アグリコラ王国編

第19話 アグリコラ王国

鬱蒼うっそうと茂る木々の隙間からは、薄っすらと青みがかった薄明の空が見えていた。

 昨夜とは打って変わって閑散としたこの地を、馬車に乗ったテネブリス達は悠然と出立する。


「ここからアグリコラ王国まではそんなに時間はかからないと思います。陽が昇りきる頃には、検問所に差し掛かるでしょう」


 ガタガタと揺れる馬車の中で、クラルスはアグリコラ王国までの到着時間を予想した。

 ロサ森林を真っ直ぐに抜けると、アグリコラ王国まで続く平坦な道がただ続いているだけだ。距離も大したこともなく、馬車であるならさほど時間はかからない。

 つまり、現在のような薄暗い夜明けに出立したとしても、到着する頃には陽が昇りきった丁度良い時間となっている事だろう。


「ところでルクルース。体の方はもう問題ないのか?」

「問題、と言うと一つ大きな問題は解決していないが……目覚めた時と比べると格段に調子はよい」

「そうか、まぁ地獄の猟犬ヘルハウンドを一人であれだけ倒せたら心配はいらねぇか」


 心配される義理などない、と言わんばかりに、テネブリスは鼻で笑う。

かつては凄惨たる魔王と呼ばれた身、中級魔族程度に苦戦する訳はない。


(だが、本調子にはまだまだ遠い……その為には……)


眉間にシワを寄せながら、テネブリスは遠くの空を眺める。

隣にはアルキュミーが座っているが、やけに距離が近い。ただでさえ窮屈な荷車が、更に狭く感じる。

同時に、テネブリスは密かに憂慮する。

まさか、魔力を取り戻しつつある我が身に対して牽制しているのか、と。

さすがは勇者ルクルースの婚約者、と言うべきか。


すると、その婚約者が明るい口調で話し出した。


「ねぇ、クラルス。アグリコラ王国ってどんな所なの?」

「うーん……アルビオン帝国のような活気溢れた街って感じではなかったですね」

「へぇ、アグリコラ王国ってあんまり他所の国と交流していないもんね」

「えぇ、だから自給自足の為に農業が発展したそうです。色んな特産物があったと思いますよ」

「じゃあ、着いたら飯屋でも行ってみるか。その国を知るにはまず食事から、って言うだろ?」

「そんなの聞いた事ないけど……まぁ、でも一理あるわね。時間があれば行ってみましょう」

「へへっ、楽しみだぜ」



* * *



 他愛もない会話をしている内に、いつしか窓から見える空の明るさと景色がガラッと変わっていた。目的地まで近づいてきた事を予感させる。


 馬車が二台通れる程の幅に、舗装もされていないただ真っ直ぐの砂利道。

そこをしばらく進むと、その道を塞ぐように巨大な木製の門扉が行く手を阻んだ。

門扉を支える柱の先には、国旗が掲揚されている。つまり、ここは国境を跨ぐ検問所なのだろう。


 門扉の両端には、姿勢よく構える門兵と思わしき男が二人。

アルビオン帝国の門兵と比べると、その身なりは貧弱だった。単にアルビオン帝国が裕福なのか、それともこの国が貧困なのかは、テネブリスには判断しかねた。


その内の一人が馬車まで駆け足で近づくと、愛想の欠片もない態度で話しかけてくる。


「よし、全員馬車を降りろ。ったく……こんな朝早くから一体何の用だぁ?」


 勝手に他所の国やってきた手前、仕方なく指示に従いアルキュミー達はゆっくりと馬車を降りる。

 すると、その門兵と思わしき男は目が点になった。

馬車から降りてきた人物達が身に着けている、ただならぬ装備に気が付いたからだ。


(ちょ、ちょっと待て! なんだコイツらは!? いかにも高そうな装備品の数々……それにこのヤベェ雰囲気……観光客ってガラじゃねぇぞ……!? 特にアイツ! 白金の鎧を着たあの男はヤバい! 誰か殺しそうな目でずっと俺を睨んでるぞ!?)


 門兵の男――シドーは、先ほどの対応が間違っていたかもしれない事に気付き、動悸が早まって冷や汗が止まらない。

 そんなシドーのただならぬ慌てっぷりを察して、アルキュミーは親しみを込めて話しかけた。


「急に来てすみません、門兵さん。私達はアルビオン帝国から来た勇者です。と言っても、勇者は彼で、私達はその仲間なんですが……」


 そう言って、一番後ろに腕を組んで仁王立ちしているテネブリスを紹介する。

だが、シドーは口をパクパクさせて動かない。よほど驚嘆しているようだった。


(よりによってコイツが勇者!? ま、まずい……俺はとんだ失態を…………)


シドーは助けを求めるかのように、おろおろと辺りを見渡す。

そして目が合ってしまった。銀髪をなびかせた冷徹な目をした勇者と。


「ふん、無能め。何をそんなに狼狽えておるのだ」

「ちょっと! ルクルース」

「門兵ごときに貴重な時間を割きたくないのでな。さっさと通すがよい」


 勇者とは思えぬ傍若無人な物言いに、シドーは腹の底に冷たい感情を宿した。

しかし、仮にも相手は他国の勇者。失礼があってはならない。

だがよく考えると、既に失礼をひとつ働いていた為、これ以上は失態を犯せない。


シドーは内心を決して表に出さぬよう、引きつったようなぎこちない笑顔で対応する。


「こ、これはこれは勇者御一行様。先ほどはとんだ失礼を致しました。勇者様でおられるならば、喜んでこの道を開けさせて頂きますとも」

「ふん、話が早くて助かる。無能もたまには気が利くのだな」

「ちょっと! もう! すいません、ありがとうございます……」


 そそくさと馬車へ戻るテネブリスを横目に、アルキュミーはシドーに一礼をしてから馬車へ乗り込む。

やがて巨大な門扉が、ギギーっという音を立てながらゆっくり開くと、馬車は先に続く道を再び進み始めた。


(はぁ……アルビオン帝国の勇者ってのはこんなにもクソみてぇな野郎だったのか? 魔王と一騎打ちした英雄と聞いていたが……こんなんじゃウチの国の勇者の方がよっぽど勇者らしいぜ)


