほんっ……勇者ルクルースよ……」

「違う」

「えっ!?」

「違うと言っている」

「……えぇっ!?」


 困惑したナクリム三世は、アルキュミーに目で助けを求めるも、ただ苦笑いをするだけで時間ばかりが過ぎていく。

 兵士からの報告では、確かにアルビオン帝国から来た勇者一行が入国したと聞いていた。それにこの外見の特徴から、白金の鎧を装備した男こそが勇者ルクルースであると確信していた。

 というよりもそれ以外に選択肢がない。本人が否定しようがしまいが、この男こそが勇者ルクルースである。そう自分に言い聞かせたナクリム三世は、再び言葉を続ける。


「勇者、ルクルースよ……」

「違う」

「むぅ……では、勇者ルクルースのなりをした者よ」

「……なんだ」


 あっ、この言い方は認めるのか、と不意打ちを喰らったナクリム三世は思わず言葉に詰まる。

 だが、すぐに気を取り直した。


「ここへ呼んだのは他でもない。かの凄惨たる魔王を討伐した勇者達に、直接感謝を伝えたかったからだ」

「何……!?」


 ナクリム三世が口に出したという言葉にテネブリスは苛立つ。そればかりか、凍てつくような冷酷な眼差しを国王に向ける。

 勇者らしからぬおぞましい悪意を感じ取ったナクリム三世は、反射的に身を縮こませた。


「討伐された、だと?」

「うむ。魔王と一騎打ちになり、勇者ルクルースが生き残ったと……我が国にはそのような情報が回ってきておるが……詳しくは私も知らぬ所だ」

「ほう……なら、感謝を伝えるにはまだ早い、とだけ忠告しておいてやろう」

「なっ、それはどういう……」

「ふん、さぁな」


 要件は済んだと判断したテネブリスは、踵を返し部屋を後にする。

 無礼極まりない彼を見かねて、アルキュミー達は慌てて一礼して追いかける。


「も、申し訳ありませんでした、国王陛下……いずれ改めて謝罪に伺いますので! 本日はこれにて失礼致します!」


 残されたナクリム三世とウェントスは、嵐が過ぎ去ったかのような静けさに

 包まれる。

 そして、国王らしからぬ小さなため息の後、苦笑いを浮かべるウェントスに命じた。


「ウェントス、彼らを見送ってやってくれ」

「はっ、仰せのままに」


 小さく一礼をしたウェントスは、早歩きでテネブリス達の後を追う。

 国王を背にした彼の顔は、怪しく笑いを噛み殺していた。

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