第13話 大いなる決断

 アルキュミーが捉えた目線の先にいた勇者テネブリスは、瞬く間に五体のゴブリンを葬った。

 命を奪う行為だとわかっていても、その卓越した動きは美しさをも感じさせる。颯爽と魔族を屠るテネブリスの姿に、アルキュミーは胸をときめかせた。


 ――凛々しく歩く姿。

 ――白金の鎧が血飛沫でまみれた姿。

 ――敵に情けをかけない姿。


 そのどれもが、華麗な乙女の鼓動と心を昂ぶらせた。

 アルキュミーは頬を紅潮させながら、懸命に追いかける。届いているのかいないのかわからない叫びを織り交ぜて。しかし、前を進む人物の後ろ姿はまだ遠い。


「ま、待ってよ! ルクルース!」


 さすがに声は聞こえているはずだ、と信じて呼びかける事をやめない。しかし歩く速度は緩まるどころか、更にその歩幅は大きくなり、徐々にアルキュミーとの距離が広がっていく。


「もうっ……待ってってば……!」


 アルキュミーは懸命に声を絞り出す。多分この声も届いていないだろう、と半ば諦めかける。乱れた呼吸と気持ちを整える為、遠くなる白金の鎧を見つめながらアルキュミーはその場に立ち尽くした。



 テネブリスは顔を顰めた。

 あの女は何故付きまとってくるのか、と。

 ついさっきあんなに口論となったばかりなのに、必死に名前を呼んで追いかけて来る事が不思議でしょうがなかった。

 呼び止められる理由も、立ち止まる理由もないため、テネブリスはひたすらに無視していたが、ここでふと気付く。


(魔族の気配……! 後ろか)



 すると、テネブリスは急に立ち止まる。かと思えば、アルキュミーの方へ振り向きざまに右手を掲げた。

 テネブリスの突然の行動に、アルキュミーは目を丸くする。

 もしかして私に気付いて立ち止まってくれたのか、と淡い期待を抱くが、直後のテネブリスが取った行動でその期待は打ち崩された。


 テネブリスは突然、魔法を詠唱した。


「人位魔法――凍結アルゲオ


 掲げた右手から、凍気を纏った波動が一直線に放たれる。

 瞬間的に冷やされた空気が白い水蒸気となって周囲にもやが漂う。触れるだけで全身が凍りつきそうな氷の破片を撒き散らしながら、極寒の波動がアルキュミーのすぐ傍を通過していった。


「えっ!? な、何……!?」


 大きな衝撃音が響く。

 過ぎ去った冷気に身を震わせながら、音のした方へ振り向くと、そこにはオーガと思われる魔族が氷像となって佇んでいた。

 その大きな氷像は、朝の陽光によって宝石のような輝きを見せている。


 一瞬で起こったその光景に、アルキュミーは口が開いて塞がらない。

 驚きのあまりその場で固まっていると、背後から聞き馴染みのある声が聞こえてきた。


「ふん、貴様の後ろにたまたまオーガがいたのでな。少しばかり魔法を試し撃ちしてみたのだが」

「えぇ!? もう……撃つなら撃つって言ってよ!」

「今言ったではないか」

「はぁ……もういいわ。それより、魔力が戻ってきてるのね……よかった……」

「ふん、まだ以前の私には程遠いがな。その為には、もっと多くの魔族を殺さねば……」

「えっ、ルクルース……! そう……やっと記憶が……」

「ん……? いや、違――」

「よかった、ほんとによかった……」


 アルキュミーの心に秘めていた感情が溢れ出す。

 一時はどうなる事かと思っていた。もう昔のルクルースには会えないのかと、一人夜空を見て涙を流した事もある。まだ少し言葉遣いは気になるが、今はそれすらも愛おしい。

 ――そんな思いが、一筋の涙となってアルキュミーの頬を伝っていた。



 * * *



 テネブリスとアルキュミーは、今や見る影もないウルグスの町並みを探索している。

 何処もかしこも、あるのは住民の亡骸と崩れさった建物ばかり。

 生存者はおろか、襲撃した魔族の手かがりさえも見つけるのは困難を極めた。


 各所に散乱する瓦礫のせいで、どこが道であるかもわからない。

 鼻を刺すような異臭と、見るも無残なを目に入れながら、道なき道を進んでいく。


 しばらくすると、大剣バスターソードを背負った逞しい男と、黄金色の錫杖ロッドを手に持った翠緑の髪をなびかせる女の姿が遠目に見えた。

 距離があった為、ここからではハッキリわからなかったが、二人の表情はどこか暗い。

 その理由を、テネブリスはおおよそ察した。


 大剣バスターソードを背負った男――フェルムは、テネブリスの存在に気付くと太く剛健な腕を上げて合図をする。その合図を見て、アルキュミー達はすぐ近くの崩れさった民家跡で合流する事にした。やれやれ、と言わんばかりの表情でテネブリスもそれに続く。

