第14話 ロサ森林

 死者のとむらいを終え、馬車に乗り込んだテネブリス達は壊滅したウルグスを後にした。

 陽も沈み始め、肌をかすめる風が段々と冷えてくるのを感じる。


 荷車に乗ったクラルスの目には、無残に広がる光景が今もなお焼き付いている。

 つい先程まで、残酷な惨状を目の当たりにしていたからだ。

 四方八方に存在する死体の数々。

 捨てられたように横たわる年端もいかぬ女、子供。

 苦悶の表情を残したまま手足を失った農夫。

 おびただしい量の血に染まった義勇兵。


 とりわけ、酷い有様だったのが王宮だ。

 小さな国の中央部に位置していたそれは、王宮たる威容を一つも残さず、木っ端微塵に破壊されていた。

 その残骸に埋もれるように、頭部だけが食いちぎられた遺体が数体あった。

 その中でも、見るからに高級そうな布を纏った遺体。おそらくこの国の王だったのだろう。

 だろう、と予想する形になったのは、それを断定できる物が何もなかったからだ。

 せめて、国王――だと思われる遺体だけでも丁重に埋葬する事で、同盟国としての敬意を払うしかなかった。


 この国に生きた者達が、どうか安らかに召されるように。

 まつろわぬ魂達が、アンデッドに堕ちぬように。


 そのような祈りを幾つも捧げ、クラルスは神官として懸命に責を全うした。

 おおよそ全ての遺体に祈りを捧げ終えた頃には、すっかり陽も傾き始めていた。


 勇者と共に行動するようになって以来、過去最悪とも言える惨状。その現場を後にしたクラルスは、翠緑すいりょくの瞳に暗く影を落とす。

 そんな心身ともに疲弊した仲間の姿を見たアルキュミーは、悔しさと悲しみに胸を締め付けられていた。


 もっと早く国を出ていれば。

 もっと早く辿り着いていれば。

 今になってそんな懺悔の念が押し寄せてくる。


 しかし、勇者というのは戦う事でしか人間を救えない。ウルグスを破滅に追いやった魔族をいち早く討伐する事が、何よりの貢献となるのだ。

 アルキュミー達も頭の中ではそれを理解しているつもりだった。しかし、誰も助けられなかった現実から目を背けるように、アルキュミーはただ外を眺めるしかなかった。


 だが、テネブリスだけは違った感情を秘めていた。

 馬車に揺られながら腕を組み、遠い空を眺める。


(私の居ぬ間に何かあったのは間違いない……。第一魔臣ベリアル……貴様は今、いったいどこで何をしているのだ……?)