シドーは去り行く馬車を眺めながら、大きくため息をついた。



* * *



 馬車が進む道の左右には、広大な畑が広がっている。

特産物と思われる作物の黄色い稲穂が風になびいていた。


 道なりにしばらく進むと、道沿いに小屋のような建屋が現れる。

 室内からこちらの様子を伺っていたのは、検問所で見た門兵のような男達。つまるところ、この建屋は門兵や衛兵達の詰所なのだろう。


 そうした詰所を幾つか通過し、木製の建物が幾つも並ぶ居住地区に差し掛かる。

 どの建物もアルビオン帝国に比べると若干貧相ではあるが、穏やかに人が行き交う町並みは平和そのものだ。


 居住地区に入ったテネブリス達はまず宿屋を探し始める。馬車や余分な荷物を保管しておく為だ。

 幸いにもすぐに手頃な宿屋が見つかった為、馬車と積荷を預けて街を散策する事にした。


「それにしても広いわね、この国……」

「あぁ、アルビオン帝国ウチの国とは真逆だぜ」

「でも、こういう雰囲気も私は好きですけどね」


 確かに、アルビオン帝国は人口に比べると国土がそこまで広くない。しかし恵まれた立地と勇者の威光を武器に、近隣の国々とも深く交流しつつ領土を増やしている。そんな裕福な国力を表すかのように、都市カルディアは凄まじい数の商店と人の賑わいで、常に活気に溢れている。


 それに比べてアグリコラ王国は、道行く人の数こそ大して差はないが、その道の広さはアルビオン帝国の倍はある。こういった道一つにしてもこの国の余りある国土の広さの一端が現れている。


(思っていたよりも広いな。フフフ……ここなら思う存分暴れられるだろう……)


 テネブリスは一人、仲間からはぐれてある思惑を巡らせていた。

すると、前を歩くフェルムが目立つ看板を構える建物を指差した。


「おっ、あそこの店! あれ飯屋なんじゃねぇか?」

「そうかもしれないわね。ルクルース、どう? 行ってみる?」

「構わん、好きにするがいい」


 テネブリスの了承を得た一行は、明るい表情でその店に入っていく。

店内はカウンター席と、木製の丸いテーブルが幾つも立ち並んでいる。だが、朝食の時間帯と重なっている為か、ひどく混雑していた。


 しかし運良く、角のテーブル席が空いた。フェルムはその場所を確保する為に足早に向かう。

 しっかりと四人分の席を確保したフェルムは、テーブルをバンバンと叩き、早くこっちへ来いとでも言わんばかりの仕草だ。

それに応えるかのように、アルキュミー達も意気揚々と席へ座る。


しかしテネブリスは席に座る直前、隣にあるカウンター席に座っていた深碧しんぺきの髪をした男の存在がふと目についた。

 その男は一人で黙々と食事を取っているが、放つ雰囲気と風貌は一般市民のそれとは大きく異なっていた。


(もしやこいつが――)


 確証のない予想。テネブリスは密かに様子を伺う。

 この男が予想通りの人物であるなら、今ここで事を荒立てるのは好ましくない。ここは静観するのが妥当だと判断する。


 目の前のテーブルに視線を移すと、どうやらフェルムが既に注文を終えていたようだった。テーブルの上には美味しそうな料理が次々と運ばれてきている。

そのどれもが食欲を唆る美味しそうな香りを漂わせ、スープからは温かい湯気が昇っている。


「おぉ! 美味そうじゃねぇか!」

「あぁ、懐かしい……。確か、前もこんな料理を食べた気がします」

「へぇ、じゃあこれがこの国のマイナーな料理なのかしら」


 アルキュミー達は周囲の視線など気にせずに目の前の料理をどんどん平らげていく。それもそのはず、彼らは昨夜の戦闘から誰も食事を取っていない為だ。

 勇者の仲間として戦う以上、数日間食事を抜くことなど頻繁にある為、その反動で食える内にたらふく食っておけ、というものがアルキュミーの達の教訓だ。


久方ぶりのしっかりとした食事に、アルキュミー達は顔を綻ばせながら料理を口に運んでいく。


すると突然、店内へと入る木製の扉が勢いよく開かれた。直後、兵士と見られる姿の男達がバタバタと押し寄せて来る。

周囲の視線を集めるが、男達は気にも留めずに奥へと進んでいく。

そして、カウンター席で一人食事を取っていた深碧の髪をした男の所で立ち止まった。


兵士が耳打ちをすると、その男は微笑みながらコクリと頷き、ゆっくりと席を立つ。

そして、テネブリス達が座る席の前で、ニヤリと微笑みながら腕を組んだ。


「ふぅ……アンタらが、アルビオン帝国から来たっていう勇者だな?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る