 

 全員が顔を合わすと、開口一番にフェルムが謝罪する。


「悪かったな、ルクルース」

「……何がだ?」


 テネブリスは身に覚えがない謝罪を受け、眉間にシワを寄せる。

 会って早々、こんな筋肉だらけの男に感謝される筋合いなどない。暑苦しくてすみません、という意味だろうか――と一瞬考えたがそれは違うだろう。

 意味もわからない謝罪は、ただ不愉快なだけだ。


 テネブリスの表情を見たフェルムは、察したように白金に輝く鎧の肩を数回叩いた。ポンポン、という軽いものではなく、ガンガン、といった力の入れ方で。

 記憶は失っても仲間思いなのは相変わらずなんだな、という意味を込めて。ただ、それをわざわざ口にするような野暮な男ではない。男の不器用な優しさを汲んでやるのが、同じ男としてフェルムの出来る事だ、とニヤついた笑みをテネブリスに見せつけた。


「いぃや、何でもない。ところでアルキュミー、そっちに生存者はいたのか?」

「ううん、こっちは誰も……。そっちは?」

「あぁ……いたにはいたんだが……間に合わなかった…………」


 フェルムは先程までの表情と打って変わり、悔しさを滲ませて拳をぎゅっと握る。

 隣にいるクラルスも、ただ下を向くばかりで暗い表情のままだ。


「だが、死ぬ間際に……声を出すのもやっとだっただろうに……襲ってきた魔族の特徴を教えてくれたよ」

「ほう……その特徴とは?」

「山羊頭に、翼が生えた魔族だったそうだ」

「ふむ……それはおそらくバフォメットだろう」


 フェルムから聞いた特徴から、テネブリスは一つの魔族の名を口にした。

 と同時に、テネブリスはある可能性に気付く。

 バフォメットのようなただの中級魔族に、ここまでの力はない。あるとすれば名有りネームドだ。それはつまり――――


(フフフ、そうか……ヤツめ、私の居ぬ間に派手な事をしてくれる)


 テネブリスは脳裏にの存在を思い浮かべ、口角を上げた。上手くいけば魔族と、ひいては七魔臣にも接触できるかもしれぬと画策して。


「バフォメット……確か、中級魔族のはずよね? わざわざこの国にやって来てまで一体何を……」

「そこまではわかりませんが……でも、討伐すべき魔族はわかりました。……アルキュミー、これからどうしますか?」


 クラルスに今後の行動について聞かれたアルキュミーは、険しい表情で考え込む。


 皇帝からの依頼は、この国を襲った魔族の討伐。

 しかしウルグスは既に壊滅している。もはやこの国には、死体と瓦礫の山しか残されていない。

 そのような国にわざわざ留まる理由はない。だからと言って、この状態のまま同盟国を見捨てる判断を下す事もできない。


 国を守護する者としての使命感、一人の人間としての情。

 アルキュミーは、その狭間で苦悩していた。

 すると、なかなか出せない決断に業を煮やしたテネブリスが口を出す。胸に抱く思惑を言葉の裏に隠しながら。


「もうこの国に用はない。さっさとバフォメットを追うべきだと思うが?」

「ルクルース……」

「ルクルースの言う事もわかる。バフォメットを野放しにしておけば、第二の被害が出るかもしれねぇからな」

「そうですね、フェルム。でも……」

「あぁ、わかってる。せめて弔いだけでもしてやらねぇとな……」

「……そうね。亡くなった人達の弔いが終わり次第、出立しましょう」


 潤わせた瞳に力を込め、アルキュミーは決断した。

 その決断にテネブリスは小さく鼻で笑う。

 テネブリスにとって、この国を含め、他の国が……人間がどうなろうが知った事ではない。


 やるべき事は、ただ一つ。

 凄惨たる魔王、その再臨を果たすのみだ。


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