 目覚めてからというもの、解せぬ事ばかり起きる現実。未だに自身が勇者の身となって生きている事も、到底受け入れられたものではない。


 しかし、ようやく取り戻しつつある魔力。

 この力を更に確固たるものにする為に。ひいては、かつての魔王として再臨する為に、テネブリスはこの状況を甘んじて受け入れているのだった。



 車窓から吹きこんでくる冷たい風を受け、煌めく銀髪をなびかせる。

 重たい空気が立ち込める中、テネブリスはアルキュミーにある確認をする。


「ところで女……私が示した場所へちゃんと向かっているのだろうな?」

「え? あ、あぁ……向かってるはずよ。でも……どうしてあんな場所に?」


 あんな場所――それは、ロサ森林。

 テネブリスが馬車の行き先として指定した場所だ。


 ウルグスを南下した地にあるロサ森林は、魔力が淀んでいる地帯が幾つかあり、古くから様々な魔族が住処としている。

 テネブリスは、バフォメット――ひいてはその背後にいるであろう者、に近しい魔族がロサ森林に潜んでいると睨んでいた。


 そのような事を全て語る訳もなく、テネブリスは腕を組んだままアルキュミーに対してあっけらかんと答える。


「ただの勘だ」

「……ふぅん」

「……なんだ?」

「……なんでもない」


 そう言って少し頬を膨らましたアルキュミーに、テネブリスは小さく首を傾げる。

 重い空気は変わらぬまま、馬車は進んでいった。



 * * *



 馬車に乗ってから、小一時間ほど経った。

 辺りの景色はすっかり変わり、左右には大小の木々が茂っている。

 静けさの中で時折聞こえる小動物や虫の鳴き声が、一定の間隔で耳に届く。


 夜の空気を感じていると、御者をしていたフェルムが荷車に乗っているアルキュミー達に声を掛ける。


「そろそろロサ森林に差し掛かって来るぞ」

「えぇ、わかったわ。でも、すっかり暗くなっちゃったわね……今日は森に入らずに、手前で野営するべきだと思うけど」

「そうですね……アルキュミーの意見に賛成です」

「そうだな、じゃあ今日はこの辺で陣を敷くか」


 そうしてフェルムは手綱を操ると、馬車をすぐ脇に寄せる。

 ちょうどそこは草木も茂っておらず、野営をするには十分な場所が確保できそうだった。


 夜の森林に入る危険性をアルキュミー達はよく知っている。

 ただでさえ視界の悪い夜。それに加え、見通しの悪い森林という環境は、人間にとってデメリットが多い。特に、ある能力を持つアルキュミーにとっては最悪の環境とも言える。

 したがって、様々な依頼や戦闘を経験してきたアルキュミー達の判断は正しい。

 しかし、その判断に異を唱える勇者の姿があった。


「ふん、この程度の暗闇で怖じ気づいたか。魔族を討つ絶好の機会だというのに」

「魔族を討伐したい気持ちはわかるけど、今は危険を冒してまで進むべきじゃないと思うわ」

「……ほう、意見の相違だな。では私は一人で行かせてもらう」

「えっ……!?」

 

 テネブリスは荷車に置いていた漆黒の魔剣を腰に携えると、颯爽と馬車を降りた。

 その突飛な行動に、アルキュミー達は目を丸くして言葉を失う。

 しかし、それを黙って見てなかった男がテネブリスに向けて叫んだ。


「ちょっと待て! ルクルース!」


 そう言うと、フェルムはテネブリスの肩に手を掛けた。見た目通りの馬鹿力で肩を掴まれたテネブリスは不快感を露わにする。


「……何だ? 貴様らはここで呑気に朝が来るのを待っておればよい。私がその間に魔族を屠ってやろうと言うのだ、悪い話ではないだろう?」

「いいや、悪い話だね! 仲間が危険を冒して一人で森に入るってのに、はいそうですかって言える訳ねぇだろうが!」

「やれやれ……だから言っただろう、意見の相違だと。私は貴様の意見を否定している訳ではない。野営でも何でもするといい。しかし、私は進む」


 テネブリスとフェルムが口論をしていると突如、森の奥から鳴き声が響いた。その鳴き声はまるで、狼のような遠吠えを思わせる。


「なっ、何!?」

「魔族、でしょうか……?」


 闇夜に突然響いた鳴き声に、アルキュミーとクラルスは咄嗟に身を構えた。

 野太く、けたたましい鳴き声。それがただの野犬のたぐいではない事を瞬時に察したからだ。

 その予想を裏付けるように、テネブリスが鳴き声の正体を告げる。


「ふん……この鳴き声、恐らくヘルハウンドだな」

「ヘルハウンド……!?」

「ただの中級魔族だ。個体であれば大した力はないが群れると中々に厄介ではある。先程の遠吠え……おそらく私達を見つけた合図だろう」

「ちっ……ツイてねぇな……! アルキュミー、どうする!?」


 身を構えたまま、アルキュミーはしばらく考え込む。

 金色の長髪が夜風に揺れ、褐色かちいろのローブの隙間から絹のような白い肌が垣間見える。

 そして、ふっと小さく息を吐く。闇夜に似つかわしくない姫君を思わせる美麗な表情に、覚悟を宿らせた。

 そして、その覚悟を仲間に伝える。


「ここで迎え討ちましょう……!」

「よし、わかった!」

「はいっ!」

 

 その言葉のあと、アルキュミーの脇をクラルスが、前方をフェルムが固める。

 後衛である魔法使いと神官を、前衛である剣士が率いる形。

 対してテネブリスは少し離れ、単独で迎え討つ格好だ。


 四方のどこから迫ってくるかわからぬ以上、一つの場所に固まると包囲された際に突破が困難になる。ヘルハウンドはおそらく複数体。それを見越しての陣形を構えた。


(フフフ……さぁ、来いヘルハウンド。私の糧になるがよい)


 闇夜に佇むテネブリスは冷たい微笑を浮かべ、そっと漆黒の剣を抜く。

 そして心の中で呟いた。


 ――だ、と。



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